「新・日英同盟」と言われるほどの急接近を続ける日本と英国だが、かつての「日英同盟」はなぜ解消に至ったのか、改めて検証の必要がある。日露戦争の勝利や第一次世界大戦後、「(戦勝)五大国」に列せられるまでになったのは、日英同盟の存在が大きい。言わば「後ろ盾」とも言えた同盟関係の解消と、日本の国際連盟の脱退、日独伊三国同盟締結、太平洋戦争開戦、そして敗戦と日本の命運が180度暗転したこととは、決して無関係ではない。 日本にとっての生命線はなぜ断たれたのか 日露戦争の勝利に寄与し、アジアの大国に導いた日英同盟は、日本にとって生命線だった。第一次世界大戦後、米・英・仏・伊と並ぶ「(戦勝)五大国」の一国としての国際的地位を担保した。その日本外交の基軸、日英同盟をなぜ締結から20年で廃棄してしまったのだろうか。 まず原因として挙げられるのは、新興の大国、米国による介入だ。日露戦争後の日本の大陸進出に不満を
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