2月に85歳で死去した「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」などで知られる漫画家の松本零士さんを送る「松本零士先生 お別れの会」が3日、東京国際フォーラムで開催され、約3000人が参列した。 実行委員長のちばてつや氏、声優の野沢雅子と池田昌子、山崎直子氏がお別れの言葉を送り、ささきいさおが78年テレビアニメ主題歌「銀河鉄道999」、タケカワユキヒデが79年映画主題歌「銀河鉄道999(THE GALAXY EXPRESS 999)」を献歌。X JAPANのYOSHIKIと、ミュージシャンのダフト・パンクから弔電も届いた。 祭壇は「銀河鉄道999」をイメージ。松本さんが愛猫を抱く写真が、鉄郎とメーテルに見守られ、銀河鉄道999号に乗って地球から宇宙に飛び立つシーンが花祭壇で表現された。スプレーマム1700本、カーネーション5900本を含む系1万6000本の花が使われた。 また松本さんが正六位を叙
ちばは松本との日々を思い起こしながら、お別れの言葉を述べる。マンガ家デビューを果たしたばかりの頃に松本と出会ったちばは、松本が下宿で持ち込み用のマンガを描いていた日々のことを思い起こし、「いつかそのうちに大きな連載を勝ち取って、原稿料もらったら超一流の三つ星レストランでザブトンのようなステーキを食ってやる。その時にはちばちゃんにも食わせてやるぞ…と二人で夢を語りつつ…ちょっと色っぽいヌード写真や、18禁の色っぽい本をこっそり見せ合いながら、可愛い女の子や、美しい女性を描く練習に励む毎日でした」と振り返る。その後2人ともマンガ家としてキャリアを積み、寝る時間も惜しむ忙しい日々を送る中でも、松本とともにした思い出の数々を語るちば。「いまさら私がいうまでもなく、あなたが漫画やアニメーションに遺してくれた業績は本当に偉大で、旭日小綬章、紫綬褒章だとか、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ受賞だとか、挙
「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」など宇宙や冒険をテーマにした壮大なSF作品で知られる漫画家の松本零士さんが今月13日、急性心不全のため亡くなりました。85歳でした。 親交のあった漫画家などから惜しむ声が相次いでいます。 ちばてつやさん「体中の力が抜けていくよ」 (メッセージ全文) 「松本零士さんが高校を卒業して北九州の小倉から上京したばかりのツメエリ姿、当時19歳の彼と出会って60年以上が経ちました。ワシもデビューした翌年の18歳。同じマンガ家の卵、トシが近いせいもあって意気投合、本郷三丁目にあった西陽差し込む4畳半の彼の下宿にはよく遊びに行ったものです。二人ともまだ稼ぎも少なく満足に食べられなくてね。松本さんはよく『座布団のようなビフテキを食べたい!』なんて言いながらマンガを描いていました。二人そろって締め切りに追われ、同じ旅館にカンヅメにされて一緒に机を並べて仕事をしたものです。
文川あや @aya_fmkw 続きはwebアクションで公開されています📖無料なので良かったら読んで頂けると嬉しいです☺ 彼女の願い、私の望み / 彼女の願い、私の望み - 文川あや | webアクション comic-action.com/episode/326975… 2022-04-01 17:22:24 リンク webアクション|知りたい世界。 彼女の願い、私の望み / 彼女の願い、私の望み - 文川あや | webアクション 神絵師の友人・さあやんが突然亡くなったとの知らせを受けた小麦。 彼女から託された最後の願いを叶えるため、彼女の実家へと赴くが――…。 10 users 25 BIG LOVE... @sida_filicop 文川あや『彼女の願い、私の望み』。 若くして亡くなってしまった友人の「自分が死んだらSNSを消して」という願いを叶えようとする物語。 友人同士の関係性を
吾妻さんが遂に亡くなったというんだが、少年誌のギャグ漫画家だった彼にSFのパロディ描かせたのも、ロリコン漫画描かせたのもおいらです。依頼の時は、「SFのパロディ描いて下さい」「美少女モノ描いてください。純文学みたいなヤツ」とそれだけ言って、で、吾妻さんも寡黙な人だったので「はい」と、それだけです。まぁ、吾妻さんからは「人生の転換点にはあの人がいた」と晩年言われたんだが、その通りです。 「失踪日記」で知られる漫画家の吾妻ひでおさんが13日、東京都内の病院で死去した。69歳。北海道出身。 と思ったら、「送る会」からメールが届いていてた。 マンガ家 吾妻ひでお(あづま ひでお 本名:吾妻日出夫)さんが永眠されました。 ご自身のツイッターアカウントで開示されていたとおり、かねてから食道がん治療中でしたが、2019年10月13日未明、都内の病院で亡くなりました。享年69。ここに謹んでご報告申し上げま
アメコミの巨匠スタン・リー 知られざる「日本アニメに見いだした夢」:ジャーナリスト数土直志 激動のアニメビジネスを斬る(1/6 ページ) 2018年に亡くなったアメコミの巨匠スタン・リー。実は晩年、日本のアニメ・マンガを積極的に手掛けていた。異国のコンテンツビジネスに見いだした夢とは。 95歳は人生の長さとしては十分な年齢だが、それでもスタン・リーの死に「もっと長生きしてほしかった」との声が相次ぐ。それは90代になっても引退することなく、積極的に創作活動や数々のプロジェクトを続けていたことが理由だ。アメリカのコミック界の顔として、自ら名付けたニックネーム「スマイリー・スタン」そのままに最前線にて業界を盛り上げ続けた。 スパイダーマンやX-メンの産みの親 スタン・リーは、米国のマンガ出版社マーベル・コミックで活躍する「スパイダーマン」「アイアンマン」「ファンタスティック・フォー」「X-メン」
8月15日に、乳がんのため53歳の若さで亡くなったさくらももこさんは、プライベートを大事にし、本名は最後まで非公表を貫いた。漫画の執筆のみならず、多くのエッセー、作詞を手がけるなど幅広い分野で活躍した。27日、さくらさんの訃報が伝えられると、芸能界からも早すぎる別れを悼む声が多く寄せられた。 「ちびまる子ちゃん」はさくらさんが自らの少女時代をモデルにした。まる子は朝寝坊で忘れ物が多く、なまけ者でお調子者。近所で起きた火事や洪水を見に行くなど、好奇心旺盛だった。さくらさんは「まる子は私の分身」と語り、大事にしていた。「ちびまる子」は子供のころ、母親に呼ばれていた愛称だった。 高校時代は小論文の採点者から「現代の清少納言」と評されるなど、すでに独特の視点と文才を認められていた。好奇心を持ち続けた人だった。エッセーや作詞を手掛けるだけでなく、ラジオパーソナリティーを務めるなど、幅広い分野で活躍。
お笑いコンビ・カラテカの矢部太郎さんが8月23日、自著のエッセイ漫画『大家さんと僕』に登場する「大家さん」が亡くなったことをTwitterで報告しました。 『大家さんと僕』(画像はAmazon.co.jpから) 2017年10月末に刊行された『大家さんと僕』は、戸建て住宅の2階に間借りする矢部さんと1階に住む“大家さん”との交流の日々を、矢部さんが4コマ漫画に描いた作品。僕(矢部さん)と大家さんのほっこりするやりとりが人気を博し、第22回手塚治虫賞短編賞を受賞しました。 500冊のサイン本を前にする矢部さん(画像は矢部さんのInstagramから) 訃報を伝える文面の中で矢部さんは、「もっと話したかったし、聞きたいこともたくさんありました。お見送りをしたいまは大家さんと過ごした日々を思い出しながら、ただただご冥福をお祈りするばかりです」と追悼の言葉をつづっています。 この報告ツイートに対し
なあお前らきいてくれよ。 この前、うちの1歳の子がはじめてしゃべったんだよ。 アンパンマン大好きでさ、アンパンマンミュージアム行ったんだ。 そしてアンパンマンの顔の洋服を物色してたらさ、「アンパン!」ってしゃべったんだよ。 やなせたかしさん、あんたは偉大だよ。 なんで子供がこんなに夢中になるのかわからないけど、もう妬けるくらいにゾッコンでさ。 そんなアンパンマンを産み出してくれたあんたはサイコーだよ。
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