JALの機内誌SKYWARD、浅田次郎の連載で二回にわたって棄老伝説が取り上げられています。 「姥捨て」と呼ばれる慣習は全国のどこにでもあり、深澤七郎は『楢山節考』でその年齢を数え70歳にしていますが、それは小説に今日性を持たせるための設定。本当は60歳で姥捨てです。 令和の世では60代はまだ若く、働いている人も多いのですが、昔は60になると個人差も考慮されず、山奥へ棄てられていたのです。貧しい村を維持するための社会慣習であり、負の歴史であるから文書には残されず伝説として語り継がれてきました。 『楢山節考』の舞台は山梨県笛吹市。柳田國男の『遠野物語』とにも同じ話があり、兵庫、山口、宮崎、佐賀にも同様の伝説があると浅田次郎は書いています。 棄老の慣習が儒教的道徳の定着する以前から私たちの暮らしの中にあった、ずっとプリミティブな、ずっと土俗的なものであったと言えはすまいか。考えるだに恐ろしい話