インターネット時代の扉を開いたWindows 95を設計した伝説の日本人がいる。日本で初めて米国マイクロソフトに転籍した天才プログラマー、中島 聡氏がその人である。中島氏は先ごろ、デジタル・ネイティブ世代の若者が「未来の設計者」として立ち上がるために、NPO法人「シンギュラリティ・ソサイエティ」を創設した。激変する世界経済の中で、2030年に向けて日本が復活するためにはどうしたらよいのだろうか? そのヒントについて話をうかがった。 【詳細な図や写真】「全員が男性、65歳以上、転職経験も起業経験もなし、雇われ社長ばかり」の経団連が、日本経済界に強い影響力を持つことを危惧する中島氏 ●学生時代にマンションを3つ買えるほど稼ぐ ──プログラムに目覚めたきっかけについて教えてください。 中島氏:僕がプログラミングを始めたのは17歳のときです。それから半年後に稼ぎ出したので、職歴としてはかなり長いん
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