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人生に関するtasknowのブックマーク (5)

  • 兄が死んだ | Tokyo O life

    兄が急逝した。今日、これから親族だけの密葬をする。 二日前、会社で仕事をしているところに、「お義兄さんが倒れた」と僕の奥さんから電話がはいった。僕の家は実家から徒歩1分の距離にある。 兄が倒れたと聞いても、正直、このときは「またか」と思った。兄は前にも救急車騒ぎを起こしたことがある。 父と喧嘩して、睡眠薬を大量に飲んだと思い込んだ母親が救急車を呼んだが、結局、適量飲んだだけで何の問題もなかった。兄は歩いて帰ってきた。 しばらくすると、2回目の電話があった。「脳出血」だという。 それはまずい、と思っていると今度は病院につきそった母から電話で「今すぐこれないか」という。 慌てて会社を早退して、病院へ向かうが、思ったより動転していて逆方向の電車に乗ってしまった。慌てて渋谷で降りて五反田経由で旗の台の昭和医大に行った。 救急救命センターの入り口で母と合流した。「あとで、もう一度お医者さんから説明が

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    tasknow 2010/06/19
    死ぬことなんて当たり前でリアリティがあるものの、筈なのにね。一概には言えないね。
  • 「男性同性愛者・両性愛者の74%は異性愛者に変わりたくないと思っている」ネット調査で判明 - みやきち日記

    74% of gay men would refuse chance to turn straight, study reveals - PinkPaper 同性愛者・両性愛者の男性2500人を対象とした調査で、回答者の74パーセントが「異性愛者になる薬があっても飲まない」と答えたというニュース。 この調査を行ったのはゲイ向けウェブサイトのMancentral.com。回答者のうち26パーセントが「異性愛者になれる薬」を飲むと答えた一方で、74パーセントもの男性が、自分の性的な好みを変える気はないと答えたとのことです。 ちなみに異性愛者に変わりたいと答えた人がもっとも多かった層は18〜24歳(37パーセント)。年齢が増すごとに異性愛者になりたい人の数は減り、51〜60歳では13パーセントだったそうです。さらに、クロゼットな人は薬を飲みたいと答える人の率が平均より高かった(38パーセント)模

    「男性同性愛者・両性愛者の74%は異性愛者に変わりたくないと思っている」ネット調査で判明 - みやきち日記
    tasknow
    tasknow 2010/04/12
    ナイスエントリー。
  • 年をとり、我儘になってきた母親にミカンを剥いてあげて思うこと。 : メガネ王のblog:ぬくもり、時々、晴れ。

    2010年01月27日08:51 カテゴリ母の年金の返金を求めて三千里! 年をとり、我儘になってきた母親にミカンを剥いてあげて思うこと。 昨年から、実家の一部屋を借りて暮らしている。 会社を辞めてフリーランスになったからだ。 高校を卒業して30を過ぎるまで10数年、親と暮らしたことはなかった。 両親はここ数年みるみる年をとってきて、 特に母親は、手のリウマチが痛むらしく、動作がゆっくりになってきている。 だから、代わりに私が茶碗を洗ったり、風呂を掃除したり。 俺が、外に部屋を借りたら、どうするんだろうと、心配になるほど、 母親が一人でできることが少なくなっている。 かといって、親父が手伝うかと言うと、そういうことはほぼない。 休みが来れば、ゴルフ。 家の中でも、スイングを確認している。 狭い部屋の中でスイングを確認されるのは、かなり迷惑だ。 それは自分の父親に限ったことではなく、 駅の、狭

    tasknow
    tasknow 2010/02/03
    思わず泣ける
  • 彼女が死んだ。 - kom’s log

    一ヶ月の間一緒に住んだ。二ヶ月の間、病院で過ごした。短い結婚生活が終わった。 脳幹の梗塞、ということで一度医師団に見放された後に奇跡的に復活したという話はここに書いた。その後の脳の機能回復は私からみるかぎりかなり目覚しく、瞬きを使ってどの曲を聴きたいか、などのコミュニケーションを交わすことができるようになるまで回復した。一方で脳ではなく体の予後が思わしくなかった。初期の激烈な血圧上昇剤投与を停止したことによる副作用と思われる虚血による後発性肝内胆道炎を起こし、おそらくそのことが原因となった肝膿瘍が発症からちょうど2ヵ月後に発見された。細菌の感染も軽微ではあるが、抗生物質で完全に排除することができなかった。脳、肝臓、感染の三つ巴のなかで、治療方針は難航を極め、集中治療室を出ることができずに時間ばかりが過ぎた。この間に私はリハビリについて調べ、特にリハビリの専門家であるバーバラ・ウィルソンの著

    彼女が死んだ。 - kom’s log
    tasknow
    tasknow 2009/04/08
    言葉に出来ないけど、本当に涙がとまらない。私はまだ誰も亡くした事はない。
  • 「世界観、ビジョン、仕事、挑戦――個として強く生きるには」講演録(JTPAシリコンバレー・ツアー2008年3月6日) - My Life Between Silicon Valley and Japan

    (1) 時代観――無限の選択肢のある時代 僕が大学を出たのは今から25年前の1983年です。1983年に大学を卒業する人と、2008年に大学を卒業する人とでは、全く違う人生が広がります。おそらく、さらに25年後に大学を卒業する、みなさんの息子や娘の世代も、まったく違う環境のなかに生きることになります。みなさんは、だいたい二十代、つまり1977年生まれから87年生まれくらいだと思いますが、そのくらいの時期に生まれたということが、人生を大きく規定しています。そのときに使えるリソース、その時点で可能になっていることがある。1960年生まれの僕とは全く違う可能性をみなさんはもっています。それがまず第一にうらやましい。なぜならば、圧倒的に自由度が大きいから。1980年代の前半というのは、それほどカジュアルに海外に行くという時代ではなかったし、日はもっと貧しかったし、海外に留学する敷居の高さも、今と

    「世界観、ビジョン、仕事、挑戦――個として強く生きるには」講演録(JTPAシリコンバレー・ツアー2008年3月6日) - My Life Between Silicon Valley and Japan
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