前回は東京・中野駅周辺の再開発計画について取り上げたが、「オタクの街・中野」といえば、やはり「中野ブロードウェイ」が有名だ。かつては銀座と競う「高級ファッションビル」だった1966年に開業したという高級マンションと商業施設を併設したユニークなこの建物。当初は歌手の沢田研二さんら多くの有名人が暮らし、銀座と競うほどの「高級ファッションビル」だったという事実をご存じだろうか?では、いつ、どんな
留任なら指揮権発動した インタビューに答える亀井静香氏(東京・新宿区)=2012年5月10日【時事通信社】 小川敏夫前法相は、時事通信のインタビューに応じ、小沢一郎民主党元代表の政治資金規正法違反事件をめぐる捜査報告書の虚偽記載問題について、内閣改造で留任していたら指揮権を発動する方針だったと明らかにした。小川氏は法相退任時に発動を検討していたと表明、波紋を広げた。 指揮権は、検察庁法に定められた法相の権限。個々の事件の捜査について検事総長を通じて法相が指揮できる。ただ、捜査への政治介入になりかねないとの理由で発動には否定的な見方が強く、実際に発動されたのは1954年の造船疑獄で犬養健法相(当時)が佐藤栄作自由党幹事長(同)の逮捕を控えるよう指揮した1例のみ。発動後、犬養法相はその責任を取って辞任している。 インタビューでのやりとりは次の通り。 -いつから指揮権発動を考えていたのか。 法相
娘が余命半年だという情報が病院から漏れ、他人から告知されたことで精神的苦痛を受けたとして、大分市の女性が同市の病院の院長に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が12日、福岡高裁であった。犬飼真二裁判長は請求を棄却した一審・大分地裁判決を変更し、院長に110万円の支払いを命じた。 判決によると、女性は2008年7月、がんの一種「ユーイング肉腫」の治療を受けていた娘について、知人男性から「娘さん、長くないんだって」「あと半年の命なんやろ」と告げられた。男性の妻は当時、看護師として娘を担当しており、病状を男性に漏らしたという。女性は病院からは娘の余命を告げられたことはなかった。娘は約半年後に19歳で死亡した。 犬飼裁判長は「時間や場所を問わず、職務上知り得た秘密を漏らさないよう監督する義務を負っていた」と使用者としての院長の責任を認めた。 続きを読むこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が
関連トピックスTwitter関西電力原子力発電所原発抗議行動の指定エリア 13日夜に予定されている関西電力大飯原発(福井県)の再稼働に対する抗議行動について警視庁は12日、首相官邸周辺の歩道を抗議行動エリアに指定し、地下鉄駅の出入り口の利用を制限する警備方針を発表した。抗議行動が大規模化していることから、混乱を防ぎ、参加者の安全を確保するため異例の措置を取る。 抗議行動は市民団体有志がツイッターなどで呼びかけており、13日は午後6〜8時に予定されている。 警視庁は当日、官邸に最も近い国会議事堂前駅で午後3時以降、四つある出入り口のうち、「4番」以外からは地上に出られないようにする。周辺の永田町や霞が関などの地下鉄駅の周辺にも警察官を配置し、指定エリアに参加者を誘導する。 続きを読むこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログインする(会員の方) 無料登録で
2012年07月09日12:04 カテゴリ本 日本はなぜ開戦に踏み切ったか 国会事故調の報告書は非科学的であるばかりでなく、社会科学的にも幼稚だ。問題が経済学でおなじみのregulatory captureだとすれば、対策は簡単である。監視機関の独立性を強化して徹底的に規制すればよい。「原子力規制庁」をめぐる議論も、もっぱらこういう規制強化論だが、私はほとんど効果がないと思う。 それは日本の組織の欠陥が、規制当局の命令を業者が実行しないという(経済学の想定する)プリンシパル・エージェント問題にはないからだ。サラリーマンならよく知っているように、日本の大企業の意思決定の特徴は、小さな問題から先に決め、大きな問題を先送りすることだ。本書は、これを両論併記と非決定という言葉で要約している。 日本の組織には最終決定権者がいないため、みんなの合意が得やすい小さな問題については何回も打ち合わせして入念
2012年07月12日16:52 カテゴリ本 勤勉革命の呪縛 おとといのニコ生アゴラでも議論になったことだが、日本の役所の縦割り構造は常軌を逸している。個人情報保護法の関連法だけで1800もあり、同じような法律を各省庁や業界ごとにつくっているという。これは企業も同じで、パナソニックの津賀新社長は「当社は中小企業の集合体だ」という。 このような日本の組織のタコツボ的な性格は、中根千枝や丸山眞男など多くの人々に指摘されてきたが、その原因ははっきりしない。その一つは、『気分はまだ江戸時代』でも論じたように、日本が異例に平和で、多くの村をまとめて戦争する必要がなかったことだろう。戦国時代には統一国家のできる兆しもあったが、その途中で徳川家が全国の1/4を統治した状態で戦争を「凍結」してしまった。 この平和な時代に、日本の人口は1000万人から3000万人以上に激増した。その過剰人口を消化するために
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