いろんなイベントや集まりにしっかり参加しているお写真が多いです。航海安全を願って…という理由で南極に行ったのであまり記録がなく、資料の寄贈・整理とともにたけし氏の写真が発見されたそうです。
![第1次南極観測隊として宗谷に乗船した『たけし(猫・オス・三毛)』が全力で"何もしないお仕事"をしていた記録「猫の話は初めて知った」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/efd360f5823b4405d4abf00d81a89daf2005f396/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Ff05e45fff245361afb4e62219b79845b-1200x630.png)
第1次南極観測隊が出発する直前、ある人から託された一匹の三毛猫。雄の三毛猫は珍しく縁起がいいとされ、航海の安全を願って宗谷に乗せられました。そして観測隊の一員となった三毛猫は、永田武隊長の名前をもらい「たけし」と名付けられました。 たけしはペットとして活躍しましたが、樺太犬のように犬橇を引いて働いたり研究の対象とはされなかったために、残されている記録はわずかです。猫がいたことを知っている人は少ないのではないでしょうか。 最近になり整理・寄贈された資料から、新たにたけしの写真や映像が発見されました。 残念ながら永田隊長とたけしが一緒に写っている写真は、これまでに整理された極地研アーカイブの中には見つかっていません。 日本でただ1匹南極で越冬した猫、たけしの貴重な写真を一挙に公開します。 *南極新聞上では「たけし」と名付けられていますが、「タケシ」と書かれる場合もあります。ここでの表記は通常「
南極観測船「しらせ」は昭和基地を出発し、第56次南極観測隊の越冬隊と第57次観測隊の夏隊を乗せて北上中だ。海洋観測をしながら、3月下旬にはオーストラリア・シドニーに到着するという。しらせには、各分野の専門家が搭乗し、南極の生態系について多角的な調査を行う。東京都内でクリニーニング店を営む神蔵良隆さん(44)は今から約10年前の同時期、第47次観測隊の夏隊に参加し、建築の専門家として調査に赴いたという。当時の様子を聞くと、実際に行った者にしか分からないユニークな南極の様子が浮かび上がってきた。 夏は乾燥「南極へ到着すると季節は夏です。乾燥していてウイルスなどが繁殖しづらい環境でした。湿気が極めて少ないため草木も周りにない環境でしたが、体調を崩した人をほとんど見ませんでした」 神蔵さんが南極に向かったのは2005年の晩秋。当時は建設会社に勤務しており、社内で調査隊員を募集していたことから手を挙
南極点を目指す途中で遭難、死亡した英国のロバート・スコット(Robert Scott)率いる探検隊のメンバーが残したノート(撮影日不明、2014年10月23日公開)。(c)AFP/ANTARCTIC HERITAGE TRUST (NZ) 【10月23日 AFP】ニュージーランドの民間団体、南極歴史遺産トラスト(Antarctic Heritage Trust、AHT)はこのほど、約100年前に南極点に到達するも、その帰路で遭難・死亡した英ロバート・スコット(Robert Scott)探検隊のメンバーが残したノートが発見されていたことを明らかにした。当時の状況などについて、非常に詳しい記述がなされているものだという。 ノートはスコット探検隊に参加していた科学者ジョージ・マレー・レビック(George Murray Levick)のもので、1911年に南極大陸に上陸した際の基地に残されていた
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