ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (18)

  • 「なぜ悲劇を観るのか?」ヒュームの悲劇のパラドクスから物語の効用を考える

    愛する人の死や、不幸な運命を描いた悲劇を、なぜ観るのか。 それも、絶頂からどん底までの落差が激しいほど、悲しみの振れ幅が大きいほど、より一層、好んで観たがる。これを「悲劇のパラドクス」と呼ぶ。イギリスの哲学者ヒュームは「悲劇について」でこう述べる。 巧みに作られた悲劇を観ている人たちが、悲しみや恐怖や不安その他の、それ自体においては不快で嫌な気持ちになる情念から受け取るものは、説明のつかない快楽のように見える ヒューム「悲劇について」(『道徳・政治・文学論集』所収) ここでは、ヒュームの主張を軸に、様々な角度から悲劇のパラドクスについて考える。 人の心は動きたがる まず、芸術作品に触れたときの情念について。 ヒュームはこう主張する―――怠惰で気乗りのしない状態ほど、精神にとって不愉快なものはないという。たとえ不愉快で陰なものであっても、平坦で無味乾燥なものよりはうんとマシなのだ。圧迫感に

    「なぜ悲劇を観るのか?」ヒュームの悲劇のパラドクスから物語の効用を考える
  • 詩学、批評の解剖、書くことについて、映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと、ライターズ・ジャーニー等々、「物語の作り方本」のエッセンスを濃縮した『物語のつむぎ方入門』

    数学の公式集ってあるでしょ。よく使う関係式や定数や演算を、コンパクトにまとめたやつ。あれの物語版だと思ってほしい。 「なぜそうなのか」といった証明や由来は最小限にして、エッセンスしか載ってない。なので非常に薄い(なんと61頁!)。もし必要なら、自分で出典に当たってくれとばかりに参考文献だけは充実している。 この61頁に、「読者の興味をどうやって興味を惹くか」の基的なセオリーがまとめられている。小説、マンガ、映画、演劇、どのジャンルにも共通して、物語を面白くするプロットの作り方がある。そして、そのプロットをどう転がせば、読み手や観客の魂を震わせ、深い感動をもたらすかが紹介されている。 いわば、物語作家の虎の巻なのだが、公式集であるが故に、注意すべき点がある。要点というか骨子しか書いていないので、不慣れな人には不親切かもしれぬ。 だから、書の想定読者は2種類になる。 想定読者1:物語の作り

    詩学、批評の解剖、書くことについて、映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと、ライターズ・ジャーニー等々、「物語の作り方本」のエッセンスを濃縮した『物語のつむぎ方入門』
  • 死ぬときに思い出す傑作『イギリス人の患者』

    死ぬときに思い出す小説の一つ。 あれを読めば良かったとか、これがまだ途中だったとか、未練は必ずあるはずだ。どんなに読んでも足りることはないから。そんな後悔の中で、エピソードや描写を思い出し、読んでよかったと言える作品の一つが、『イギリス人の患者』だ。 映画が公開されたときだから、20年以上前に読んだのだが、いま再読しても美しい。詩的で情緒豊かに紡がれる、四人の男女の破壊された人生の物語だ。 あらすじはシンプルだ。 第二次世界大戦の終わり、イタリア北部の半ば廃墟となった修道院が舞台となる。そこで生活を共にするのは、看護婦のハナ、泥棒のカラヴァッジョ、インド人の工兵のキップ、そしてイギリス人の患者となる。人生のわずかな期間にすれ違う男女が、自身の半生を思い出す。 ただし、けっして読みやすい、ストレートなお話ではない。 時系列は無警告で前後するし、エピソードの粒度や解像度はバラバラだ。後になって

    死ぬときに思い出す傑作『イギリス人の患者』
  • やり直せない過去は変えてしまえばいい『グレート・ギャッツビー』

    おっさんになって再読すると、違った面が浮かび上がって面白い。 若いころに読んだときは、自己中男の醜さや、頭空っぽの女の美しさが印象的だった。自己陶酔的な語り手に鼻白んだことも覚えている。 だが、いま読み返すと、ギャッツビーのひたむきな愛が眩しく、可愛そうなくらい未熟で愚かに見える。人生を折り返して、やり直したくてもできなくなった親爺からすると、ギャッツビーの愚かしさは、一周回って愛おしいものになる。 ギャッツビーを「愚か」というのは言い過ぎじゃない? そういうツッコミが聞こえる。 貧乏な生まれながら身一つでのし上がって大金持ちになったギャッツビーが、有り余るカネを湯水のように使って夜な夜なパーティを開く―――愚かに見えるかもしれないが、ちゃんと理由があるからで、それを「愚か」と呼ぶのは言い過ぎだろう……というツッコミだ。 しかし、私が「愚か」と感じるのは、そこじゃない。例えば、語り手である

    やり直せない過去は変えてしまえばいい『グレート・ギャッツビー』
  • 最先端テクノロジーを哲学する『技術哲学講義』

    「セックスロボットは悪なのか」 という議論がある。 精巧につくられた等身大のドールで、触れると温かい。センサーとAIにより、ユーザーが望む反応を学習して応答する、ロボット工学と人工知能の粋を集めたアンドロイドだ。 愛情を深め合うコミュニケーション手段としてのセックスが蔑ろにされ、女性蔑視や暴力へつながるかもしれない。一方で、感染症の心配もなく安心して愛情を注げるパートナーに救われる人もいるだろう。 あるいは、 「アンドロイドが運転する車が事故を起こしたら、誰に責任を問うべきか?」 という議論がある。 AIは人間よりも安全運転できるだろうから、自動運転をベースとした車社会を設計すべきだという意見がある。一方で、プログラムや学習データの不具合によってAIが暴走する可能性は残されており、その影響は計り知れないという人もいる。 こうした議論は、論点が噛み合わないか、漠然とした話になりがちだ。意識と

    最先端テクノロジーを哲学する『技術哲学講義』
  • 科学研究はどこまで信用できるか『あなたの知らない研究グレーの世界』『サイエンス・フィクションズ』

    研究不正について、私の認識が間違っているのかもしれない。もし誤っているのであれば、指摘してほしい。 まず、2つのケースを紹介する。次に、私の判断を述べる。 ケース1 薬剤Xがタンパク質の血中濃度を上昇させるという仮説検証のため、動物実験を行った。薬剤Xの投与で濃度の平均値は増加することが判明したが、統計学的検定ではp=0.06と、有意水準の0.05にわずかに届かなかった。教授に相談したところ、追加実験を行うこと、さらに実験のたびに検定をして、p<0.05を得た時点で実験を終了するよう指示を受けた。 ケース2 疾患Yの重症化因子を調べるため、診療録から収集した疾患Y患者のデータを元に、臨床検査値と生活習慣の関連性を分析したところ、生活習慣Zを有している患者の予後が不良となる結果を得た。そこで「生活習慣Zを有する疾患Y患者は予後不良である」と学会発表した。 私の考えはこうだ。 ケース1は、 「

    科学研究はどこまで信用できるか『あなたの知らない研究グレーの世界』『サイエンス・フィクションズ』
  • エンタメの恐怖はニセモノなのか『恐怖の正体』(春日武彦著、中公新書)

    ネットで肝試しするなら「蓮コラ」画像が手軽だ。ちょっと検索するだけで簡単にゾワゾワできる。「集合体恐怖症(トライフォビア Trypophobia)」で検索するのもあり。生理的にダメな、見てはいけないものを見ている感覚を味わえる。 あるいは、youtubeで「フライングスーツ flyingsuits」を検索してもいい。ムササビみたいな恰好をして滑空する映像を「一人称で」見ることができる。スカイダイビングとは異なり、切り立った崖から飛び降りるのがスタートだ。だから映像は、飛び降り自殺する人が見ている(見ていた)視点と重なる。 Wingsuit Flight - straight & steep line より 高所恐怖症なら、「Raw Run」で検索しよう。スケボーで長い坂道を延々と滑り降りる映像なのだが、背筋ゾゾゾとなるのを請け合う。乗ってる人はほぼ丸腰で、ヘルメットもしていないのもある。公

    エンタメの恐怖はニセモノなのか『恐怖の正体』(春日武彦著、中公新書)
  • ジョージ・オーウェル『1984年』を山形浩生訳で読んだら驚くほど面白かった

    有名だけど退屈な小説の代表格は、『一九八四年』だ。全体主義による監視社会を描いたディストピア小説として有名なやつ。 2017年、ドナルド・トランプが大統領に就任した際にベストセラーになったので、ご存知の方も多いだろう。「党」が全てを独裁し、嘘と憎しみとプロパガンダをふりまく国家が、現実と異なる発表を 「もう一つの事実(alternative facts)」 と強弁した大統領側近と重なったからかもしれぬ。 『一九八四年』は、学生の頃にハヤカワ文庫で読んだことがある。「ディストピア小説の傑作」という文句に惹かれたのだが、面白いという印象はなかった。 主人公のウィンストンは優柔不断で、あれこれグルグル考えているだけで、自ら行動を起こすというよりも、周囲の状況に流され、成り行きで選んでゆく。高尚な信念というより下半身の欲求に従っているように見える。 「党」を体現する人物との対話も、やたら小難しく何

    ジョージ・オーウェル『1984年』を山形浩生訳で読んだら驚くほど面白かった
  • 「若い頃の自分に教えたいこと」を集めた名言集『他人が幸せに見えたら深夜の松屋で牛丼を食え』

    40~60代のおっさん達に、「もし若い頃の自分にアドバイスができるなら、何を伝える?」と聞きまくって集めた名言集。 聞いた場所も、東京なら赤羽・上野、大阪なら新世界、名古屋なら栄の飲み屋街に限定してる。出てきた答えは、下品で下世話で下半身ネタだらけだけれど、心底その通り!と言いたくなる名言ばかり。 誰も教えてくれなかったけれど、長いこと生きてきて、ようやく身に沁みて分かった、何気ない一言が集められている。職場呑みの宴席とか、独りで入った飲み屋のカウンターで、こっそり教わる人生の教訓だ。 わかる人には痛いほどわかるやつで、分からない人は、きっと、幸せな人生だと言えるだろう。 人は、傷ついた分だけ、性格が悪くなる ラブソングとかで、「傷ついた分だけ、人は優しくなれる」というフレーズがある。手垢にまみれまくっているが、これはウソ。 あんなの心地いいだけで、タワゴトです。真実は真逆で、傷ついた分だ

    「若い頃の自分に教えたいこと」を集めた名言集『他人が幸せに見えたら深夜の松屋で牛丼を食え』
  • ミスを責めるとミスが増え、自己正当化がミスを再発する『失敗の科学』

    人はミスをする。これは当たり前のことだ。 だからミスしないように準備をするし、仮にミスしたとしても、トラブルにならないように防護策を立てておく。人命に関わるような重大なトラブルになるのであれば、対策は何重にもなるだろう。 個人的なミスが、ただ一つの「原因→結果」として重大な事故に直結したなら分かりやすいが、現実としてありえない。ミスを事故に至らしめた連鎖や、それを生み出した背景を無視して、「個人」を糾弾することは公正なのか? 例えば、米国における医療ミスによる死亡者数は、年間40万人以上と推計されている(※1)。イギリスでは年間3万4千人もの患者がヒューマンエラーによって死亡している(※2)。 回避できたにもかかわらず死亡させた原因として、誤診や投薬ミス、手術中の外傷、手術部位の取り違え、輸血ミス、術後合併症など多岐にわたる。数字だけで見るならば、米国の三大死因は、「心疾患」「がん」そして

    ミスを責めるとミスが増え、自己正当化がミスを再発する『失敗の科学』
  • 過去は現在に作り変えられる―――嵐が丘、T.S.エリオットから、ガラスの仮面、童夢まで―――鴻巣友季子さん「円環する古典文学」講演会まとめ

    過去は現在に作り変えられる―――嵐が丘、T.S.エリオットから、ガラスの仮面、童夢まで―――鴻巣友季子さん「円環する古典文学」講演会まとめ 鴻巣友季子さんとEve Zimmermanさんの講演&座談会を見てきた。 お二人とも日英両語に精通し、多岐にわたる翻訳書を上梓されている研究者だ。古典が新たな訳を得て、「新刊書」として世に出るときに「ねじれ」が生じる現象や、原作←→新訳が互いに及ぼす影響について、お二人が濃密に語り合う90分間だった。 現在が過去に及ぼす影響 最も興味深かったのは、文学における現在が過去に及ぼす影響の件だ。 「ん?逆じゃね?過去から現在への影響でしょ?」 わたしも同じことを感じた。過去は既に確定したもので、時は過去から現在に流れるものだ。従って「過去→現在」への影響はありこそすれ、「現在→過去」は無いだろうと思った。 ところが鴻巣さんは、「翻訳」と「翻案」を手がかりに、

    過去は現在に作り変えられる―――嵐が丘、T.S.エリオットから、ガラスの仮面、童夢まで―――鴻巣友季子さん「円環する古典文学」講演会まとめ
  • 2024年1月1日からAmazonアフィリンクの画像が表示できなくなりそうなので、対応をまとめた

    以下、私のやり方であって「正解」ではないかもしれないのでご承知おきを。 11/30 Amazonより以下のメールが届いた。 お知らせ欄で告知しております通り、2023年11月30日(木)をもってアソシエイトツールバーの「画像リンク」及び「テキストと画像」リンクを廃止させていただきます。 画像リンク作成機能を使用して作成されたリンクは、2023年12月31日(日)以降表示されなくなります ので、画像リンクを掲載されている場合は、お早めに別のリンクへの差し替えのご対応をお願いいたします。 強調表示の内容は、Amazonアソシエイトの「お知らせ」には載っていない。そのため、twitter で騒ぎになっていないので、このメールが「ガセ」という可能性もある。 だが、もし当なら、私にとって、わりとヤバい話になる。というのも、ブログに書影を表示させるため、この機能を使っているから。 そして、画像を表示

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  • なぜ、あの人は、あやまちを認めないのか?

    「謝ったら死ぬ病」をご存知だろうか? どんなに証拠を突き付けても、絶対に非を認めない人だ。 プライドの高さや負けず嫌いといった性格的なものよりもむしろ、過ちを認めることが、自分の命にかかわるものだと頑なに信じている。すなわち、「謝ったら死ぬ」という病(やまい)に取り憑かれている―――そんな人がいる。 もちろん、想像力が衰えて視野が狭く、無知な自分を認めたがらないような頑固者なら、可哀そうに思えども理解はできる。 だが、第一線で活躍する知識人や学者で、ものごとを客観視できるはずなのに、この病気に罹っている人がいる。それどころか、その優れた知性を用いてコジツケを考えだし、論理を捻じ曲げ、のらりくらりと言い逃れる。 なぜ、あの人は、あやまちを認めないのか? ずばりこのタイトルの書を読んだら、疑問が氷解した。 それと同時に、「謝ったら死ぬ病」は私も罹患していることが分かった。「あの人」ほどは酷く

    なぜ、あの人は、あやまちを認めないのか?
  • 知覚できないが実在するもの『天然知能』

    お掃除ロボット「ルンバ」は、段差のないフローリングを自在に動き回り、人の代わりにキレイにしてくれる。小さな紙切れから、大事にしていた指輪まで、吸い込めるものは全て吸い込もうとする。 では、ゴミとは何なのか? ルンバの発明者であり、MIT人工知能研究所の所長でもあるロドニー・ブルックスは、これ以上ない明確な回答をする。 「ルンバが吸い込んだものがゴミだ」 これは、人工知能質を見事にいい当てているという。ルンバにとって、自分では吸い込めない、大き目の紙コップや空缶は、ゴミとして認識されない。故にゴミではない。 もちろんルンバが改良され、カメラによって紙コップや空缶を認識し、正しく分別できる時代が来るかもしれない。だが、そのルンバが認識できない、粗大ゴミやネズミの死骸は、やはりゴミではない。さらに改良を重ねても同様で、自分が扱えないものはゴミとして認識できない……そういう思考様式だ。 一方

    知覚できないが実在するもの『天然知能』
  • むりやり天国つくるなら、たいてい地獄ができあがる、完全無欠のユートピア『われら』

    完全な社会秩序が実現された理想的な国家のことを、ユートピアと呼ぶ。 「ユートピア」は多義性がある。 まず、eutopia、つまり eu-(良い)場所という意味でなら、プラトンの『国家』やガリヴァーの 『フウイヌム国」、今なら『ハーモニー』の「生府」になる。富や格差は存在せず、「みんな」が平等で公平な社会であり、何よりも教育と健康が優先される。 一方、utopia、つまり u- (否定辞)になると、「どこにも無い場所」になる。来はこちらが正しく、eutopia は誤用らしいが、二つを掛け合わせて、「どこにもない理想社会」と解釈する向きもある。 この解釈にはヒヤリとさせられる。なぜなら、造語したトマス・モアによると、utopia は格差がない代わりに人間の個性を否定した管理社会の色彩が強く、全体主義の文脈で語られるものだからだ。 「ユートピア」の極限=ディストピア では、この「どこにもない理

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  • 原文で読むからこそ味わえるヘミングウェイの文章の味『ヘミングウェイで学ぶ英文法』

    正直に告白すると、ヘミングウェイは苦手だった。 簡潔で、説明不足で、ぶっきらぼうな文体だったから。 しかし、このを読んで、考えが変わった。 例えば、”Cat in the rain” における、雨宿りをしている子を見かけたが、夫に告げるシーンだ。 “I’m going down and get that kitty,” the American wife said. “I’ll do it,” her husband offered from the bed. “No, I’ll get it. The poor kitty out trying to keep dry under a table.” 書の解説で、「現在進行形(I’m going)と will の違いが分かりますか」と問いかけられる。 え? be going ~って、結局、『~するつもり』だから、will と一緒で

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  • コンピュータは創造性を持てるか?『レンブラントの身震い』

    「コンピュータは創造性を持てるか?」という問いを目にするたびに、この「俳句」を思い出す。 かかかかかかかかかかかかかかかかか 俳句は五・七・五の定型詩だから、十七音になる。濁音などもあるが、日語を五十音とすると、俳句の全ては50^17(50の17乗)首になる。 その解は、7.62939453×10^28という途方もない数字である。字余り・足らず・自由律も考えるとさらに膨大になるが、組み合わせはコンピュータの得意技だろう。一つ一つ見てゆくと、膨大なデタラメの中に、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」だってある。冒頭の「俳句」は膨大な中の一首だ。 問題は、「かかかかか」から「法隆寺」を選び取ることにある。そしてそれは、人にしかできない。 もちろん、優れたコードであれば、季語を判断したり、言葉として成立している組み合わせに絞れるかもしれない(実際ある※1)。 だが、そこから、創造的な、良い句を選び取

    コンピュータは創造性を持てるか?『レンブラントの身震い』
  • 「ジャンプ最高のマンガ」がバラバラになる理由『好き嫌い 行動科学最大の謎』

    「週刊少年ジャンプで最高のマンガは?」 この答えは、必ずといっていいほど割れる 気持ち的にスラムダンク推したいが、やはりドラゴンボールだろうか。だが、ワンピこそ最高という人、完結さえすればH×Hだという人、売上的にも鬼滅という人、様々だ。 面白いことに、学生時代の友人だと被るのに、若者と話すと違ってくる。たしかに呪術やヒロアカは凄いけど、それを「ジャンプ最高傑作」と言われると違う気がする。 老害承知で「ドラゴンボールって知ってる?」と尋ねると、「知ってはいますが、読んでません」とにべもない。さらに、「あれ好きな人って、マンガだけでなく、ゲームやアニメで何度も目にしているから好きなんでしょ?」と畳みかけられる。 ううむ、確かに…… ドラゴンボールがジャンプ最高傑作である理由 私のモヤモヤは、『好き嫌い 行動科学最大の謎』で解消される。 何度も目にしたキャラや、あちこちで耳にした音楽が好きに

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