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religionとjapanに関するtaskapremiumのブックマーク (18)

  • アフリカで天理教が大流行の意外なワケ|y.ueno|note

    天理教がアフリカに?このタイトルを見て、 「天理教って、奈良の天理教? 天理教がなんでアフリカに?」 とお思いの方も多いと思うのですが、現在多くの日の新宗教がアフリカに進出していますが、その新宗教各派のなかでも、実は天理教ってかな~り古くからアフリカに信者がいるんですよ。 天理教の信者(天理教では「よふぼく」と呼ぶそうです)が多いのはアフリカでもずいぶんマイナーなコンゴ共和国です。 (二つのコンゴ) かつて「ザイール」と言われた隣の大きなコンゴ民主共和国は有名かもしれませんが、天理教が流行しているのはコンゴ共和国のほうです(と言ってもま、普通の日人には違いが分かんないでしょうけど...)。 コンゴでは天理教が非常に有名なので、タクシーを捕まえて「テンリキョー」と言えばタクシーの運転手であれば誰でもわかります(ただ、「テンリキョウ」は言いづらいのか「テリンキョ」と間違えて発音したりします

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  • 東大に留学「中国人エリート」が見た日本 学食に絶句…恋愛に驚き

    東大と北京大の「意外な共通点」 北京大は「キャンパス=生活そのもの」 学は北京大に軍配 中国のエリート大学、北京大から東京大に来た留学生。なぜ日を選び、キャンパスではどんなことを感じているのでしょう? 社会人の学生の多さに驚き、恋愛を隠す学生を不思議に思う日々。そして学は「圧倒的に北京大がうまい」。中国人エリートが見た東大について聞きました。 日が好きで日留学を決意 クラスメートのなかは少数派 話を聞いたのは、呉さん(24歳=新疆ウイグル自治区出身)と蘇さん(24歳=天津出身)です。 呉さんは北京大の新聞学院(ジャーナリズム・スクール)で広告学を学び、現在は東大の新領域創成科学研究科・国際協力学専攻の修士課程にいます。 蘇さんは北京大で薬学を勉強し修士の学位を取り、現在は東大の薬学系研究科の博士課程にいます。

    東大に留学「中国人エリート」が見た日本 学食に絶句…恋愛に驚き
    taskapremium
    taskapremium 2017/10/05
    定番もの」だけなのが多いのに対して、北京大は中華料理のほか、「マーラー火鍋」や「刀削麺」から「ザリガニ料理」まで用意されています。イスラム教徒の教師や学生のための、ハラール食堂(清真食堂)もあります>
  • インドで1億5千万人を導く日本人僧侶の人生

    幾度、暗殺されかけようとも屈せず。ブッダを説き続ける。仏教発祥の地、インドで1億5千万人の信徒を導く、日出身の僧・佐々井秀嶺。若いころ、人生に絶望し自殺を図るが僧となる。数奇な運命からインドに導かれ、仏教復興と“不可触民(※)”という最下層の人々のために半世紀以上も闘ってきた、その激動の人生と日への思いとは──。 ※不可触民(ふかしょくみん)とは、厳しい身分制度で知られるインドのカースト制度にあって、最底辺のシュードラにすら入れない、カースト外の最下層に置かれ「触れると穢れる」と差別されてきた人々。 「命がけで差別や貧困と闘っていく」 肌の白い僧がひとり、大ステージへと向かう。足取りはゆっくりだが、その眼光は虎のように鋭く、全身からは熱情がみなぎっている。日の穏やかな高僧とは対照的なその姿に、ここが灼熱のインドであり、混沌とした国であると思い知らされる。 インドのど真ん中、デカン高原

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  • 創価学会:イタリア政府と宗教協約を締結 | 毎日新聞

    創価学会は29日、イタリア政府とイタリア創価学会が宗教協約(インテーサ)を締結し、30日(現地時間)付で発効すると発表した。これにより同国政府公認の宗教団体となり、税制上の優遇や教育機関設置の権利などが保障される。 創価学会によると、昨年6月、レンツィ首相とイタリア創価学会の理事長が協約書に調印。…

    創価学会:イタリア政府と宗教協約を締結 | 毎日新聞
  • インド仏教を率いる日本人僧侶の破天荒人生

    仏教発祥の地インドには、日の人口にも匹敵する約1億人の仏教徒がいるとされる。最高指導者として、この膨大な数の信徒を率いているのが日人僧侶の佐々井秀嶺(ささい・しゅうれい)氏だ。佐々井氏は、自殺未遂3回、暗殺未遂3回と破天荒を地でゆく前代未聞の存在である。今年6月、日に一時帰国した佐々井氏に、これまでの人生、哲学、そして使命について話を聞いた。 現在、国民の80%超がヒンズー教を信仰するインド。仏教発祥の地でありながら仏教徒はマイノリティに過ぎず、存在感は薄かった。しかし、ひとりの日人がインド仏教を変えた。1967年、33歳の時にインドに渡った僧侶・佐々井秀嶺氏は、ヒンズー教のカースト差別に苦しむ人々を仏教に改宗させ、宗教的な抑圧から解放する人権運動に従事。同時に、少数派である仏教徒の人権擁護にも取り組み、仏教の再興を志してきた。 全インドの仏教徒の代表に抜擢 長年にわたるこれらの活

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  • 日本は、禅寺の中にアッラーに祈る場を作る (東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

  • 【前代未聞】インド仏教、一億人の頂点に立つ「日本人僧侶」佐々井秀嶺 来日:DDN JAPAN

    DDN は 音楽 ・ 映像 に関する デジタル アート を中心に情報ミックスを配信中

    【前代未聞】インド仏教、一億人の頂点に立つ「日本人僧侶」佐々井秀嶺 来日:DDN JAPAN
  • 円行 - Wikipedia

    円行(えんぎょう、延暦18年(799年)- 仁寿2年3月6日(852年3月29日))は、平安時代の真言宗の僧。出身は京都。入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。 略歴[編集] 初め元興寺歳栄に師事して華厳宗の僧として得度・受戒した。823年(弘仁14年)空海から金剛界・胎蔵界両部の大法を受け、また杲隣(ごうりん)から灌頂を受けた。実恵の推挙により入唐請益僧(にっとうしょうやくそう)となり、838年(承和5年)円仁・円載・常暁らと唐に渡った。青龍寺義真から法を受けた。翌839年(承和6年)に帰国し「請来目録」を奉った。その後勅命により山城国霊巌寺を開創し、また天王寺の初代別当に任じられた。播磨国太山寺の開祖とも伝えられる。

  • 円仁 - Wikipedia

    誕生の地(栃木市岩舟町下津原) 延暦13年(794年)、下野国都賀郡または安蘇郡に豪族壬生氏の子として生まれる。 出生地については諸説あり、 壬生寺(現・下都賀郡壬生町大師町) 美加保ノ関(栃木市藤岡町三鴨の都賀字館・佐野市越名) 三毳山東麓手洗窪(安蘇郡下津原、現・栃木市岩舟町下津原) などの説がある。 入門と出家[編集] 兄の秋主からは儒学を勧められるが早くから仏教に心を寄せ、9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智は鑑真の直弟子道忠の弟子であるが、道忠は早くから最澄の理解者であって、多くの弟子を最澄に師事させている。 大同3年(808年)、15歳のとき、広智に連れられ比叡山延暦寺に上り、最澄に師事する。奈良仏教の反撃と真言密教の興隆という二重の障壁の中で天台宗の確立に立ち向かう師最澄に忠実に仕え、学問と修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経の注釈書)を学ばせた

    円仁 - Wikipedia
  • 天台宗 - Wikipedia

    正式名称は天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後の呼び名は日蓮教学の法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。 最澄以前の天台教学[編集] 最澄以前から、律宗と天台宗を兼学した鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍が数多く日に入るなどしていた[4]。 最澄入唐以後の天台教学[編集] 最澄 伝教大師最澄が804年(延暦23年)から翌805年にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を場で学んだ。同年、日に帰国した最澄は天台教学を広め、806年1月に天台法華宗として認められたのが日における天台宗のはじまりである。最澄は特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。 この時代、すでに日には法相宗や華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成

    天台宗 - Wikipedia
  • 不受不施派 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "不受不施派" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年12月) 不受不施派(ふじゅふせは)とは、日蓮の教義である法華経を信仰しない者から施し(布施)を受けたり、法施などをしないという不受不施義を守ろうとする宗派の総称である。 概要[編集] 日蓮教団において不受不施義がクローズアップされたのは、文禄4年(1595年)に豊臣秀吉が方広寺大仏殿(京の大仏)千僧供養会のため、天台宗、真言宗、律宗、禅宗、浄土宗、日蓮宗、時宗、一向宗に出仕を命じたことに端を発する。この時日蓮宗は、出仕を受け入れ宗門を守ろうとする受不施派と、出仕を拒み

  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

    ウェブリブログ:サービスは終了しました。
  • 「クリスマスと正月が同居する日本」に世界の宗教家が注目! 寛容の精神に見る、宗教の本質とは - ログミー[o_O]

    「クリスマスと正月が同居する日」に世界の宗教家が注目! 寛容の精神に見る、宗教の質とは Reasons for religion -- a quest for inner peace クリスマスを祝い、除夜の鐘を聞き、神社へ初詣をする日人の宗教観は、しばしば世界から疑問視される。しかし、僧侶の松山大耕氏はこの日人の寛容性こそが宗教の質をとらえているという。宗教上の問題で争いが絶えない世界に対し、日の宗教観を発信していく必要性を語りました。(TEDxKyoto2014より) 日人の独特な宗教観について 松山大耕氏:私は今から35年前、ここ京都のお寺で生まれました。お寺の子どもとして育ちましたけれども、中学校、高校はカトリックの学校に行っていました。 (会場笑) お寺に生まれながら、キリスト教の教育を受ける。これは非常に珍しいことではありましたけれども、家族親族、友達含め皆温かく

    「クリスマスと正月が同居する日本」に世界の宗教家が注目! 寛容の精神に見る、宗教の本質とは - ログミー[o_O]
  • 遍路と信心

    Author:F爺・小島剛一 F国(= フランス)に住む日人の爺さん。 専門は、言語学(特にトルコ語、ザザ語、ラズ語など)、民族学、日語文法、作曲・編曲、合唱指揮など。 詳しいことは「Catégories」欄の「自己紹介」という記事に。

    遍路と信心
    taskapremium
    taskapremium 2014/01/20
    インドの諸宗教の寺院の一部が異教徒の立ち入りを拒絶すること、スペイン北西端の聖地を目指す「コンポステラ巡礼」をする人はカトリック教徒に限る(*)ことなどを考えると、日本の宗教事情は、信じがたいほど特異>
  • ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人

    の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日人が彼に決まって尋ねた事があります。それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日にこなかったのか」ということでした。そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。 つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・当時の日人はザビエルにこういう質問を投げかけた。 元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答えました。すると日人が追求するわけです。 「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」 ザビエルは困ってしまいまして、国への手紙に次

  • 「ある意味で、私は最近、  多神教である仏教のほうが西洋の一神教よりも私には魅力的だ、  ということを発見しました。  一部の仏教徒がそうするように、もし彼らが、  自分たちが十分には理解や解釈できないものだと自認するような世界の 他の秩序ある構造の存在に対する深い尊敬に自己を限定するなら、 それはすばらしい態度だ、と私は思います。  私が宗教に敵意を感じる場合、それは様々な一神教に対するものです。  それらは、恐ろしいほど不寛容だからです。  すべての一神教は不寛容で、自分たちの特定の教義を強行しようと

    “「ある意味で、私は最近、 多神教である仏教のほうが西洋の一神教よりも私には魅力的だ、 ということを発見しました。 一部の仏教徒がそうするように、もし彼らが、 自分たちが十分には理解や解釈できないものだと自認するような世界の 他の秩序ある構造の存在に対する深い尊敬に自己を限定するなら、 それはすばらしい態度だ、と私は思います。 私が宗教に敵意を感じる場合、それは様々な一神教に対するものです。 それらは、恐ろしいほど不寛容だからです。 すべての一神教は不寛容で、自分たちの特定の教義を強行しようとします。 ちょうど日の立場を少し研究していたのですが、 日では、一つの宗教に属さねばならないということすらないのです。 ほとんどすべての日人は、 ある面では神道の信者であり、別の面では仏教徒であって、 このような態度は融和可能なものだと考えられています。 すべての日人は、神道信者として生まれ、

    「ある意味で、私は最近、  多神教である仏教のほうが西洋の一神教よりも私には魅力的だ、  ということを発見しました。  一部の仏教徒がそうするように、もし彼らが、  自分たちが十分には理解や解釈できないものだと自認するような世界の 他の秩序ある構造の存在に対する深い尊敬に自己を限定するなら、 それはすばらしい態度だ、と私は思います。  私が宗教に敵意を感じる場合、それは様々な一神教に対するものです。  それらは、恐ろしいほど不寛容だからです。  すべての一神教は不寛容で、自分たちの特定の教義を強行しようと
  • やや日刊カルト新聞

    港区白金にある幸福の科学教祖・大川隆法総裁の自宅「大悟館」の桜が満開となり、4月7日、同館前の公道に多くの花見客が訪れた。午後1時から3回に分かれて大悟館前で桜を眺める、史上初のトリプルヘッダー。参加者数はのべ60人を超えた。うち45人前後が、幸福の科学職員。それぞれに用意したプラカードを掲げて、一般参加の花見客を歓迎した。 一般参加者は、故・大川総裁の長女・咲也加氏が歌う「The Real Exorcist」や長男・宏洋氏が歌う「Revolution」をスマートフォンで流した。参加者たちはそれに聴き入りながら、昨年3月に亡くなった大川総裁を偲んだ。 主催者は、「教団職員の参加者は男だらけだったが一般参加者は女性が大半。比較的ジェンダー・バランスのよい形で、若い人たちにも大悟館の素晴らしさに触れてもらうことができた。来年もやりたい。花見以外でもやりたい」と語った。また、今回の花見写真のコン

  • 蘭渓道隆 - Wikipedia

    蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)は、鎌倉時代中期の南宋から渡来した禅僧。諡は大覚禅師。俗姓は冉、名は莒章。法諱は道隆。号は蘭渓。涪州涪陵県蘭渓邑(現在の重慶市涪陵区藺市鎮)の出身。大覚派の祖。無明慧性の法嗣、建長寺の開山。 人物・略歴[編集] 中国涪州(今の重慶近郊)の人。13歳で出家し、無準師範・北礀居簡に学んだ後、松源崇嶽の法嗣である無明慧性の法を嗣ぐ。 寛元4年(1246年)、33歳のとき、渡宋した泉涌寺の僧月翁智鏡との縁により、弟子とともに来日した。筑前円覚寺・京都泉涌寺の来迎院・鎌倉寿福寺などに寓居。宋風の格的な臨済宗を広める。また執権北条時頼の帰依を受けて鎌倉に招かれ、退耕行勇の開いた常楽寺(神奈川県鎌倉市)の住持となった[1]。 建長寺境内(国の史跡) 建長5年(1253年)、北条時頼によって鎌倉に建長寺が創建されると招かれて開山となる。建長寺は、純粋禅の道場としては栄西の

    蘭渓道隆 - Wikipedia
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