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ブックマーク / cinelli-nero.hatenadiary.org (5)

  • くまもとにもどりまして - やくにたたないホニャララ

    は豊かなのだ。 こちらに戻っての印象。 豊かさの定義を調べると 1 満ち足りて不足のないさま。十分にあるさま。「黒髪の―な女性」「緑―な森」「才能の―な画家」「国際色―なマラソン大会」 2 経済的に恵まれていてゆとりのあるさま。「―な家に育つ」「―な生活」「給料日後で懐(ふところ)が―だ」 3 心や態度に余裕があって、落ち着いているさま。「―な心を育む音楽」「心―に余生を過ごす」 … とある。 個人的に、付け加えるならバリエーションの豊富さと、それを持続できる事だろうか。 こんなデータもある。 消えた年収>給与が低いところで安定していた九州の南部地域「これでもまだマシか」 少し前に発表された『都道府県別幸福度ランキング』で熊は5位。 『幸福度』自体良くわからないし、それを測る指標についても疑問が多いのだが、5位という結果は実感としてわからなくもない。 熊県民の気性を考えるともっと上

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  • いま、地方で生きるということ - やくにたたないホニャララ

    いま、地方で生きるということ 作者: 西村佳哲出版社/メーカー: ミシマ社発売日: 2011/08/11メディア: 単行購入: 3人 クリック: 64回この商品を含むブログ (18件) を見る震災後の東北と九州をめぐり、そこで生きる人達の活動を綴った。 企画(ミシマ社の三島邦弘さん)自体は震災以前からあったらしいが、作者(西村佳哲さん)は荷が重く感じていたとの事。 そこへ今回の震災が起こり、執筆、出版となったようだ。 ミシマ社のは、面白いが多い。 同じ作者さんでも、ミシマ社からだと一味違う。 例えば、内田樹さんのは、ミシマ社から出版された『街場の』シリーズの方が他の作品より面白い。(私は) こういう違いは何処からくるのだろう。 みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの? 作者: 西村佳哲出版社/メーカー: 弘文堂発売日: 2010/12/01メディア: 単行(ソフトカバー)購入:

    いま、地方で生きるということ - やくにたたないホニャララ
  • これまでやって来た事 - やくにたたないホニャララ

    それなりに長く(社会人キャリアの半分以上)在籍したので前職の『まとめ』をしておきたい。 前職は、間接業務(人事や経理など)をサポートするパッケージソフトウエアを開発販売する会社。 いわゆるパッケージベンダー。 自分は開発者だったが、営業サポートや導入サポートで製品説明や運用相談(提案)も行っていた。 後半は、ユーザー会の運営などにも首をつっこんだ。 結局、自分はユーザーと『ダイレクト』にコミュニケーションを取りながら、何かしらを作り上げる事が好きであるようだ。 『ソフトウエアに拘らなくても良いのかもしれない』とは常々考えていた事。 自分が考える、『業務アプリケーション』パッケージベンダーのポイント(自分にとっての課題)は以下。 1.営業段階でソリューションの方向性が8割方決まる 2.ステークホルダーが多層(経営層、マネージャー層、オペレーター層)に存在する 3.ユーザーはアプリケーションを

    これまでやって来た事 - やくにたたないホニャララ
  • 『より良いオペレーション』『より良いソフトウエア』のために - やくにたたないホニャララ

    業務アプリケーションは道具にすぎないと思うし、オペレーションが全てだと思う。 全ての問題はオペレーションに照らし合わせながら解決策を図るべきで、システムを利用するか否かさえ2次的な事。 また、システム利用部門は、コストセンターであるよりもプロフィットセンターであるほうが、ベンダーと建設的な意見交換をしやすい。 利用部門がプロフィットセンターであれば、ポイント1やポイント2の問題も小さくなるはず。 システムの改修も数年に一度よりも、小まめに、クリティカルチェーン的に、せめて年に一回くらいは行われる方が良いと考えている。 負荷は大きく感じるかもしれないが、システム改修が頻繁に行われれば手順も最適化されていくはず。 最終的には、数年に一度ビッグバン的に行うよりも負荷が減るのではと考えている。 数年に一回だと、導入担当者が常に初めての状態であったり、前システムの引継ぎができていない(仕様がわからな

    『より良いオペレーション』『より良いソフトウエア』のために - やくにたたないホニャララ
  • 久しぶりに親と生活する - やくにたたないホニャララ

    秋から地元に帰る。 準備のために1週間帰省したが、いろいろ考えさせられた。 これから両親と一緒に暮らす(もしくは近くで暮らす)となると、お互いに、たまに会う時とは見方が違うし接し方も違う。 まず、両親の老いというものを改めて感じた。 当たり前の事だが、年を取ると筋力は衰えるし、あちこち痛くなる。 それが動作に現れるし、それを直視するのはなかなかに辛いことだった。 ずっと一緒に暮らしていたわけではないので、余計に感じる。 これが年を取るということなんだなあと。 次は自分なのだなあと。 もう一つは、親にとっては子供はいつまでも子供だという事を再認識させられた。 心配するし、世話を焼くし、何かを教えたがる。 親の情報(うちの両親だけかもしれないが)は、新聞、TV、知り合いからの情報(それも大半は新聞、TV)に主観を交えた物。 バリエーションが少なく、鮮度も古い事が多い。 加えて思い込みが強い(親

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