Author:F爺・小島剛一 F国(= フランス)に住む日本人の爺さん。 専門は、言語学(特にトルコ語、ザザ語、ラズ語など)、民族学、日本語文法、作曲・編曲、合唱指揮など。 詳しいことは「Catégories」欄の「自己紹介」という記事に。
10年ほど前、スイスの山の上で偶然に出会った、日本人のガイドさんが、「スイス人の不幸は、公用語をスイス語としないで、ドイツ語にしたことだ。スイス人はドイツ語が下手だから、有力企業の偉い人はドイツ人ばかりで、スイス人はいない」と言っていました。思わず、「ドイツ語圏のスイスでも?」と聞き返したら、「その通り」という返事で、その話は旅行中で一番印象に残りました。真偽のほどはわからなかったのですが、そんなものなのでしょうか? フランス語圏のスイス人のフランス語の場合はどうなのでしょうか?ということも気になりました。 michiko.kyさん スイスでは、知ったかぶりでスイスの悪口を言う輩に遭遇したようですね。聞くに堪えない引用に取り消し線を引きます。 >「スイス人の不幸は、公用語をスイス*語としないで、ドイツ語にしたことだ。 「スイス*語」という名前の言語は、存在しません。 その日本人自称ガイドが
F爺様 私は、学校で、「早春賦」を習っていません。 You Tubeで聴いてみました(倍賞千恵子、芹洋子、ダークダックス、由紀さおりと安田祥子、NHK東京児童合唱団、ダ・カーポが、それぞれ歌ったものと、伴奏のみのものです)が、 やはり、子供の頃に習ったことは、なかったはずだ、と確信しました。 今回、聴いてみての感想ですが、「歌いにくそうだな。自分が歌うのは無理だ」ということが第一です。 第一問 「風」と「思へど」は、F爺様のご指摘を読んだので、「言われてみると、変だな」と思いました。 しかし、何の前情報もなしに聴いていたら、そう思わなかったかもしれません。 また、一番の最後、「声も立てず」は「こええもたあてず」と、二番の最後、「雪の空」は「ゆきいのそおおら」と、三番の最後、「この頃か」は「このおこおろか」と聞こえるのですが、 ここの部分は、メロディーに歌詞をねじ込んでいる、という印象を受け
三郎さん 抜け字のご指摘、ありがとうございます。早速ご覧のように修正しました。ご確認ください。 >平原エンジニアリングサービスの剽窃に関わる一連の記事を読んで驚いています。(・・・)あまりにひどい剽窃の経緯に、呆れて物も言えません。後ほど、別記事のアンケートにも投稿しようと思います。 アンケートへのご回答をお待ちしております。どの記事に付くのか、楽しみです。 小島さんへ 「平原エンジニアリングのコラム」は確かに「剽窃」というか「盗用」が多いです ね。 断言できます。 平原エンジニアリングのコラムに「江戸時代日本の識字率に関する文章」が載っています ↓ http://www.hes-ltd.co.jp/column/541/ これと、 ↓ 日本の世界一 ≫ 監修者 : 桜の花出版株式会社 が掲載している江戸時代日本の識字率に関する文章 http://www.hes-ltd.co.jp/col
小島さんへ ありがとうございます。 「人間の話す言葉は、すべて言語だ」 「言語と方言は、同じ物の異なった面」 「同一の方言連続体に属しない言語は、別言語である」 全て、初耳です。目から鱗が何枚も落ちたような気がします。 「訛った日本語」というのも変な言葉です。「訛っている」という言葉自体、意味不明で、差別感が漂っているのですね。よくわかりました。今まで、あまり考えもせず、「訛っている」と使っていたかもしれません。以後、気をつけます。 火狐さん 説明がまた難し過ぎはしないかと心配でしたが、ご理解いただけたようで安心しました。 >「訛っている」という言葉自体、意味不明で、差別感が漂っているのですね。 「訛る」は、母音音素、子音音素、音調、抑揚などに関して「崩れた発音をする」という意味です。しかし、そう評価することが必ず差別発言だとは限りません。 日本語人が「LとR」や「BとV」「boatとbo
ひとつの農作物の生産から流通、消費までを、印象に残りやすい数字で紹介してくれる面白い記事でした。 大規模農業においては、本来の自然条件以上に、経済力、農業技術、物流など「人の手」に依る部分が本当に大きいのだなと感じます。ある作物の一大産地だからといって、その土地の諸条件がその作物に適しているとか、古くからその土地に根づいていた作物であるなどと想像するのはあまりに短絡的なのですね。 消費量に関しては、上位三地域と比べて人口も少ないはずのアラブ首長国が5%も占めていることに驚きました。 三郎さん >消費量に関しては、上位三地域と比べて人口も少ないはずのアラブ首長国が5%も占めていることに驚きました。 確かに驚くべきことなのですが・・・F爺は、この数字を見て「さもありなん」と思いました。 中近東諸国やインドでは、おやつに、お茶請けに、料理に、お菓子の材料に、ナッツ類を好む人が多いのです。その中で
「真実軽視」という訳語提唱に賛成です。 逐語訳の「ポスト真実」や「脱真実」は、解説や註釈が不可欠で、訳語それだけでは何のことやらさっぱりわかりません。 f爺さんの訳語「真実軽視」は、逐語訳の発想では決して思い浮かばない訳語の好例だと感じ、また勉強になりました。 三郎さん >逐語訳の「ポスト真実」や「脱真実」は、解説や註釈が不可欠で、訳語それだけでは何のことやらさっぱりわかりません。 浦島爺だけが「何のことやらさっぱり分からない」のではないと分かって安心しました。意味を成さない「逐語置き換え」をして「翻訳したつもり」の人の思考回路は不可解です。 そもそも英語人の元の発想「post-truth」が異常なのです。フランス語圏の言論人も持て余して、「注釈無しには誰にも理解してもらえない種類の珍造語」だと言っています。英語圏の中で「こんな造語はいけない」という声が上がって欲しいものです。
「ワクフ」様 非公開コメントが届きましたが・・・内容を検証する手掛かりがありません。 このブログには、最近、シカゴ大学の実在の数学科教授の名前とメール・アドレスを騙った嫌がらせコメントhttp://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1317.html が舞い込みました。 また、専門外であるため手話には一度も言及していないにも拘らず、まるでF爺が手話に関して間違ったことを主張したかのごとく、「手話に詳しい」と称する匿名投稿者二名から言いがかりコメントhttp://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-699.htmlを送り付けられたこともあります。 実名でブログを運営しているF爺が 〈極度に警戒せざるを得ない立場にある〉ことと 〈匿名発信者からの「検証不能情報」の提供を真に受けることは無い〉こと をご理解ください。 コメントの内容が事実であったこと
言語は誰でも用いるものだから誰でも論じていいのだという思い込みが蔓延する一方で、他の分野で有名な人であろうと、言語について論じるときには言語学への理解が不可欠だという認識は全く広まっていません。 橋爪大三郎は社会学者ですが、『言語派社会学の原理』なる著書があり、言語を中心にしなければ人間も社会もとらえきれないと主張しています。そんな主張をするのなら、言語学のを初歩ぐらいはしっかり学ぶことから始めなければいけないはずですが、御紹介された対談を読む限り、その形跡はまったく見られません。言語学には門外漢でも専門分野では業績があるのかも知れないと思っても、学問に対する真摯さすら疑いたくなるような怠慢さを示されると、それも怪しいのではと思ってしまいます。 「文字体系ができると音韻の変化がストップする」のなら、現代英語のスペリングと発音の関係の複雑さも、日本の歴史的仮名遣いと読むときの発音のずれも説明
小島さん 基本的な間違いが多いのですね。橋爪大三郎氏、大澤真幸氏両名は、言語を真面に勉強した事があるのでしょうか?世の多くの人は「東工大名誉教授」「京都大学元教授」の肩書きに、騙されてしまいます。一流と称される「大」出版社の「有名新書」に載っている言辞です。それも、騙されてしまう一因です。何を言っても、それは「言論の自由」ですが、明らかな誤りをきちんと正さないとそれが「真実」になってしまいます。野口英世がその良い例です。橋爪大三郎氏がこのブログを読み、反省してくれれば良いのですが。望み薄です。 間違った事を沢山書き散らす人間に本を書かせ、結果的に、間違った「説」を広めてしまっている出版社にも責任があると思います。 火狐さん >基本的な間違いが多いのですね。橋爪大三郎氏、大澤真幸氏両名は、言語[学]を真面[目]に勉強した事があるのでしょうか? 引用してくださった部分を読む限り、両名とも言語学
「黒田たま」さん 折角のご投稿ですが、「追申」の部分は、非公開設定にするべきものです。そのため、コメント自体を非表示のままとせざるを得ません。 コメントの主要部分についてF爺の考えを述べます。 >「コトバンク」は単なる検索ツールなので、記載内容に問題がある場合、責められるべきは元の辞書だと思います。 賛成できません。百科事典や大辞典の記載の真偽を検証しないで単に写し貼りしただけのサイトに何の価値があるのでしょうか。 元の辞書も責められて当然ですが、歴然たる間違いを拡散するのも犯罪行為です。 >「お嚊ん能ひべべ早よう着せて」 「漢文」における「能」の説明に、 ②よくする。普通の程度以上に立派にできること。〔中庸〕唯聖者能レ之(ただせいじゃのみこれをよくす)。〔荀子、勸學〕非レ能レ水也(みずをよくするにあらず)。⑦よく。善く。習慣上「よく」と訓讀する時も、多くは「あたふ」の意。〔論語、憲問〕愛
Junさん ご実家でお過ごしの間に東播磨語で何か気の付いた面白いことがありましたら、お知らせください。 もしかして 〈昭和58~60年に教科書で読む以前に「おかん」という言葉を使っていた〉 という方の証言があれば、また記事を立てますよ。 小島さんへ 「おかん」問題についてです。何となくですが、「おかん」が頭の隅に引っかかっていました。今日、その謎が解けました。以前読んだ、松本清張の小説に「おかん」の記述があった事を思い出しましたのです。随分前に読んだので、題名も忘れていましたが、我が家に数冊ある松本清張の小説の中に「おかん」に関する記述があるのを見つけました。 昭和47年(1972年)に発表された「恩誼の紐:おんぎのひも」と言う小説です。主人公は9歳の少年です。小説の中で、この少年は母親の事を普通に「おかん」と呼んでいます。父親のことは「お父っつぁん」祖母の事は「ババやん」と呼んでいます。
名前欄に「yoko」と書き込んで投稿なさった方に申し上げます。 コメント、ありがとうございます。 恐らく初投稿のためご存じないのだろうとは思いますが、別のハンドル・ネームを選んで投稿し直してください。 『F爺・小島剛一のブログ』では、「姓のみ」「下の名前のみ」と見えるハンドル・ネームは、既投稿者の使用しているものと同じになる確率が高く、加えて同姓または同名の方が実名を名乗ることを妨げるという弊害があるため、新規の投稿の場合は反則と見做しております。ブログ記事「ある反則投稿者(前) http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1035.html」を参照してください。 再投稿の際に、次のことをお願いします。 [1] 日本語の誤用・卑語の「めちゃくちゃ*素晴らしい」とフランス語の誤用でも卑語でもない「trop bon」とがどう繋がるのか、F爺には見当も付きません。ご説
F爺様 私のコメントが、F爺様の考察の一助となることができて、嬉しく思います。 今回投稿した、私の意見ですが、多くの日本人の感覚から、大きく外れたものではないと思います。 しかし、特に「白菜の浅漬け」のような、ごくありふれた対象に対して、自身の抱いている印象や考えを、正確に、文章にして伝えることは、案外難しいものだと思います。 私は直近に、「伝統日本料理」について考えていたこともあり、それで「白菜の浅漬け」についても、すんなりと意見がまとまりましたが、 これは、日頃からのF爺様の基本姿勢である(と私は思います)、「日本語を大切に」して日本語の文章を考えることを、私も倣うようにしたおかげだと思います。 ですので、本文でご評価いただいた、「明確かつ明晰」な文章にできたのは(まだ、誤字や、おかしな文章が残っていましたが…)、やはりF爺様の文章に触れたおかげだと思っています。ありがとうございます。
小島剛一様 このブログ記事を読んで、もしかすると、S.Solaにも、小島様と共通する「直観像記憶」があるのかもしれないと気付きました。 「10年、20年以上昔の出来事とその光景が思い浮かび、時にはその出来事が起きた年月日まで憶えている」、「数年以上前に訪れた場所へ友人と一緒に行ったとき、訪れた当時の風景が思い浮かぶので、地図を見ずにその記憶を頼ることで、道に迷うことなく目的地に到着した」、「元素を、元素番号1から順に暗唱するとき、周期表の行列が鮮明に頭の中に思い浮かんでいる」、「嫌いな同期生の名前を、卒業してから10年近く経った今でも、嫌いになった原因である下品な行動と合わせて思い出してしまう」・・・ 数年前までは、それらの現象について「単に昔の出来事を、よく憶えていただけ。自分の記憶力や記憶の仕方は、他人とそう大きく違う筈はない」と、S.Solaは思っていました。しかし、昔の出来事に関す
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く