数十年間にわたり、ワルシャワ条約機構軍は、破壊し得ぬ強力な軍隊に見えた。しかしこの巨人は、いわば粘土の足を持っており、外部からの攻撃なしで、瞬く間に崩壊した。 西側では、ソ連は常に残酷な侵略者であったという見方が一般的だ。しかし、多くの人が忘れているが、1949年に最初に軍事的、政治的な同盟「北大西洋条約機構」(NATO)を創設したのは、ほかならぬ西側だった。ソ連がこれに対応策をとったのは、ようやくその6年後のことだ。 ロンドンの会議にて。左から右:アルフレド・グルンター、ホイト・ヴァンデンバーグ、オマール・ブラッドレー、ルイス・デンフェルド、ウィリアム・テッダー、ウィリアム・スリム、フレーザー元帥、ウィリアム・エリオト。 Getty Images ソ連は1955年までNATOに反応しなかった。同年、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)は、このブロックに加わった。これは、ポツダム協定への直接の違反