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三島由紀夫に関するtakeishiのブックマーク (2)

  • 自決直前、薔薇の花束を抱えて現れた三島由紀夫に美輪明宏さんが聞けなかった「遺言」 【没後50年】 | AERA dot. (アエラドット)

    美輪明宏さん(C)朝日新聞社 1970年11月25日、東京・市谷の陸上自衛隊東部方面総監部のバルコニーから自衛隊員に向けて演説する三島(C)朝日新聞社 作家の三島由紀夫が謎に満ちた割腹自殺を遂げてから、11月25日で50年が経過する。三島と親交があったシャンソン歌手の美輪明宏さんは週刊朝日2000年12月29日号でのインタビュー記事で、三島との思い出や、悲劇の直前に交わしたやりとりについて語っていた。当時の誌面を再掲する。 【衝撃写真】50年前の今日、陸上自衛隊東部方面総監部バルコニーから演説する三島由紀夫の姿 ◆    ◆    ◆ 三島さんについて言えることは、あれほどの天才でも少年時代に受けた教育のトラウマからは一歩も逃れることができなかったということね。彼は非常に鋭利で理論派だから、一見、論理的に自己分析をしているように見えていたのね。私もそう思っていた。でもやっぱり、渦巻きには、

    自決直前、薔薇の花束を抱えて現れた三島由紀夫に美輪明宏さんが聞けなかった「遺言」 【没後50年】 | AERA dot. (アエラドット)
  • 没後50年 三島由紀夫と自衛隊 | NHKニュース

    作家の三島由紀夫が、自衛隊駐屯地の一角を占拠してクーデターを呼びかけ、その後、自ら命を絶った事件から、25日で50年です。 自衛隊を治安出動させ、政府に憲法改正を認めさせようとした三島。事件の3年前、三島と接触を重ねていた、ある自衛官がいました。 のちに陸上自衛隊のトップ・陸上幕僚長を務めた冨澤暉さんです。 三島とどんなやり取りがあったのか、話を聞きました。 (聞き手:政経・国際番組部 宮川徹志 社会部 南井遼太郎) (記者) 三島由紀夫と出会ったのは、何がきっかけだったのでしょうか。 (冨澤さん) その前に、きょう、ちょうどここに持ってきたものがあります。僕が三島に会った証拠品っていうのはないんだけれども、三島の書簡集というのがあるんですよ。 ここにね、昭和42年5月11日の封書が義理の父の藤原岩市のところに来ているんですよ。 ここに何が書いてあるかというと「前略その後御無沙汰してをりま

    没後50年 三島由紀夫と自衛隊 | NHKニュース
    takeishi
    takeishi 2020/11/25
    自衛隊にも戦後日本国なりの「国の独立と平和」を守る意思と気概が有る。市民を銃撃して「国が壊れる」可能性の有るときは撃てないと。
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