神戸のインターナショナルスクールであるマリスト国際学校在学中、歌手を目指す為に通っていた音楽学校で17歳の時にCBSソニーの酒井政利にスカウトされた[3]。「日本で既に売れているミュージシャンが海外に拠点を移す前に、リスクの少ない日本人の新人歌手を海外でデビューさせて成功させて、いずれは日本の洋楽部門で逆輸入させて、来日コンサートをしよう」という会社の方針で1987年にイギリス・ロンドンに行くこととなった。デビューまでレコーディングスタジオでお茶汲み・雑用・事務作業をし、余った時間で歌・ダンスのレッスンをして、2年ほど現地で経験を積んだ[3][4][注釈 1]。 1990年2月、ユーロビートで有名なストック・エイトキン・ウォーターマンのプロデュースにより英CBSレコードからKAKKO名義で「We Should be Dancing」をリリース、UKチャートで最高101位を記録した。セカンド