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ブックマーク / blog.tinect.jp (20)

  • 実は、やらない理由は「失敗が怖い」「やり方がわからない」ではなく「面倒くさい」ではないですか?

    ちょっと前のこと。 が、ホームベーカリーを前にして、ウンウン言っていた。 「どうしたの?」と聞くと、「今までとは違う小麦粉を買った。」という。 「なんで焼かないの?」と尋ねると、どうやら今までの小麦粉と膨らみ方が違うとで読んだので、躊躇しているという。 悩んでても結果がわかるものではないので、 「とりあえず、今までと同じやり方で焼いてみりゃいいじゃん。それ見て調節したら?」というと、 「うーん、でも……。」 と腰が重い。 たとえパン焼きであっても、新しい試みは、考えなければならないことが飛躍的に増える。 「まあ、面倒だよな……。」と思ったが、急かすことはないと思い、「がんばれ」と言ってその場を立ち去った。 * 別の日。 子供が、あさがおの観察日記を書いていた。 ところが、書き始めてしばらくして、固まってしまっている。 「どうしたの?」 と聞くと、「うまくかけない。失敗した」という。 色

    実は、やらない理由は「失敗が怖い」「やり方がわからない」ではなく「面倒くさい」ではないですか?
    tatsu2838
    tatsu2838 2019/09/12
    (失敗して怒られたり無能だと思われると面倒だから)「失敗がこわい」だったり、(調べて試行錯誤するのが面倒だから)「やり方がわからない」とやりたくないんですよ…ルーチンワークは面倒でもやらないでもない
  • できないことを、淡々と「できるよね?」と言われるのが、えらいシンドかったという話。

    これは以前も書いたような気がするのだけど。 僕はかつて、「よかれ」と思って後輩にミスを淡々と指摘し続けて、一歩手前にしてしまった事がある。 治すべきミスをキチンと指摘してあげたほうが、その後の改善ポイントがわかりやすいと思っての事だったのだけど、結果としてはあまり良いものとはならなかった。 なぜ後輩が落ち込んでしまったのか、正直なところ以前は正直よくわからなかった。 「仕事というのは怒られるうちが華」と洗脳にも近い形で教育されてきた身からすると、説教されずにファクトだけをベースに指導してもらえるだなんて、夢のような話じゃないかと思っていたぐらいである。 ところが最近、ちょっとした病をやり、自分自身がそれまで物凄く簡単にできていた事が全然できなくなった事により、目の前で出来ないことを淡々と「できるよね?」と言われる事がエラいシンドイということを身をもって知ることとなった。 「できません」と

    できないことを、淡々と「できるよね?」と言われるのが、えらいシンドかったという話。
  • 中流かどうかは、年収ではなく精神性で決まる

    東大生は自分のことを貧乏だと思ってる 1000万円というのが金持ちの一つの基準で、それに足りないウチはやっぱり中流階級なんだと思った記憶がある。 僕は地方都市の郊外、人口5万人程度の町で生まれ育ち、小中高(駿)大と1年を除いてすべて公立で済ませてきた。 父母僕弟の四人家族で車は国産の普通車、家は駅から少し離れた3LDKのマンション、外は月に一度するかしないか、98円の卵のために朝からスーパーに出かけるような、至って普通の家庭だ。 中高時代はスーパーのフードコートでマックポーク1個だけで粘り、近所の友人とオタ話に花を咲かせた。高校は街中にあったので、放課後にラーメン屋に誘われることもあったが、月5000円の小遣いがラーメンに消えるのが惜しくて断ることが多かった。 冒頭リンク先のタイトルは「東大生は自分のことを貧乏だと思ってる」だが、裕福ではない東大生の生態についてより、中流家庭で育ったとす

    中流かどうかは、年収ではなく精神性で決まる
    tatsu2838
    tatsu2838 2019/05/16
    いいね。中流でありたい。
  • 仕事ができる人ほど、できない人に優しく振る舞うのは、マネジメントの定石。

    昔、ある会社の営業MTGで、忘れられないやりとりがあった。 少々詳しく描写すると、出席者は以下の通り。 ・役員(部長) ・リーダー ・メンバー 7名のメンバーの能力は各々、高、高、中、中、中、中、低。 二人ぐらい優秀な人物がいて、一人「できない人」が混ざっているイメージだ。 また、役員とリーダーは切れ者で、部下の報告の論理矛盾やダメな点にはすぐに気づく。 さて、こんな状況で来期の「営業計画」について、MTGが開催された。このMTGの議長はリーダーだ。 リーダーはテキパキと議事を進める。 来期の営業部の方針に始まり、具体的な目標設定、個人の役割など、メンバーへの指示も簡潔でわかりやすい。 ここまではなんの問題もなかった。 だが、今年一年を振り返っての営業報告が始まると、雰囲気が変わった。 無理もない。メンバーの一人ひとりが、自分の過去の実績と、これからの具体的行動を発表しているのだから、緊張

    仕事ができる人ほど、できない人に優しく振る舞うのは、マネジメントの定石。
    tatsu2838
    tatsu2838 2019/03/23
    できない側からするとテンプレート用意して欲しいんだよな。何を伝える必要があって何がないのかわからない。はぁー、くるしい。
  • 凡人が何者かになるためには大当たりがいつか出ると信じて、ガチャを回し続けるしかない

    ちょっと前に、「何ものにもなれなかった」と人生を評価する中高年の人に、「真剣に何かになろうとしたのですか?」と質問すると重い沈黙が訪れる、という言葉がバズっていた。 「何ものにもなれなかった」と嘆く中高年に「真剣に何かになろうとしたか」「なにもせず何かになるのは図々しくないか」とオーバーキルする方法の勧めに賛否 – Togetter 「何ものにもなれなかった」と人生を評価する中高年の人に、「真剣に何かになろうとしたのですか?」と質問すると重い沈黙が訪れるのでオススメいたします。「なにもせずに何かになろうとするのは少々図々しくはありませんか」と続けると、さらに効果的。 — フミコ・フミオ (@Delete_All) 2019年2月19日 僕も高校生~大学生の自分に若さしかなかった頃、この「何ものにもなれない自分」というのが怖くて怖くてしかたがなかった。 この感覚の恐怖感は、世間から自分が全く

    凡人が何者かになるためには大当たりがいつか出ると信じて、ガチャを回し続けるしかない
  • 「叱られて伸びる人」なんて都市伝説です。「褒められて伸びる人」なら、たくさんいるけど。

    そこそこ長いこと管理職をやっていて、「叱られて伸びる人」を見たことがありません。 いや、これは勿論私の観測範囲の問題であって、この世に「叱られて伸びる人」が存在しない、と言っている訳ではないんです。 もしかすると、「叱責されたことや叱責された内容を糧として、大きく自分の能力を伸ばす人」というのが、世の中には数多存在するのかも知れません。 それを否定する気はありません。 ただそれでも、「叱られてもそれ程気にしない人」こそいるものの、大多数は「叱られたら単に委縮してしまうだけであって、立ち直るまでしばらくパフォーマンスが低下する人」であるように感じています。 そういった人は、立ち直った後でも別段能力が上がったりはせず、総合的なステータスは叱られる前と比して大差ないように見えます。 そもそも、「叱る意義」ってどの辺にあるんでしょうか? 勿論、何かしらミスや失敗があった場合、もうそれを繰り返して欲

    「叱られて伸びる人」なんて都市伝説です。「褒められて伸びる人」なら、たくさんいるけど。
    tatsu2838
    tatsu2838 2019/02/08
    叱るはありだと思うけどな。反省を促す的な。怒るとは違う。怒る人は怒ることが目的になってる。
  • 他の連絡手段が発達した今でも、直接会うとか、直接電話すると、ちょっとめんどうな頼み事をする際に、相手を動かしやすい。

    参考リンク:電話する前に一言連絡するのって常識じゃないの? (はてな匿名ダイアリー) ある世代より上は電話する前に一言連絡を入れるのが理解できないらしい。 逆に俺はそのことにびっくりしたんだが、、電話って相手の時間を一方的に奪うわけだから、当然電話していいかの許可は取るのが常識と思ってた。 僕はいま40代半ばなのですが、人と人との連絡手段というのは、時代によって変わってきているというのを痛感させられる話でした。 ブックマークコメントをみていると、いろんな反応があって興味深いのです。 僕が子どもの頃(1970年代後半から、1980年代)は、まだ家はダイヤル式の黒電話で、電話が鳴ったら、近くにいる人が出る(とはいえ、僕は電話に出るのがとても苦手だったのです)、玄関にお客さんが来れば、よっぽど怪しそうな人じゃないかぎり、応対する、という時代だったのです。 それが、1990年くらいから、留守番電話

    他の連絡手段が発達した今でも、直接会うとか、直接電話すると、ちょっとめんどうな頼み事をする際に、相手を動かしやすい。
    tatsu2838
    tatsu2838 2018/12/06
    すげーわかる。メールだとみなかったことにするとかできてしまう。
  • キャリアにとって“消耗”となるものと、“蓄積”となるもの。そのちがいについて

    今から4年前。自分の将来とキャリアについて悩んでいた時期がありました。 24歳でWeb業界へ入り、デザイナーとして仕事を続けていましたが、当時、30歳を目前として、成長率の低下を日々痛感していたからです。 「今は楽しいけど、もう3年は持たないなぁ…」という焦りを感じつつ、私生活では結婚をし、の出産も視野に入れていたので、人生としてもキャリアプランを練り直す時期だったのかもしれません。 そこで“モノづくり”(=デザイン)から“コトづくり”(=広報/PRプランニング)へとジョブチェンジを試みました。 デザイナーとして自社のCIを担当していたのもあり、現場で経験を重ねつつ、やがてメーカーのWeb担当にでもなろうと密かに目論んでもいました。 その後思いがけず、当時の経営者から事業承継の話があり、在籍していた会社を継ぎました。 しかし、その時のジョブチェンジは重要なきっかけとなったと思います。 *

    キャリアにとって“消耗”となるものと、“蓄積”となるもの。そのちがいについて
  • 「ルールがないから、やっていい」という人々と、「ルールがないから、やらないほうがいい」という人々。

    知人が最近、転職をした。 新しい職場は若干家から遠いが、気持ちの良い人が多く、仕事も面白いということで、人にとってはとても良い転職だったようだ。 さて、その知人が、職場で2つ、小さなことに気づいたと、話してくれた。 ひとつ目は、昼をとる場所について。 知人は昼をあまりお店でべない。 お弁当を持っていくか、近くのお弁当屋さんかコンビニエンスストアで買って、オフィスでべることが多いという。 ただ、その知人はせっかくの昼休みなのに、デスクで昼をとるのは気分転換にならないと思い、空いている会議室を昼の場所に使ったそうだ。 会議室は広くて清潔で、もちろん「昼に使ってはいけない」というルールはない。 早速、知人は会議室を昼に使うようになった。 ところが面白いことに、昼に会議室を使っている人は、他には誰もいなかったそうだ。 気になった知人が、 「なんで使わないのですか?ひょっとして禁

    「ルールがないから、やっていい」という人々と、「ルールがないから、やらないほうがいい」という人々。
  • 私が仕事をしてきた中で「最も合理的」と感じたリーダーの話。 | Books&Apps

    もうずいぶん前のことになる。 あるIT業の業務改善プロジェクトに、私はいちメンバーとして参加した。 その会社のプロジェクトメンバーは全部で8名。期間は約9ヶ月だった。 経営陣肝いりの、それなりに大きいプロジェクトである。 そのため、プロジェクトマネジャーは、掛け値なしに優秀であった。 指示は的確で、果敢に新しいことにチャレンジするが、無用なリスクは取らず、守りが堅い。 メンバーとの関係も付かず離れずとバランスが良く、理想的な人物だった。 だが経験的に、プロジェクトメンバー全員が優秀であることはほぼない。 政治的な理由からか、教育効果を期待してなのか、リストラ予備軍だからなのか、それとも単なる人手不足なのか。 理由は様々だろうが、プロジェクトメンバーの中に、必ず2,3名はボンクラが含まれているのである。 そして、プロジェクトは一定の期間内に成果を出す、という厳しい制約があるため、無能の扱いを

    私が仕事をしてきた中で「最も合理的」と感じたリーダーの話。 | Books&Apps
    tatsu2838
    tatsu2838 2018/09/21
    前々から無能な奴は使い方が悪いのであって無能ではないのではないか,と悩んでいたけどここまではっきりと有能無能の差を言ってくれてさっぱりする.そして合っていると思う.自分は無能側.
  • 約二年やってみてわかった、リモートワークのホントのところ。

    Books&Appsを運営する弊社は、現在フルリモートワーク仕事をしている。 といっても、小規模な会社なので大企業が言うフルリモートワークとはちがい、「やってみましょう」の一言で、結構気楽にやれている。 そして実際に二年ほどフルリモートワークをやってみると、利点や欠点がよくわかる。 * もともと、弊社は昭和63年に、わたしの父が創業した。 ほとんど税金対策でしか機能していなかったので、父の引退とともに、休眠状態であった。 ところが私が会社をつくるとき、父が私に使わせるために会社を潰さず残しておいた、と言ってくれたので、私は起業とともに「ティネクト株式会社」と名前を改め、会社を運営し始めた。 その時のメンバーは私ともう一名の合計二名。 「たった二人でオフィスなんかいらないよ」という考え方もあった。 しかし結局、仕事のメリハリをつけるためと「フェイス・トゥー・フェイス」が重要だとの考え方が当

    約二年やってみてわかった、リモートワークのホントのところ。
    tatsu2838
    tatsu2838 2018/09/09
    (Not一流)大学の研究室運営にも通じる
  • 「文化資本」のことを棚上げにして、田舎=心が豊か、というのは、あまりにも短絡的だ。

    最近の子どもは忙しい。 うちの長男(小学校高学年)も、毎日、学校の宿題に塾に習い事にと、スケジュールが詰まっているのです。 余裕がなくなっている、ということで、定期的に、あまり興味が持てないものを止めてはいるのですが、それでも、人が、やってみたい(あるいは、やめたくない)と思っているものだけでも、かなりのハードスケジュールにみえます。 自分が子どもの頃と比べると、これで良いのだろうか、と疑問にはなるんですよ。 僕はずっと 「やりすぎじゃないか」 「もっとのんびり、ほんやりする時間があったほうが良いのではないか」 って言っていたのですが(でも、僕の意見はなかなか反映されない)いくつかのを読んでいて、子どもの習い事や環境にも、いろんな考え方があることを知りました。 自分基準で、「詰め込みすぎ」「もっとのんびり」みたいなのも、単なる「思い込み」なのかな、とも思えてきたのです。 『不合理だらけ

    「文化資本」のことを棚上げにして、田舎=心が豊か、というのは、あまりにも短絡的だ。
    tatsu2838
    tatsu2838 2018/09/09
    田舎の文化資本の話は同意。タイムマネジメントは自分ができていない、できるようにならないといけないこと。
  • 仕事ができないのに、プライドだけは高い社員をどう扱ったら良いか。

    単なる経験則であるが、会社の人数が百名、二百名を超えてくると、どんな会社にも一定の割合で「無能」とみなされている人がいることに気づく。 さらに「無能だ」とみなされている原因も、ほぼ共通している。すなわち、 ・仕事の質が低い ・プライドが高い の2点である。 例えばある営業会社において「無能である」とみなされていた人物は、営業上のルール、すなわち与信管理の書類提出を怠ったり、回収業務に漏れがあったりと、わかり易い場所で仕事の抜け漏れが生じていた。 これだけであれば 「次回は気をつけるように」という叱責を受け、「はい」で済んでしまうのだが、彼はそうしなかった。 何が致命的かと言えば、彼は自分がミスをしたことについて、言い訳や嘘を重ねてしまうのだ。 「お客さんが必要な書類をなかなか提出してくれなくて……」 「督促はしているのですが……」 と、やってもいないことを言い、あるいは長い弁解をしてしまう

    仕事ができないのに、プライドだけは高い社員をどう扱ったら良いか。
  • 新人さんへ。ミスはして良い。ってか、してくれないと教育しようがないという話。

    仕事を教えてください」と言われると、大抵の人は困った顔をする。 しかし「できました。チェックしてください」と言われると多くの人は結構ちゃんとミスを指摘できる。 これ、実に興味深くはないだろうか?実はこのエピソードに教育とか成長のコツが結構つまっているのである。 というわけで今日は教育とか成長に関しての雑感を書き綴っていこうかと思う。 成長とは淡々とミスを指摘され、淡々と受け入れていくこと 働く前に、仕事についての心構えでも学ぼうかと思い、当時ライフネット生命の副社長だった岩瀬大輔さんの「入社一年目の教科書」を読んで、とある記述に愕然とした。 当時、ボストン・コンサルティング・グループに勤めていた岩瀬さんは、70点ぐらいで成果物をサクッと仕上げたら上司に提出し、そこで提出したものを赤ペンで真っ赤に修正されていたのだという。 在学中に司法試験に合格するようなウルトラエリートの岩瀬さんですら、

    新人さんへ。ミスはして良い。ってか、してくれないと教育しようがないという話。
  • 無能にペナルティを課しても、無能は組織からなくならない。では、どうするか。

    いろいろな会社で仕事をしていると、「ケアレスミスをする人」「同じミスを繰り返す人」に結構な割合で遭遇する。 やれるのにやらない、わかっていてもできない、大事なことを忘れる、そのような行動を繰り返す彼らに付けられる名前は無慈悲そのものだ。 すなわち、「無能」である。 そして、世間は無能には極めて厳しい。 ハーバード大学公衆衛生学のアトゥール・ガワンデ氏は次のように表現する。 私たちは、そのような「無能」の失敗に対しては感情的になってしまいがちだ。 「無知」による失敗は許せる。何がベストなのかわかっていない場合は、懸命に頑張ってくれれば私たちは満足できる。 しかし、知識があるにもかかわらず、それが正しく活用されてないと聞くと、私たちは憤慨せずにはいられない。 氏の述べる通り、「知っているのにやらない」時や、「わかっていてミスをした」時には、組織はミスをした人物に非常に冷酷な仕打ちをする。 叱責

    無能にペナルティを課しても、無能は組織からなくならない。では、どうするか。
  • 「自分で勉強しない社員」を一体どうすればよいのか? | Books&Apps

    最近「勉強しない社員」問題について、話題になることが多かったので、少し書いてみる。 例えば最近あった事例が、あるIT業の会社での出来事だ。 新人が何名かいるけれど、そのうちの一人が極端に仕事ができない、という相談を受けた。 「なにか手を打ったのですか」と聞くと、 「他の新人と比べて、基礎となる知識がかなり欠けていたので、彼に対して課題図書を与えて読め、と言った」 「結果は?」 「何も変わらず、全く勉強しないので困っている」 言われたその場では、その新人は「読みます」というのだが、実は全く読んでいなかった、というオチだ。 上司は1年以上に渡って、 「会社で言われたことをやっているだけだと、マズいぞ」と言い続け、辛抱強く仕事を教え、課題を与えつづけた。 が、もちろん上司の努力だけでは限界がある。彼の伸びは遅く、圧倒的な差が同期とついてしまった。 上司は彼に「なぜ自分で勉強しないんだ」と聞いた。

    「自分で勉強しない社員」を一体どうすればよいのか? | Books&Apps
  • 「もっと早くからやっておけばよかった」と後悔している、いくつかのこと。

    昔のコマーシャルだっただろうか。 うろ覚えなのだが、 「「やらなかったこと」を後悔するよりも、「やって」後悔するほうがマシだ。」 というセリフを聞いたことがある。 言わんとしているのは 「だから挑戦することが大事だ」 だろう。 だが、挑戦すれば、当に後悔せずに済むのだろうか。 プロスペクト理論でノーベル経済学賞を受賞した、プリンストン大学名誉教授のダニエル・カーネマンは、それとは異なる見方をしている。 行動して生み出された結果に対しては、行動せずに同じ結果になった場合よりも、強い感情反応が生まれるということである。この感情反応の中には後悔も含まれる。(中略) じつはここで重要なのは、行動するかしないかのちがいではない。デフォルト(既定)の選択肢と、デフォルトから乖離した行動とのちがいである。 デフォルトから離れると、デフォルトが容易にイメージされる。そこでデフォルトから離れた行動をとって

    「もっと早くからやっておけばよかった」と後悔している、いくつかのこと。
  • 「地頭の良い人」と、そうでない人の本質的な違いはどこにあるか。

    コンサルタントをやっていた頃、良いか悪いかは別として、採用に関して「地頭の良さ」を重視する風潮があった。 地頭の良い人間は一定の訓練でそれなりのコンサルタントになる。 だが、お世辞にも地頭の良いとはいえない人間は、いつまでたっても一人前になれなかったからだ。 実際、私が20代半ばで所属していた部署では、中途採用にあたって「学歴」をさほど重視していなかった。 重視していたのはとにかく「地頭」だ。 ある応募者は、「高卒」で「自動車整備工」になり、そして「先物取引の営業」に転職、そして最後に「漁師」という経歴を持っていたが、彼は採用された。 彼の言動は、地頭の良さを十分に感じるものであったからだ。 彼の業務経験の貧しさは訓練でなんとかなる、皆がそう思ったのである。 彼はその後、会社に大きな貢献を残し「支社長」まで努めたのだから、その時の判断は間違っていなかった。 ■ この「地頭」の正体について、

    「地頭の良い人」と、そうでない人の本質的な違いはどこにあるか。
  • 「誰かが休んだことを、他の誰かが責める」という状況を放置するマネージャーにはなりたくない。

    管理者がまずやるべきことは 「仕事が回っていないとしたらそれは管理者である自分のせいであって、誰か休んだ人のせいではない」 ということを、明確に部下や周囲に伝えることなんじゃないかなあ、と思うんです。 何度か似たようなことを書いているんですが、先日こんな記事を読みました。 「いきいきママ」で業務が崩壊した話 もちろん男性社員であるため有給の取得は管理職の顔を窺いながら取ろうとするも「いきいきママ」で空いた穴を埋める必要があるため口頭で却下されていた 残業・夜勤・休日出勤もあり振替で休めるにしてもスケジュールを会社が勝手に決めて2日以上の連休取得も口頭で注意されるような状態だった 更に子持ち男性社員の育休取得で空いた穴を埋めるために有給取得さえ許されない時期もあった 彼らの給与はどうだったか?「いきいきママ」や平社員とほぼ変わらない、幹部候補になっていた男性社員が3人辞める前にこんな事を言っ

    「誰かが休んだことを、他の誰かが責める」という状況を放置するマネージャーにはなりたくない。
  • 夏休みの宿題進捗管理をIT化したら子供が凄くやる気出した話

    長男(今年9歳)が通っている学校は、かなり宿題が多い学校のようで、低学年でもそれなりの量の宿題が出ます。当然、夏休みの宿題も結構な量です。 長男は、普段の勉強については特に苦労をしていないようですが、やはり小学生であって、計画的に宿題をするのは苦手です。 一年生の時の夏休みの宿題も、結局すべて片づけるのはかなりギリギリになっていたようで、8月下旬くらいに泣きべそをかきながら宿題をやっているのを観測しました。 小学校の宿題に親が口出しするのもどうかなと思いまして、一年の頃はあまり干渉しなかったんですが、ちょっとそれを見て反省というか、考えを改めました。 宿題の来の意味は、「家庭での勉強の習慣を作ること」だと思います。それが機能しないばかりか、単に嫌な思い出ばかりになってしまい、机に向かうこと自体がイヤになってしまったら可哀想だなーと思ったからです。 そこで、2015年の夏休みは、多少干渉し

    夏休みの宿題進捗管理をIT化したら子供が凄くやる気出した話
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