ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (232)

  • 「ネット依存」の時代を生きて - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:ネット依存について思うこと | blog.yuco.net これを読んで、僕がふと考えたのは、「そういえば、今みたいにネットばっかりやるようになる前、僕は『今ならネットをやっている時間』を、どう過ごしていたのだろう?」という疑問でした。 そんなに昔の話じゃなくて、せいぜい15年くらい前のことです。 でも、「そんなに昔の話じゃない」はずなのに、なかなか思い出せないものですね。 記憶を辿ってみると、テレビを見たり、ビデオを見たり、を読んだりゲームをやったり…… ああ、結局いまとあんまり変わらないかも。 当時はもっと仕事が忙しくて、自分の時間そのものが少なかったしなあ。 いまは子どもがいるので、「純粋な自分のためだけの時間」というのは、やっぱり少ないといえば少ないんですが。 いま、電車の中ではスマホをいじっている人が多いし、外で注文のあと料理が出てくるまでの時間も、ネットに繋いで

    「ネット依存」の時代を生きて - いつか電池がきれるまで
    taro-r
    taro-r 2012/10/25
    こんなことばかりやっていて,ダメになる(何も産み出さない)と思うなら止めればいいし,関係ななら,続ければいいと思う。
  • 「口だけの人」が世界を変える - いつか電池がきれるまで

    『社会契約論』で有名なルソーは、『エミール』という教育論でも知られているのですが、実は、ルソーは自分の5人の子どもを孤児院に入れています。 「父親としてやっていく自信がない」という理由で。 押井守さんが、著書『立喰師、かく語りき。』のなかで、こんな辛辣な宮崎駿評を書いておられます。 (引用はじめ) 押井:この間の『ハウルの動く城』だって、「CG使ってないんだ」って宮さん(宮崎監督)は言い張ってたけど、現場の人間は使いまくってるよ。あの人が知らないだけだよ。まるきり裸の王様じゃないか。それだったら、自分の手で(CGを)やったほうがよっぽどましだ。いや、わかりやすくて面白いから、つい、宮さんを例に出しちゃうんだけどさ(笑)。 いかに中性洗剤使うのやめたって言ったところで、結局は同じことじゃない。宮さん、別荘に行くとペーパータオルを使ってるんだよ。そのペーパータオルを作るために、どれだけ石油燃や

    「口だけの人」が世界を変える - いつか電池がきれるまで
    taro-r
    taro-r 2012/10/01
    これ,以前悩んだ。自分は自分ができないことを他人に要求するのは抵抗あるんだけど,それをやった方がいいという人もいて…結局のところ良くわからない。まぁ相手を見ていうけど。
  • 「他人を失望させること」への恐怖 - いつか電池がきれるまで

    映画『ドラゴン・タトゥーの女』のなかで、とても印象的なセリフがありました。 主人公と2人きりになった、ある登場人物が、こう言ったのです。 「人間というのはおかしなものだ。怖いという感情を抱いていても、他人の機嫌を損ねないように行動してしまう」 伊集院静さんが、『大人の流儀』というエッセイ集のなかで、こんな話をされています。 当人がどれだけ注意していても災難の大半は向こうからやってくる。交通事故と同じだ。 スイスの登山鉄道、ユタ州の自動車事故と楽しいはずの海外旅行での悲劇が続いた。 自動車事故の方は原因がまだはっきりしないが、運転手の過労による運転が取り沙汰されている。同業者の弁で、何度か車が右に左にゆれるように走ったと言う。 このことが事実だとしたら、なぜ誰かがその場ですぐに運転手に注意しなかったのか、それが私には解せない。 時々、私は遠出のときやゴルフで車を手配されることがある。『その折

    「他人を失望させること」への恐怖 - いつか電池がきれるまで
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    taro-r 2012/09/25
    これは,嫌われるのが怖いのではなくて,逆ギレされるのが怖いのです。自分の場合。
  • 「正しすぎることは、間違っていることと同じだ」 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:NHK大河ドラマ『平清盛』第37回 2012.9.23放送「殿下乗合事件」あらすじ 昨日の『平清盛』を観ていて、なんだかすごくモヤモヤしてしまったので書いておきます。 平家の動きをいまいましげに見ていた摂政・基房(細川茂樹)。ある日、基房は平家を陥れる機会を手にする。京の橋で鷹(たか)狩りから帰る途中の重盛(窪田正孝)の嫡男・資盛(すけもり・大西健誠)と鉢合わせした基房は、因縁をつけて従者たちに資盛を襲わせる。礼儀を重んじる重盛ならば、わが子が辱めを受けても摂政の基房には復しゅうすることはないと計算しての犯行だった。 基房の予想どおり、重盛はこの事件について礼節を欠いていた資盛を叱るのみだった。時子(深田恭子)は、平家と藤原摂関家の一大事であり、訴えるべきだと主張するものの、重盛は聞き入れない。このことを知った福原の清盛や盛国(上川隆也)は、重盛らしい公明正大な裁断だと評するが

    「正しすぎることは、間違っていることと同じだ」 - いつか電池がきれるまで
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    taro-r 2012/09/24
    このセリフはわたしもなかなか深いな…と思った
  • 「イヤなら対案を出せ!」って、怖くない? - いつか電池がきれるまで

    「これがイヤなら対案を出せ!」 そういう政治家の言葉を聞くたびに、僕はなんかモヤモヤしてしまっていたのです。 うーん、これ、なんか違うんじゃないのか? というか、「政治」って、そういうものなのだろうか? 患者さんに、治療方針の説明をすることがよくあります。 そういう場で、こんなやりとりになったら、どうでしょうか。 医者「私は手術が良いと思います。どうですか?」 患者「うーん、手術か……怖いな、ちょっと考えさせてください。何か他の方法はないんでしょうか……」 医者「そうですか、手術がイヤなら対案を出してください。出せないんだったら、手術に決めますからね、いいですね!」 こんなの怖いよね。 僕だったらこんな医者には診てほしくない。 こういう場合、医者というのは、「私は手術をオススメしますが、手術した場合と手術しなかった場合には、それぞれこういうメリットとデメリットがあって、もし手術はどうしても

    「イヤなら対案を出せ!」って、怖くない? - いつか電池がきれるまで
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    taro-r 2012/09/14
    書かれているように「対案を出せ」は同じスキル同士がする会話だと思う。/ただ専門家に「他に手がないのです」と言われたら,素人はどうすればいいんですかねぇ…。「別の人に頼みます」くらいしか出来ない。
  • 「ずっと同じことをやっているのに」の罠 - いつか電池がきれるまで

    『サブカル・スーパースター伝』のなかで、唐沢俊一さんが「と学会」について、「20年も同じようにトンデモさんをからかい続けるのもけっこう疲れる」(僕の意訳です)というようなことを仰っていたのだけれども、僕はそれを読んで、「唐沢さんの自覚としては『ずっと同じことをやっている』なのだなあ」と思ったのですよ。 ネットでは、ときどき、有名ブロガーや芸能人が無名の人に反論したりリツイートすることに対して「あなたは大手なのだから影響力を考えろ」というような意見をぶつけてくる人がいる。 それに対して、「弱小だろうが大手だろうが、やっていいこと、悪いことは同じはずだ」と考えている人もいる。 僕はずっと後者の考えだったのだけれど(だって、大手の人たちは、影響力を行使できるかわりに、多くの批判を浴びせられるわけだし)、この唐沢さんの話を読んで、「人にとっては『同じことを続けている』のであっても、やっぱりその

    「ずっと同じことをやっているのに」の罠 - いつか電池がきれるまで
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    taro-r 2012/08/24
    わたしは同じことをやっていくのであれば,最初から自分が大手であるつもりでやるべきだ…と思う。弱小だから許されるという気持ちでやるのはむしろおかしい。
  • 「金魚プール事件」で考えたこと - いつか電池がきれるまで

    金魚放したと女子中生「多すぎて飼えず」(日刊スポーツ) 埼玉県狭山市の市立入間川中学校で、プールに投入されているのが見つかった300~400匹の金魚について、同市などの中学3年の女子生徒4人が金魚を放したと説明していることが10日、捜査関係者への取材で分かった。 捜査関係者によると、4人は7日午後、保護者と狭山署を訪れ「金魚をもらったが、多すぎて飼えず、プールに放した」と話した。週末に市内であった祭りで金魚すくいの売れ残りなどを入手、うち3人がプールに放したと説明したという。 そんなの最初に「多すぎて飼えない」ことに気づけよ……という話ではありますが、当初は「業者が捨てたのではないか」などと言われていたこの「金魚放流事件」、いちおう、これで決着となったようです。 そもそも、業者も「売れ残りを300匹も誰かにあげる」と、どうなるかなんてことはわかりきっていそうなものですけど。 ただ、この話を

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    taro-r 2012/08/10
    答えはひとそれぞれ…の様に思うんだけど,案外社会が強要するんだよなぁ…。
  • はるかぜちゃんの絶望について - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:春名風花・ぼくは腹の底から泣いた - Togetter 僕は、コメント欄も含め、このまとめを読んで悲しくなりました。 なんでここまでの「覚悟」を「はるかぜちゃん」がしなければならなかったのか。 この「まとめ」によると、はるかぜちゃんは、当初は「エゴサーチをして、自分が関わったものについてのみんなの感想を調べ、参考にしていた」けれど、「ひとつひとつの意見に対して、個別にリアクションは起こさないようにしていた」ようです。 ずっと、がんばって「スルー」してきていたのです。 僕などは、はるかぜちゃんと比較することすらおこがましい「弱小」なのですが、それでも、自分のブログに対するさまざまな意見や批判が目に入ってくると感情が揺れてしまうことが少なくないので、最近はもう、ブログのコメント欄も閉じましたし、自分のエントリへの言及記事なども、見ないようにしています。 長年やっていると、「あっ、こ

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    taro-r 2012/07/25
    わたしも,自分が得られるものがある戦いにしか挑むべきではない…と思う。勝ち負けではない。
  • 3歳の息子が「かさじぞう」から学んだこと - いつか電池がきれるまで

    3歳の息子は寝るときに、僕かに「おはなしして~」とねだります。 昨日は、が息子に、この「おはなし」をしていました。 参考リンク:「かさじぞう」(民話・むかし話のページ) 僕もこの「かさじぞう」子どもの頃に聞いたことはあったのですが、この年になってみると、なんだかすごく心にしみます。 がんばってつくった「かさ」がひとつも売れず、打ちひしがれたおじいさんが、それでも雪に埋もれている「お地蔵さん」をみて、「寒そうだから」と、かさをかぶせてあげるなんて、おじいさんは当に優しいなあ。 「経済的な困窮」が、心をささくれ立たせることを知っている僕は、息子よりも、このおじいさんの行為の素晴らしさを実感できます。 もっとも、この物語が生まれた時代では、単なる「やさしさ」だけではなく、「信仰心」の大切さも伝えたかったのでしょうけど。 この「かさじぞう」のおはなしを聞いた息子の感想。 「じゃあ、こんどぼく

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    taro-r 2012/02/22
    わたしはお地蔵さんが,その贈り物をどこから持ってきたのかが気になった。
  • 「ウソ」が大嫌いなインターネットの聖人たちへ - いつか電池がきれるまで

    「ウソは泥棒のはじまり」だと言う。 もちろん、ウソは悪いことだ。 僕だって、つきたくも、つかれたくもない。 しかし、「絶対にウソをつくことが許されない世界」というのは怖くないだろうか。 息子は、3歳になった。 家の中でかくれんぼをしていて、「あっ、○○くんだ!」と僕が言うと、息子は「ちがいます。ライトニング・マックイーンです!」と答えた。 このウソつき! でも、僕は、息子がウソをつけるようになったことが、少しだけ嬉しかった。 こいつは、この世の中で生きていくための、小さな一歩を踏み出したのだ。 もちろん、すべてのウソを許しているわけじゃない。 人を傷つけるようなウソには、「そんなウソをついちゃダメ」と言っている。 絶対に、ウソをつかない子供たちがいる。 その子供たちは、「ウソをついてはいけない」という宗教の教義に忠実な親に育てられてきた。 ウソをついたら、「地獄に堕ちる」と、徹底的に罰を与

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    taro-r 2012/01/25
    嘘をつくのはいけないのではなくて,大変なことになるのです。それに対し責任を持てるかとか,乗り越えられるか?…を問うべきだと思う
  • 「デジタルの永続性」の噓 - いつか電池がきれるまで

    最近僕が考えていること。 みんな「電子化」=「便利」だというイメージを持っているけれど、それって、当に事実なのだろうか? 僕自身、古くなって、動かなくなったパソコンの中にたくさんデータを置きっぱなしにしているし、もう見ることができない大量のVHSテープを所有しています。 「デジタルの永続性」というのは、デバイス(使用する機器)の変化によって、けっこう失われてしまうのです。 それに比べると、物質としてのとか写真というのは、捨てないかぎり、そこに存在し続けている。 人類全体で考えれば、デジタル化されたもののほうが「どこかにある」可能性は高いでしょう。 でも、プライベートなものに関しては、電子データをそんなに信頼しないほうが良いんじゃないか、とも思うのです。

    「デジタルの永続性」の噓 - いつか電池がきれるまで
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    taro-r 2011/12/23
    どこかの人がフォーマット変換をサポートしてくれないと,ディジタルデータは墓場に埋められちゃいます。もうフロッピーも売ってないし,MOのデータとかも取り出すの大変。そもそも電気がなくなったら全部アウト。
  • ブログが「適切な広まり」で読まれるのは難しい - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:人の情報をサルベージすることは、当事者に炎上に似た恐怖を与える - lovelycharmyの日記 この話について、いくつか。 僕はあのエントリが失われてしまったことがとても残念だ。 以前にも、「妊娠が難しいと言われていたに子供ができた時の話」とか、「福島にとって原発は必要だと思っていたという告白」に、多くの人がいつき、そして、跡形もなくなるまで引きちぎって去っていったのを覚えている。 心ない人たちが、自己満足のために「個人情報曝し」をしたのは悲しいことだ。 この人は、言いようのない悲しみをようやく言葉にして、それを自分のなかだけでは抱えきれなくて、海に手紙を入れたボトルを流すような気持ちで、ネットに公開したのだと思う。 しかし、あれをブックマークした人間のひとりとしては、「ネットに公開してしまったからには、それを煮たり焼いたり、『それでも結婚できるだけマシだろ、オレなんか

    ブログが「適切な広まり」で読まれるのは難しい - いつか電池がきれるまで
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    taro-r 2011/11/28
    プロであるはずの芸能人ですら,予想外に売れて,戸惑うことは良くあるからなぁ。