私はレオナルド・グリーンバーグ会長とともに日本へ行き、任天堂の山内社長の元を訪れた。当時、我がコレコ社と任天堂はいくつかの製品を共同で開発していたからだ。 彼らはコレコビジョンに興味を持ち、原価に10パーセント上乗せした金額で買い取りたいと申し出た。しかし会長のレオナルドは、小売価格から10パーセント差し引いた金額での取引を望んでいた。 結局交渉はご破算となり、山内はこう言った。「任天堂は、自分たちでゲーム機を開発しますよ」、と。 レオナルドは大笑いして、彼らにそんなことは絶対できるわけがないと思ったそうだ。 ――― コレコ社の技術・製造部長を務めたバート・ライナーの回想 任天堂が1983年7月15日に発売した家庭用ゲーム機のファミリーコンピュータについては、今さら説明するまでもないほど世界中の多くの人に親しまれています。 しかし「ファミコン以前」の81~82年頃に、任天堂がアメリカのコレ
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