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ブックマーク / ameblo.jp/higashi-blog (14)

  • 『フライデー』

    明日発売のフライデーに僕が載るらしい。それも、全裸開チンの写真である。思わず爆笑してしまった。スタッフも大笑いである。 2004年6月の写真らしい。2004年と言えば、早稲田大学政経学部1年の頃である。実に懐かしいな~ 思えば、あの頃、学生達とよく宴会・コンパ等で大騒ぎ・馬鹿騒ぎしていたな~。皆、若かったし、良い思い出である。まぁ、僕は当時40数歳だったが(笑)。それにしてもあの頃は良かったな~。 しかし、2004年の写真がどうして今頃になって? 県知事選や都知事選で出ないで何故今頃なのだろう? まぁ、大阪W選挙で橋下氏を応援しているからかも知れないが・・・・・いや、きっとそうに違いないが。明後日、応援演説に行くことを知っているのか? そうであるなら、素晴らしいタイミングである。いい仕事するな~、フライデーさん(笑)。 橋下氏だけでなく、ついでに僕の出自なんかも出して貰えないかな~。『ゆっ

    『フライデー』
  • 『出馬』

    東日大震災の影響等もあり、発表(意思表示)が大変遅れて申し訳ありませんでしたが、この度の都知事選に立候補させて頂くことに致しました。 出馬を致します。 最大の理由としては、ここのところの社会状況や国家情勢を見ていて、やはり、日の首都である東京を中心とした首都圏がまず元気になり、ここから東日始め日全体を元気にして行かなければならないと強く思ったことです。 日最大の都市である東京が景気・経済・雇用、社会保障、教育文化、環境・コミュニティ形成、分権等の推進の牽引役になり、加えて東日を始めこの震災からの日の復興のエンジンとならなければならないと強く思いました。 私は、宮崎県知事時代、鳥インフルや口蹄疫等数々の危機・災害に直面して来ました。その経験から、危機・災害対応の首長としては、機動力、瞬発力、元気、体力、持久力、忍耐力、判断力、決断力等が求められていると痛感しております。 危機

    『出馬』
  • 『退任』

    いよいよ、今日、退任です。 県民の皆様、議会、県職員、他関係各位の方々には、これまでお支え頂き、当にありがとうございました。 特に、職員におかれましては、県勢発展と県民福祉の向上のため、自身のマニフェストの実現と直面する行政課題の解決に、心血を注いで頂きました。 マスコミの県民世論調査で、「東国原県政を評価する」が90%という高い評価を頂いたことは、偏に、県民、議会、職員が一体となって、そして一丸となって、これまで県勢発展に取り組んで来た証左ではないかと思っております。 県民の皆様の県政に対する信頼回復と郷土宮崎への自信と誇りを取り戻すことを最大の目標と掲げ、様々な改革や施策を実行するとともに、宮崎を様々な角度から全国に情報発信して参りました。 極めて厳しい社会経済情勢や財政事情の中、リーマンショック後の緊急経済雇用対策の実施、高速道路や港湾などのインフラ整備、入札契約改革を含む着実な行

    『退任』
  • 『不出馬』

    今回、二期目出馬(まぁ、出馬しても当選するかどうかは分からないことだが・・・)にご期待頂いた方々には当に申し訳ありませんでした。県議会・県民・県職員の皆様には、今後何かとご迷惑・ご心配をお掛けするかと思いますが、何卒ご理解を頂ければと思っております。 今回の苦渋の選択は、記者会見等でも申し上げましたが、多くの行政課題を抱える県の課題を解決し、その浮揚を図り、疲弊する地方の衰退に歯止めを掛けるためには、この国の仕組み・形・統治システムを変え、それによって国民意識を変える必要があると考えたからです。どうかご理解を頂ければと思います。 口蹄疫復興は最重要課題でありますが、他にも深刻な行政課題は山積しております。それらの行政課題に対して抜的な解決策は、やはり国家構造・国の統治システム・中央集権を変えることだという結論に達しました。 地方には、地方政府としての確固たる財源や権限を付与すべきであ

    『不出馬』
  • 『結局』

    今回、薦田氏には、大変重い決断をして頂いた。当に断腸の思いかつ苦渋の決断だったと思う。さぞかしお辛かったことだろうと、心中察するに余りある思いである。 これまで、県民の皆様の様々なお声に耳を澄まし、種雄牛を救済すべく精一杯頑張って来たが、ただただ、僕の力不足で農水相の意固地を動かせず、このような結果(6頭殺処分)になったことに対して心からお詫び申し上げたい。また、宮崎全体の県益のことに配慮された薦田氏の英断に対して心から敬意を表し、感謝を申し上げたい。 あらゆる視点に立ち大臣に提案・要望して来たが、「とにかく、殺処分しなければ移動制限解除はしない」という農水相の一点張りは最後まで覆せなかった。 結果、薦田氏の種雄牛が残っていれば、いつまでも移動制限並びに非常事態宣言の解除は出来ず、県民の皆様の生活や地域経済等に深刻な被害・影響が及ぶことになる。加えて、これらを拒否すれば、今後の国の復興対

    『結局』
  • 『総理辞任』

    しかし、この国の首相は、まるで制度で決まっているかのように、1年ごとに替わる。この国の首相制度は単年度主義(制度)なのか? 国民の政治に関する信用・信頼は一体どうなって行くのだろう? 僕が県知事に就任させて頂いてから、総理が4人替わり、今度で5人目である。 昨日、総理がご来県され、お会いし会談をさせて頂いた。口蹄疫関係での意見交換が終わり、一緒に立ち上がったとき、一瞬総理が僕にふと何か仰ろうとされた。いや、何かを仰りたくてたまらなそうな感じがした。その何かは分からない。あくまでも僕の第六感である。 総理とは、これまで何回か公式行事等でお会いし、事を一度ほどさせて頂いた。ただそれだけの関係で、人物・性格・人となり等を良く存じ上げ、把握している訳ではないが、あのとき何となく感じ入るものがあった。 いずれにしろ、国の口蹄疫対策部長(総理)がいなくなった。しかし、部長が、昨日確約された「政府

    『総理辞任』
  • 『全頭殺処分』

    先日の定例記者会見で僕が発言・答弁した内容が、一部切り取られて偏向的に報道されたらしい。そういうメールや書き込みを全国から多数頂いた。 どの部分がどのように報道されたかは分からないが、記者会見の内容全ては県HPの動画で見れるようになっている。 また、その記者会見の内容を忠実に書き起こしして頂いた方もおられるようで感謝を申し上げたい。何が正しくて何が間違いか? 情報の受け手が公平・公正に判断出来る時代である。特に、ネット系の情報ツールが発達した今日、会見の様子などは全てチェック出来るようになり、最早、メディアがバイアスがかかった報道をすることは不可能な時代なのかも知れない。 日までに新たな確認15例。殺処分対象7,102頭。場所は、川南町・都農町・新富町・高鍋町。これまでの累計146例、殺処分対象125,266頭。拡大は広がる一方である。 国の方針として、移動制限区域内のワクチン接種(結果

    『全頭殺処分』
  • 『家畜改良事業団』

    とうとう家畜改良事業団(高鍋町)まで拡大した。ここは、県内の種雄牛(種牛)を一括管理・飼養しているところである。いわば、県畜産(肉用牛)の心臓部である。 ここで生産された雄牛の精液が県内各地の母牛に配分され、多くの子牛が生産される。その子牛は、県外(松阪・神戸・佐賀等)にも出荷される。 ここは、特例中の特例として、先月27日から細心の注意を払い、出来うる限りの徹底的な防疫対策を講じて来た。なのに・・・・・・・ 事業団にいる種牛49頭と肉用牛259頭は殺処分である(因みにエース級6頭は、既に分離管理されている)。特に、種牛の品種改良や飼養・育成には膨大な時間とコスト、関係各位の努力と苦労が費やされてきた。それが、一瞬にして無になる。その無念・失望・絶望は如何ばかりか。 もう一つ、重要なのは、場所が川南町から高鍋町にジワリと南下して来たということだ。 感染経路・感染源の究明が急がれる。しかし

    『家畜改良事業団』
  • 『猟官運動』

    別に猟官運動をやっているのではない。分権運動・国民運動をやっているのだ。この国の統治システムを中央集権から地方分権・地域主権の形にしたいだけである。パラダイムシフトである。そうしないと、この国の衰微衰退はい止められない。それが、3年間、地方行政の中にいて得られた結論である。 中央集権、「均衡ある国土の発展」がこのままでは「均衡ある国土の衰退」になってしまう。格的な分権をを遂行するためには、それをきちんとチェック出来る位置にいないといけない。改革のプロセスを具に国民の方々に見て頂き、お知らせする責務があるからだ。 中央(霞ヶ関)を責めるのに、周りから堀を埋めて行く方法ではなく、真正面から突っ込んで行く方法を取らせて頂いている。地方分権を推進しなければならないと思う方々には、是非応援して頂きたい。応援の方法は色々あるだろう。 自民党さんに条件を飲んで頂けないなら、それまでである。地方分権を

    『猟官運動』
  • 『じ~ん』

    夕方、大淀川を走った。行き交う県民の皆様に、石を投げられるか、罵声を浴びせられるかと思ったが、意外に、「頑張って!」とか「国を変えて!」とかの声が多く、びっくりした。ちょっと拍子抜けだった。宮崎(故郷)の人は、やっぱ、優しいな~暖かいな~と、心が「じ~ん」とした。 3年前に県知事選に出馬表明した頃、メディアや周辺に「県民を馬鹿にしているのか?」「冗談か?」「おちょくっているのか?」「売名か?」とか言われた。 こちらは大真面目に真剣に、そして人生を賭して立候補したのに・・・・・当に悔しかった。当初から理解し応援してくれたのは、身内と数人の友人だけだった。今、考えると懐かしいが・・・・・・でも、そういう挫折や屈辱を何回も乗り越えて人は成長して行くのだろう。 今、自民党の方々は、きっと3年前の、あの時の県民の皆様のような面持ちなのだろう。それはそれで無理もないことかも。 想像もつかないことの連

    『じ~ん』
  • 『母の日』

    大淀川河川敷を走っていたら、まだ小学校に入っていないくらいの小さな子供から「あ!知事だ!」と言われた。 知らない子供が僕に気付き、「東国原知事だ!」とか叫ぶこと自体は今ではそんなに珍しいことではなくなった。先日は、中学生くらいの知らない子供に「知事!こっち来て!」と手招きされたこともあった。 河川敷で僕に気付いたその子供達は僕を追いかけて来て、摘んだばかりの四つ葉のクローバーを僕にくれた。子供は国家の宝である。 しかし、行きずりの知らない子供達に四つ葉のクローバーを貰う政治家というのはそんなにいないのではないだろうか? 今、全国で年間の出生数は約109万人である。年間114万人が死亡するので、人口減のトレンドに入った。 2030年には、日の人口は約1億1522万人になり、75歳以上が20%、15歳未満の子供は10%になるらしい。 2055年には、総人口8993万人、75歳以上が27%、1

    『母の日』
  • 『身が持たない』

    18日(水)議会閉会日。さすがに脳から汁が出る感じだった。 朝9時からレクや勉強会、新聞を読み、10時から議会。午前中は各委員長報告を聞き、そのまま昼休み。昼休みは後援会会報の手直しをし、午後、定数削減に関する動議、質疑、討論等、計約5時間に渡り、まるで大学の講義かディベートを聞いているようであった。 法の精神の遵守も分かるし、その法自身が時代にそぐわなくなっている部分があるのも分かる。 議会が終わって、各種のレクが入り、その後、エコクリーン問題、尾鈴畑灌問題、入札契約制度についての問題等の議論が立て続け、久々に脳から汁が出る思いだった。最後は完全に集中力を切らし、思考能力減退・停止状態に陥っていた。 脳を休めるためと一日の抑圧されたストレスを発散するために、夜、18km走った。 走った後、カボスを目の前に、切り方をあれこれ考えていたら、その僕の姿を松ちゃんが心配そうに怪訝そうに眺めていた

    『身が持たない』
    takuya-itoh
    takuya-itoh 2009/03/21
    "おかしくならないようにするために、政治行政は「他者(民)に気を遣わなかったり」「KYになっている」のではないだろうか?"
  • 『命の洗濯板』

    世の中には信じられない人がいる。 マニフェスト検証会で僕が「宮崎県は昨年、交通事故の減少率が日一だった。素晴らしいことだ・・・・」と発言したことに対して、会場からの質疑応答で、「減少率はそうだったが、それでも人口割りではやっと平均くらいに達しただけである。そのことを知事は認識しているのか?」というような指摘があった。どういう意図だか、何の運動・活動だか分からないが、これは指摘というより批判であり、単なるイチャモンであるような気がする。 その前に質問された人の質問がこれまた長くて、その「イチャモン」に充分答えられなかったので、ここで答えさせて頂く。「充分認識しております」。ていうか、まず関係各位の取り組みと業績を評価し敬意を表しません? 確かに、人口に対する交通事故者はやっと全国平均くらいになった。でも、これまで宮崎県はそれすら出来なかったのだ。これまでずっとワーストだった。 年間80人を

    『命の洗濯板』
    takuya-itoh
    takuya-itoh 2009/01/20
    "この世界にいると、とにかく理不尽な批判を受ける。やって当たり前、ちょっとやれなければボロクソの世界である。政治行政にいると本当に人間不信に陥る。心が荒ぶ。"
  • 『謹慎記念日』

    爆笑だった。 乳首のしこり、女性化乳房というらしい。中高年になって、ホルモンバランスが崩れ、起こる場合もあるらしい。 しかし、僕の場合、ちょっと違うようである。原因は、どうやら水道橋博士に貰った「育毛の飲み薬」にあるらしい。 英語で書かれた説明書を注意深く読んでみると、女性化になる可能性・症例が出ていると書いてあった。 思わず大笑いだった。女性化を取るか、髪の毛を取るか、それが問題である。 新しく出版する予定ののゲラチェックをしている。読んでいると、色々と懐かしい思い出が出てくる。読んで思うのだが、昔から、信念や哲学は首尾一貫している。というか、少しも変わっていない。というか、進歩が無いのかも。 あれから、10年。また謹慎記念日がやって来る。実に感慨深い。 1998年10月13日。捲土重来・臥薪嘗胆を誓ったあの頃。思えば、あの頃から、既に今の日々・状態を目標にしていた。しかし、その目標と

    『謹慎記念日』
    takuya-itoh
    takuya-itoh 2008/10/12
    "やはり、登山は、登頂より、その過程にこそ価値や遣り甲斐を見出せるのではないだろうか? その過程の労苦こそが、登頂の達成感や感動を生むのだと思う。マラソンと同じである。"
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