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ブックマーク / fukushima20110311.blog.fc2.com (2)

  • 福島 フクシマ FUKUSHIMA 息子よ      原発作業員の母

    木田節子さん、58歳。原発立地町の富岡町で暮らしていた。息子さんは原発作業員として働いている。原発事故後、警戒区域にされたために、家に帰ることができず、茨城県水戸市で避難生活を送る。 木田さんは、家と故郷を失ったショックと避難生活の中で、引き籠りになっていた。その木田さんが、ひとつの講演をきっかけに、「原発は間違い」と確信し、再稼働に反対する行動を始めた。つい5カ月ほど前のことだ。 帰れなくなっている故郷への強い思い、原発の是非をめぐって意見の合わない息子さんとの葛藤、いままで真実を知らされてこなかったことへの悔しさ。原発立地地域から、声をあげ始めた人の言葉は、聞く者の心を揺さぶる。 【6月30日~7月1日、いわき市内でおこなわれた「ふくしまフォーラム」での木田さんの発言と、木田さんへの取材でうかがったお話を、筆者の責任で整理・編集した】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    福島 フクシマ FUKUSHIMA 息子よ      原発作業員の母
    takeishi
    takeishi 2012/07/07
    「原発は、必ず止まります。それは、第二、第三のフクシマが起きたときか、人間の知恵と理性で止めたときです。」
  • 福島 フクシマ FUKUSHIMA 原発収束作業の現場から ある運動家の報告

    (車両のサーベイを受けている。サーベイに当っているのは、中国電力から応援にきた放射線管理員。Jヴィレッジ・除染場) 反貧困の社会運動に長年とり組んできた大西さん(仮名)が、現在、福島第一原発と第二原発の事故収束作業に従事している。 その大西さんから、昨年末から今年2月にかけて、お話を聞いた。 〔インタビューはいわき市内。掲載に当たって、特定を避けるための配慮をした。〕 お話が多岐にわたる中で、編集上、4つの章に整理した。 【Ⅰ】【Ⅱ】【Ⅲ】では、高線量を浴びる現場で、放射線管理員として作業に携わっている状況の報告。被ばく労働、雇用や就労、地域との関係などの実態が語られている。 【Ⅳ】では、原発労働者の立場から、反原発・脱原発の運動の現状にたいして、鋭角的な問題提起が行われている。 事故収束作業に従事する労働者へのインタビューや、ライター自身が中に入るという形で書かれたルポはある。しかし、原

    福島 フクシマ FUKUSHIMA 原発収束作業の現場から ある運動家の報告
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