「いま私は、時代は崩れ、人は死んで行く、それが「歴史」だ、といえるような気がしはじめている。いうまでもなくこの認識は、私たちが時代を建設しながら「未来」のために生きる、と信じることを少しも妨げはしない。しかし建設は同時に必ずなにものかを崩し、この崩壊は知らぬ間に私たちの足場を奪って行く。そしてなにかのために生きていると信じながら、私たちはもっと深いところでいったいなんのために生きているのかを問いつづけ、模索しつづけるのである。」(プロローグから) 日本の一時代が終わりを告げようとし、新しい時代がすでにどこかではじまっているこの時機、特に政界・官界に身をおく人たちは、幕臣・勝海舟の生き様に大いに学ぶところがあると思います。 江藤淳氏は、この「海舟余波」と、これに対となる西郷隆盛をとりあげた「南州残影」において、 「失敗という結果が許されない」 「結果に責任を持たなければならない」 という宿命
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