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  • 浮気した彼女から送られてくるNTRビデオレターをエロ動画サイトにアップし続けたら、広告収入で富豪になった件

  • 耶律南仙 Princess NanShan

    契丹や西夏の歴史が好きで、特に大好きな耶律南仙という女性の生涯について超短編という形でまとめました。契丹史や西夏史、さらには女性史という大きなジャンルに興味を持っていただくきっかけとなれば幸いです。 どこまでも続く果てしない土漠の真ん中に、一つの国があった。 その国の名は契丹といった。 1088年、この国に一人の王女が生まれる。王女はその姓を耶律、名を南仙といった。 「お前は契丹の王女だ」 両親は南仙にそう教え込んだ。そしてそれは事実だった。 「契丹の王女として、誇りを持って生きなさい」 南仙はその言葉を純粋に受け止め、以後その通りに生きることを決意する。 契丹の隣に、西夏という国があった。この国の王は姓を李、名を乾順といい、三歳から玉座に就いている。この乾順が、契丹の王女を娶りたいと申し出た。契丹の王は娘を他国へ嫁がせることを惜しんだが、隣国との関係を慮り、この申し出を受け入れることにし

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  • 学校が教えない社会科・歴史・公民 - 盧溝橋事件(日中戦争勃発の真因)

    さて、今回は『中国の内戦』でも触れた【盧溝橋事件】の詳細を見て行こう この盧溝橋事件が『支那事変(日中戦争)』の原因だとするのが中国の言い分な訳だけど、中国側の主張する盧溝橋事件の内容は、日軍が一方的に共産党軍(八路軍)を攻撃して、中国人に多数の被害が出たと言う話だ それは果たして当なのかな? それを今回は解説して行こうと思う まずは盧溝橋事件の概要から >盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)は、1937年(昭和12年)7月7日に北京(北平)西南方向の盧溝橋で起きた日軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件である。 中国では一般的に七七事変と呼ばれる。 この事件は日中戦争(支那事変)の直接の導火線となった。 以前は蘆溝橋・芦溝橋と表記されていたこともあるが、今では正式名称ではない。この事件後に幾つかの和平交渉が行われていた。 事件の発端となった盧溝橋に日軍がいた経緯は『北京議定書』に基

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  • 今日から俺が総理大臣 - 三権分立において大統領制に勝る天皇制

    は立憲君主制の国家だ。 要するに国王とか大公と言った 君主が国家元首の国の事だ。 イギリス、カナダ、オーストラリア、 オランダ、スペインなどが代表的なこれだ。 ちなみに国王は英語でキング(King)だが、 大公は何というか知ってるだろうか? 世界にはモナコやルクセンブルクと言った公国があるが、 いまいち公国という存在の意味を 理解していない人は多い。 正解はプリンス(Prince)である。 プリンスと言えば王子様の事では? そう思う人も多いだろうが、 大公の事もそう指すのだ。 もっとも同じ公国でも、 国や事情によっては訳し方も変わるので こういう訳し方もあるということだが、 あえてこれを紹介したのは、 公国の位置づけを最も理解しやすいからだ。 公国とは、元々は王国の属国であった国の事なのだ。 つまり、文化的な地位で言えば、 国王と大公は上下関係にあり、国王が上なのである。 モナコ公国の

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