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ブックマーク / www.bungei.shueisha.co.jp (2)

  • 100年後の「本」|集英社 WEB文芸 RENZABURO レンザブロー

    で初めて上映禁止処分となった映画は、明治41年(1908)に公開された『仏国大革命 ルイ十六世の末路』というフランスの無声映画だ。 この上映禁止の顛末は、いまの映画の常識から考えるととほうもなくヘンで面白い。 『仏国大革命』が公開されたのは、日映画文化が少しずつ広がろうとしていた時期だった。 フランスのリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフ映写機が輸入され、大阪の南地演舞場で国内初上映されたのは、明治30年。 日オリジナルの映画が初めて制作されたのはその2年後の明治31年。この年に、今も現存している最古のフィルムである9代目市川團十郎、5代目尾上菊五郎主演の『紅葉狩』も撮られている。 最初の常設映画館である東京浅草・電気館がオープンしたのはさらに2年後の明治36年。だが国産映画を制作する態勢はととのっておらず、上映された映画の大半は輸入フィルムだった。 そしてこの時期にはすでに

    takunama
    takunama 2013/03/17
    映画の活弁とニコ動におけるゲーム実況、民間伝承とケータイ小説の文化論的比較。そして電子書籍の未来。
  • 100年後の「本」|集英社 WEB文芸 RENZABURO レンザブロー

    ウォルター・マイケル・ミラー・ジュニアは1923年にフロリダで生まれた。20歳になったばかりのころに第二次世界大戦に出征し、B-25の通信士兼銃手としてイタリア戦線での爆撃に53回も従事した。モンテ・カッシーノの激戦では、ドイツ軍の要衝だったベネディクト派修道院を爆撃する無残な行為を経験し、これはトラウマとなって彼の人生を最後まで苦しめることになった。 戦争が終わり、ミラーはカトリックに改宗した。修道院爆撃という恐ろしい罪への意識を少しでも癒やしたいという気持ちがあったのだろう。彼は自宅の居間に、ロン・コヴィックの写真も飾っていたという。ミラーよりも20歳あまり年下のコヴィックはベトナム戦争で負傷して下半身不随となり、その後反戦運動に転じた人物だ。トム・クルーズの映画『7月4日に生まれて』のモデルとしても知られている。 1950年代に入ってミラーは、いくつかの短編小説を雑誌に発表するように

    takunama
    takunama 2013/01/21
    "印刷によって、知の全体を俯瞰的に見通せるような理性的な目を持つことができるようになった"
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