要件を半分に絞り込むしか、残された手はない――。 07年初め、郵政公社の間瀬理事と吉本理事、山下理事らIT部門幹部は、こう覚悟を決めた。07年10月に新規稼働させる人事システムのことである。63プロジェクトから成る暫定対応の中で、最も稼働が危ぶまれた。 「人事部門主導で進めるのは難しいと、あれだけ言ったのに」。3人は憔悴しながら、対応策を練り始めた。 そもそも郵政公社が人事システム刷新の検討を始めたのは02年から03年にかけてのこと。郵政事業庁の時代までさかのぼる。03年4月に日本郵政公社が誕生するのを機に、人事システムの全面刷新に向けた検討を始めたのだ。郵政民営・分社化の議論が本格化する前である。 当時、人事関連のシステムは20弱に分かれていた。約28万人(当時)という職員数、逓信省から郵政省、郵政事業庁、郵政公社と省庁再編を繰り返してきた経緯、特定郵便局など独特の組織形態の存在などから