木田節子さん、58歳。原発立地町の富岡町で暮らしていた。息子さんは原発作業員として働いている。原発事故後、警戒区域にされたために、家に帰ることができず、茨城県水戸市で避難生活を送る。 木田さんは、家と故郷を失ったショックと避難生活の中で、引き籠りになっていた。その木田さんが、ひとつの講演をきっかけに、「原発は間違い」と確信し、再稼働に反対する行動を始めた。つい5カ月ほど前のことだ。 帰れなくなっている故郷への強い思い、原発の是非をめぐって意見の合わない息子さんとの葛藤、いままで真実を知らされてこなかったことへの悔しさ。原発立地地域から、声をあげ始めた人の言葉は、聞く者の心を揺さぶる。 【6月30日~7月1日、いわき市内でおこなわれた「ふくしまフォーラム」での木田さんの発言と、木田さんへの取材でうかがったお話を、筆者の責任で整理・編集した】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
![福島 フクシマ FUKUSHIMA 息子よ 原発作業員の母](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d0f55bc9a570ab432a44ad554cf9bf0bc4afd790/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblog-imgs-45.fc2.com%2Ff%2Fu%2Fk%2Ffukushima20110311%2FIMGP2123_convert_20110724223747.jpg)