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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (6)

  • 「イスラム国」による日本人人質事件で思ったこと: 極東ブログ

    「イスラム国」による日人人質事件について思ったことをとりあえずブログに記しておきたい。 ツイッターのほうではすでに前もってコメントしたが、72時間の期限でのリアクションはないだろうと私は見ていた。理由は、どちらかというと「イスラム国」に対して欧米ほど危機感ももたず、脅威にも感じていない日国民を、期限通りの処刑によって激怒させ、その結果いっそう欧米側に付かせることにすれば「イスラム国」にとって利益にはならないだろうと思われたからだ。 「イスラム国」としては国際世界が一致するよりは、割れていたほうがよい。この手法は北朝鮮の外交戦略と同じである。ついでにいえば、西側諸国としても中東の利害は割れていたほうが、ローマによる分割統治的な意味合いで、利益にはなる。ただしシリアに端を発した今回の事態は三すくみのような複雑な分割にはなり、誰が利益かという構図は崩れてしまった。 「イスラム国」側の思惑だが

    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2015/01/26
    ブコメに(良い意味で)考えさせられた。「ネーション」を基準として考える/共感する/意思決定することの是非を考えるともやもやするね
  • 最先端癌治療の費用対効果の話題: 極東ブログ

    昨日NHK報道に触れて癌医療の話題を書いた。NHKとしては癌治療の最新の話題を伝えるという趣旨から「新治療が期待される」というまとめで終わり、それが現行の臨床にどのような意味を持つかについては言及されていなかった。ニュースの範囲を超えるとも言えるが、臨床との背景でニュースの意味があると言えないこともないのではないか、とも思われた。 癌治療で臨床との関係で欧米で近年問われているのは、保険料や公的補助との関わりである。特に英国では癌最新医療について公的補助が認められないというニュースをこの数年よく見かけた。 「なにが最新治療か」という観点からではなく、「癌の最新治療において、臨床と公的補助はどうあるべきか」というのはやっかいな問題なせいか、日ではNHKを含めてあまり見かけないように思う。 そうしたなか、Newsweek日版の今週号に邦題で「癌患者が買うわずかな余命の高すぎる値段」との記事が

  • 突然お茶の間に出て来た癌幹細胞説: 極東ブログ

    想定していなかったものが無前提に突然、公衆の前に現れると、びっくりする。いや、そういう言い方じゃ、ちょっと誤解を招きそうだ。今日びっくりしたのは、NHKのニュースの話である。「がん幹細胞を見つけ出す方法開発」(参照)というきちんとした医学研究のニュースだ。何にびっくりしたか? タイトルにある「がん幹細胞」である。 率直に言うと、私は「がん幹細胞」説を追ってきたし、もっと率直にいうと幹細胞やiPS細胞との関連もいろいろ素人なりに推測したり、さらに進化論的な意味についても海外研究も追ってみたりしているので、ある程度、知っている。 この「ある程度、知っている」ということは、これを日の一般社会に伝えることは難しいことだろうなという了解を含んでいる。うかつには言えないなあ、と。 ところが、今日、NHKのニュースで、ぽろりんと「がん幹細胞」が出て来てしまった。それでびっくりした。みなさん、これ、なん

  • 日米による離島防衛上陸訓練に関連して: 極東ブログ

    の陸上自衛隊と米国海兵隊は、敵に奪われた離島を奪還するとのシナリオのもと米領グアムで実施した離島防衛の日米共同訓練映像を今日公開した。共同訓練自体は8月末に開始されたものだが、現時点ので報道関係者への公開は、現在の尖閣諸島問題やオスプレイ配備問題といった文脈を意識してのことだろう。 日の陸上自衛隊が参加したことで日ということが注目されるのもしかたがないが、各社報道を読むと、全体構図があまり正確ではないので、背景について補足しておいたほうがよいかもしれないと思えた。簡単に言及しておきたい。 まず、日でのありがちな反応の例は、朝日放送「日米で「離島奪還」訓練“尖閣”念頭で中国刺激?」(参照)である。ニュース自体は短いながら、タイトルに「尖閣」を意識させていた。 共同は比較的平易な報道だった。「日米、グアムで「離島奪還」訓練を公開 「特定の島、想定せず」」(参照)より。なお、タイトルは

  • 国会の壮絶な茶番の陰で繰り広げられている対決: 極東ブログ

    昨日の国会は壮絶だった。これまで国会の怒号・乱闘だの深夜の牛歩だとフルコースでひどいものを見てきたと思っていたが、昨日は格別の一品だった。そもそも国会の体をなしてなかった。定員削減の司法判断を反映しないからそもそも違法だという斜め上の話ではない。まずもって国会が国民代表の熟議の場になっていないのである。国会の議論でも民主党党内の議論でもなく、党間の密談でやっちゃえって、なんですか、これ。 戦前の大政翼賛会ってこういうものだったのだろうなと感動を新たにしたのだった。 マニフェストを自ら堂々とご破算にした民主党は今後どんな政策を打ち出してもギャグにしかならないから、もう二度と国政に復活する目はないと思う。麻生さんがあれだけ景気に配慮していたのにそれを忘れて、弾力条項打ち消した消費税増税をそのまま飲む自民党も、自滅。なにが野党だよ。政権受け皿になってないじゃん。 こんな国会には参加できないとして

  • [書評]意識は傍観者である: 脳の知られざる営み(デイヴィッド・イーグルマン): 極東ブログ

    デカルトの「我思う故に我あり」は通常、「思考している自分は存在している」と理解される。「自分という意識は確実に存在している」というわけである。当たり前ではないかと思うかもしれない。残念でした。「自分という意識」は脳機能の処理結果であって、それ自体で存在しているわけではない。あなたには自由意志なんてない。あなたの意識や自由意志は脳のプロセスの、ただの傍観者なのである。 冗談のようだがこの話は脳科学を学んだ人には常識の部類である。なにかをしようと意識するよりも身体のほうが先に動くことは実験科学的にわかっているからだ。座っていて「ちょっと立ち上がろうかな」という自由な意識は、実際には立ち上がろうとする身体の神経反応の後から生じている。生理学者ベンジャミン・リベット(Benjamin Libet)が1980年代に明らかにした(参照)。身体運動についての自由意識と思われているものは、身体意識の承認の

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