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mournとcultureに関するtachisobaのブックマーク (11)

  • 《追悼》牛丼と立ち食いそばを愛した「知の巨人」…25年来の“書生”が見た立花隆さんの素顔 | 文春オンライン

    ジャーナリストで評論家の立花隆さんが、4月30日、80歳で亡くなりました。立花さんは東京大学などで教鞭を執り、多くのお教え子を各界に送り出す“先生”でもありました。『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』等の著作で知られる、サイエンスジャーナリストの緑慎也さんも、教え子の一人です。 1996年に立花さんの講義を受講して以来、在学中はゼミ生として、その後は個人スタッフとして、“書生的な関係”で立花さんと接し続けてきた緑さんが振り返る、「知の巨人」の“意外な素顔”とは――。緑さんによる追悼原稿を掲載します。 ◆ ◆ ◆ 「ハムカツが80円だって」 麹町の旧日テレの近くにあるカレー屋に行った時のこと、立花さんがメニューを見て、不機嫌な表情を浮かべた。注文を取りに来た店員に「なんでこんなに高いの?」とってかかった。 紀尾井町の文藝春秋からも近く、筆者はその店に行くのは初めてだったが

    《追悼》牛丼と立ち食いそばを愛した「知の巨人」…25年来の“書生”が見た立花隆さんの素顔 | 文春オンライン
  • 宅八郎に救われた夜 追悼:宅八郎|Takuma Kaga

    今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせる選曲とトラックメイキングを見せる一面もありました。 — 熊谷朋哉 (@tomoyakumagai) December 3, 2020 Twitterのタイムラインに宅八郎氏が亡くなったと上がってきた。これは実は生きていて「宅八郎死亡説が流れた」なんてことになるネットの祭りなのかなと思った。しかし複数の人が同じ内容をツイートしているところを見ると、どうやら当のようだ。 宅八郎は1990年に「オタク評論家」と言う肩書きでテレビに出始めた。1989年に幼女連続誘拐殺人事件があり「オタク」という呼称は蔑称の意味合いを強く含んでいる中での登場だった。 宅八郎を知ったのは

    宅八郎に救われた夜 追悼:宅八郎|Takuma Kaga
  • 「最初はグー」火付け役、志村けんさん死去 「日本じゃんけん協会」ツイッターも追悼

    お笑いタレントの志村けんさんの訃報をうけ、「アイーン」「だいじょうぶだぁ」などのギャグや人気フレーズとともに、「最初はグー」のワードも注目を集めている。志村さんがかつてテレビ番組内で使ったことがきっかけで子供の間に広がった言葉として知られ、志村さん自身ものちに、その経緯について語っていた。 日じゃんけん協会の公式ツイッター(2011年から運用)も、志村さんの死去発表当日に「日でこれ程じゃんけんが広まったのは志村さんが考案した『最初はグー』があったからに他なりません(略)」と紹介しつつ追悼した。過去の新聞記事では、お座敷遊びで使われていたこの言葉を仲間内で使い始め、「(志村さんらが)コントに採り入れたそうだ」という解説も見受けられる。 TBSニュース「発案者とも言われています」 日じゃんけん協会ツイッターは2020年3月30日、志村さんが29日夜に死去したことが30日に報じられ、事務所

    「最初はグー」火付け役、志村けんさん死去 「日本じゃんけん協会」ツイッターも追悼
  • 雨宮まみさんを偲ぶ

    今日の昼過ぎ、いつものように育児の合間になんとなくスマホを眺めていたら、雨宮まみさんが亡くなったというニュースが飛び込んできて、目を疑った。 雨宮さんとのつながりはもっぱらFacebookだった。2011年か12年ごろに共通の友人たちとの飲み会で1回お会いしたが、その少し前からFacebookでも友人で、たった数日前までやりとりしていた。私のFacebookには彼女からのコメントやいいねの通知がまだ残っている。いまでもFacebookで「当にひどいデマを流す人がいるんですね!(怒)」みたいなやりとりが始まってもおかしくないような気がしている。 私は2013年に出産してから夜の飲み会というものにまったく行っておらず、2年前に東京に引っ越してからは近所のママ友もできずに乳幼児を育てる毎日で、家族とサービス業の人以外とリアルで話す機会がほとんどなく、ネットで雑談ができる相手は貴重だった。夜9時

  • 追悼・蜷川幸雄(前編) | ele-king

    歳を重ねて、嫌だなと思うことは、わたしの場合あまりない。ただ、25歳前後に知り合いの結婚式ラッシュがあったように、歳を重ねると喪服を着ることが多くなるのだ。だが、この人は、まだ大丈夫と思い、覚悟をしてなかった人が逝った。80歳で、車椅子に乗り、鼻に管をしていたにもかかわらず、だ。蜷川幸雄さんは、その状態で、演出しながら怒り、あいかわらずの調子で台を床に叩きつけている映像が流れたこともあったから、なんとなく油断していたのだ。 蜷川さんは、女優としてのわたしと、歌手としてのわたしの両方でお世話になり、卑屈なわたしに、両方の自信をくれた人だ。 亡くなる数年前にも、「サワコの朝」という番組で、まだ凄いことを言ってくださっていた。ソロになってからずっと好いてくださったのだ。自分で書くのは、あまりに恥ずかしいから、ネットで調べていただきたい。さいたまゴールド・シアターという、高齢者だけの劇団を作った

    追悼・蜷川幸雄(前編) | ele-king
  • 櫻井孝昌さん : 上坂すみれ 公式ブログ

    コメント一覧 108.守田匡志 2015/12/08 19:56 訃報に接するも、突然すぎて、実感がありません。 私のような者にも声を掛けて下さる、気さくで飾らない、そして気配りの人でした。数々の偉業を成し得たのも、人に対する深い好奇心と、誰とでも仲良くなれる、その人柄に依るものが大きかったのだろうと想像します。 まだまだ道なかば、これから益々活躍されるはずだった櫻井さん。ご人の無念、世界中にいる、ご友人達の心痛を想うに、言葉が出ません。 すみぺは私などより、 ずっとショックが大きく、 櫻井さんに対する想いも大きいはずです。軽々しく、すみぺに掛ける言葉は見つかりません。 訃報に接し、すみぺの心痛いかばかりかと心配する気持ちもありました。しかし、ほどなく「まだ泣いてはだめ」というツイートを初めとして、私人として、職業人として、公人として、文化外交の継承者として、ツイートを重ねるごとに、大き

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  • 好きな大塚さんの記事 ~大塚幸代さんの書いた記事から :: デイリーポータルZ

    > 歩くだけで元気になれるなら、もっともっと歩きたい。歩かせてくれ。 この記事、「歩かせてくれ」で終わっているので覚えてます。 ある特定の文章は人の気持ちをざわつかせたり、行動を起こさせたり、念力みたいなことができます。 大塚さんもその力を持ったひとりでした。 ネットの向こうの遠くにいる人を指一触れずに動かす。ほんとに超能力です。 この記事もプツッと終わってて、全然まとまってません。 混乱を混乱のままうけいれて、混乱している自分をそのまま伝えてます。気の利いた言い回しでもないし、むしろ放り出したような書き方なのにひっかかります。 でも、きれいにまとめるなんて嘘くさくてかっこわるいし、このほうが誠実である気がします。 自分でも扱いきれない大物の魚を釣り上げてしまって、ビチビチ動いてるあいだに読者に放り投げてるような感じ。 そんなもの受け取った方だって困るわ、という話です。 なんて語ってしま

  • トラック野郎1万人が文太さん追悼電飾葬 - 芸能ニュース : nikkansports.com

    11月28日に死去した菅原文太さん(享年81)をしのび、全国の長距離トラック運転手が駆けつける追悼セレモニーが大みそかに行われることが2日、分かった。主演映画「トラック野郎」シリーズに撮影協力した装飾トラック(デコトラ)団体が主催する。会場となる群馬県内の河川敷に、撮影で菅原さんが乗ったトラック「一番星号」も運ばれる。関係者は、1万人以上が集まると予想している。 セレモニーを主催するのは、デコトラ運転手の親睦団体「全国哥麿(うたまろ)会」(全国35支部、会員数約5000人)だ。毎年大みそかに群馬県太田市にある新上武大橋の利根川河川敷でカウントダウンイベントを開催してきたが、今年は菅原さんの追悼セレモニーが行われることが決まった。田島順市会長(66)は「感謝の気持ちです」と話す。 カウントダウンは毎年300台以上のトラックが集結し、運転手の家族やデコトラファンも含め5000人以上が集まる。い

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  • 赤瀬川原平さんの業績回顧展 今日から千葉市美術館にて開催

    10月28日(火)より、千葉市中央区の「千葉市美術館」にて、10月26日に亡くなった前衛芸術家・赤瀬川原平の業績を振り返る展覧会『赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで』が開催される。 赤瀬川原平は前衛芸術家、漫画家・イラストレーター、小説家・エッセイスト、写真家など多彩な顔を持つ芸術家。1960年代から前衛美術家として活動し、千円札を印刷した作品『模型千円札』が通貨及証券模造取締法違反に問われ、「芸術か犯罪か」を巡る裁判(有罪判決が確定)が注目を集める一方、70年代からは「尾辻克彦」の名で小説を発表し、81年に芥川賞を受賞。また、用途が不明な物を表す「トマソン」、加齢に伴う物忘れを言い換えた「老人力」など、数々の新語も生み出した。 同展は、500点以上の赤瀬川の作品や資料を通じて、彼の創作人生を振り返る展覧会。「千円札裁判」の関連資料を含む60年代の前衛美術作品をはじめ、70年代

    赤瀬川原平さんの業績回顧展 今日から千葉市美術館にて開催
  • 米倉斉加年さん「お別れの会」に500人 倍賞千恵子が弔辞「寂しい」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能

    米倉斉加年さん「お別れの会」に500人 倍賞千恵子が弔辞「寂しい」

    米倉斉加年さん「お別れの会」に500人 倍賞千恵子が弔辞「寂しい」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能
  • 「粋でダンディーな男」 仕事仲間ら安西水丸さんを悼む:朝日新聞デジタル

    19日に亡くなった安西水丸さんと親交のあった仕事仲間たちが、その突然の死を悼んだ。■作家の嵐山光三郎さん 昨年11月に2人で久しぶりの絵を出した。今年1月に原画展を開いた時に「(この絵の)夏バージョンとそのカルタも出せたらいいね」と話していた。約40年も一緒にやってきた仲間なので、自分の一部がなくなったみたいで涙も出ない。亡くなる5日前に、落語の席で隣になった。「この歳になってなんでこんなに忙しいんだろう」なんて言ったその言葉が気になっていた。それでもあのような形で会えたことが良かったのかもしれない。■電通時代に同僚だった写真家の荒木経惟さん 電通のときに一度だけ仕事をいっしょにしたけど、アーティストになりたいデザイナーと広告写真が嫌なカメラマンで、二人でやる仕事じゃないな、という感じだった。でも電通をやめた後も、遠くから見ているライバル同士。彼が描く絵や文字の線は気品があって好きだっ

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