戦時補償を税金の形で全額没収という余りにも深すぎる闇 NHK【ETV特集】戦時徴用船 ~知られざる民間商船の悲劇~2014年2月8日(土)夜11時、再放送:2014年2月15日(土)午前0時45分(金曜深夜) http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/0208.html 続きを読む
【唖然】テレ朝の報道ステーションSUNDAYにて「石油が一ヶ月日本にこないという事態は自衛隊が海外で武力行使するほどの危機的な状況なのだろうか?」と言い出す — そうてん大将 (@kanonn63) 2014, 7月 27 多数の同様の話があったけど、動画で確認が取れたので覚え書き。例の「集団的自衛権」の話がよほど都合が悪いのか、朝日新聞なりテレビ朝日などの朝日グループではとりわけ、通常の論理形態を超えた独特な発想に基づく論理によるバッシングを行っている。「何か都合が悪いような示唆でもされたのかな?」と想えてしまうほど。 で、タイトルの発言は27日放送の報道ステーションSUNDAYで朝日新聞社特別編集委員の星浩氏がしたとする発言。説明にいわく、海外の騒乱で石油の輸入が一か月ストップしてしまう事態が発生するかもしれないが、それ位の出来事は自衛隊が海外で武力行使するほどの危機的な状況なのだろう
いまどきの中学生なんていくら説明したところで、「ふ~ん?、で?」で終わるのが目に見えてるのに、修学旅行でそれをやることが間違い。 道徳とか(いや、真面目に学校側がやってるか知らないけど)社会の授業の時に小話程度で説明すればいいのに。 「楽しかったねー」をしたい生徒たちに被曝がどうのこうの言ったって、さっさと終わらせろと思われて当たり前。 いかにも、戦争の被害について学ばせてますよアピールをしたかった学校の計算ミスだと思うのだけど。 ついでに言えば、障害を持ってる生徒について理解させようとするのも無駄。 オブラートに包んだ言い方をしてはっきりと説明もしないで差別するなって言ったて「害児」、「ちて」とその生徒が言われるだけ。 知的障害やその他の障害に理解がある生徒なんてほとんどいないのに。 今の時代に良心、常識を持った中学生、高校生がどれだけいるのか、バカッターでよくわかってるはずなのに大人は
話題になった朝日新聞の投書。朝日新聞大阪版 2014年5月24日付朝刊「声」 「艦これ」ブーム、戦中派不安 マンション経営 森嵜武司(大阪府 75) 「艦船模型再ブーム」(9日夕刊)なる記事を見た。艦船模型の売り上げが伸びているという。太平洋戦争時の旧日本海軍の艦船が特に人気だそうだ。きっかけは無料オンラインゲーム「艦隊これくしょん―艦これ―」(角川ゲームス)で、艦艇を擬人化した美少女「艦娘」が人気らしい。戦争体験者である私にとっては心を震撼させるに十分のように思えた。時の政府は 右傾化を強め、軍備強化を半ば強引に推し進めようとするように見える。それに対し、戦争を知らない人たちの中にはそれに呼応するかのごとき反応を示す者がいるのではないかと危惧する。戦争を知らない年齢層が体験した者より多くなっていく。そんな若者が、模型から本物にあこがれを持つようになっていくのではないかと心配してしまう。
日中戦争前後の船の賃貸料を巡る賠償訴訟で、支払いに応じていないとして「商船三井」が中国の裁判所に船を差し押さえられた問題で、商船三井側が、裁判所の決定に基づく29億円余りに金利分を加えたおよそ40億円を供託金という形で中国側に支払ったことが分かりました。 この訴訟は、日中戦争前後の貨物船の賃貸料などが未払いだとして、中国の船会社の関係者が日本の船会社に賠償を求めていたもので、この会社を吸収合併した商船三井は2007年、中国の裁判所から日本円で29億円余りの支払いを命じられました。 商船三井は示談の可能性を探り支払いに応じていなかったところ、今月19日になって、所有する鉄鉱石運搬船「BAOSTEEL EMOTION(バオスティール・エモーション)」を浙江省の港で中国の裁判所に差し押さえられました。 こうした事態を受けて商船三井は対応を検討してきましたが、関係者によりますと、23日、裁判所の決
ktgohan @ktgohan 商船三井船舶差し押さえ 中国 - Y!ニュース http://t.co/vSmqYlmd6v うおおおおおおこの事件ついにここまで来たのか! これは…また…戦時徴用船舶史の、もうひとつの地獄の釜のフタが開くで… 2014-04-20 19:24:18 ktgohan @ktgohan 商船三井船舶差し押さえ事件:1936年に当時の大同海運(現在の商船三井)に貨物船を貸し出した中国の船会社があったが、37年の第二次上海事変の勃発に伴い38年に返却されるはずだったその船を大同海運が(軍の指導の下)返却せずそのまま軍の徴用船とされ占有した事件が原因。 2014-04-20 19:35:30 ktgohan @ktgohan …少なくとも中国側はそう解釈している。しかも途中から傭船料も踏み倒したという主張であり(実際その通りなのだろう)、おまけに2隻の貨物船は移転
日本国内の話なら、そもそも日本に「武器屋」なんてものは存在しない。 該当する国内のメーカーからしてみれば兵器部門は赤字垂れ流しのお荷物でしかないからさっさと切り捨てたいのが本音だけど、国策で「死ぬの禁止。だけど儲けるのも禁止」と命令されてるに等しい状態。 アメリカの軍需産業も実は本格的な戦争はおそらく誰も望んでいない。 むしろ冷戦時代のように、武力衝突は殆ど起きないけど「戦争が起きるぞ、起きるぞ」と不安を煽るだけの方がよっぽどいい。 何故って、戦争が起きると予算がそっちに割かれてしまって、儲けの多い開発の方がジリ貧になってしまうから。 世界最強と言われるF-22ステルス戦闘機が、湾岸戦争の戦費がかさんでしまったせいで当初の生産台数を大幅に減らされてしまったのは有名な話。 F-22のメーカーであるロッキード社は米軍のクウェート撤退のために当時相当なロビー活動を展開していたにもかかわらず、だ。
小野田寛郎さんが91歳で亡くなってから1週間がたった。じつは、私の父・津田信は、1974年に小野田寛郎さんがルバング島から帰還したとき、小説を一時的に書かなくなって、『週刊現代』などの週刊誌のアンカー原稿を書いていた。その縁で小野田さんの手記のゴーストライターとなり、『週刊現代』に「わがルバング島の30年戦争」(のちに講談社から出版された)を連載した。そして、それから3年後、小野田手記は小野田さんが話したことを脚色したものであることを、『幻想の英雄』という本で明らかにした。 当時、私は大学生で、世間が小野田さんの帰還に大騒ぎをしているのは知っていたが、まさか父親が手記を代筆しているとは知らなかった。もとより、「最後の日本兵」と言われてもピンと来なかった。 それが、あるとき、父から頼まれて「着替えを持ってきてほしい」ということで、一気に小野田さんが身近な存在になった。というのは、父は手記を書
津田信は、1974年5月から7月の3ヶ月間、28年ぶりに帰還した元日本兵小野田寛郎と共同生活をし、その手記「戦った、生きた」を『週刊現代』に連載しました。これは、のちに『わがルパング島の三十年戦争』と改題されて、講談社から出版されました。 しかし、この手記は、真実を歪めて書いたもので、その罪の意識から、津田信は、3年後の1977年6月に、手記代筆の真相を暴露した書下ろしノンフィクション『幻想の英雄-小野田少尉との三ヵ月』を図書出版社から刊行しました。 *全文公開は、2014年8月いっぱいで停止しました。 *なお、本書は電子書籍化(有料)しましたので、そちらで 読んでいただけるとありがたいです。 小野田少佐との三ヵ月「幻想の英雄」 津田信 (2014/8/4) - Kindle本
「島民の一部には今も複雑な思いが交錯している」。16日、91歳で死去した元陸軍少尉、小野田寛郎さんが約30年の山中生活に終止符を打ったフィリピン・ルバング島で昨年、当時を知る住民から体験談を聞いたフィリピンの邦字紙マニラ新聞の沢田公伸記者(51)はそう語る。 情報将校を養成する陸軍中野学校出身だった小野田さんは戦後も部下とゲリラ戦を展開。敵地の中に残って情報を送る「残置諜者」の任務をかたくなに守り、フィリピン軍との銃撃を繰り返し、島の軍施設などを監視していた。銃撃戦などで10人以上の死傷者が出たとされる。 地元紙記者は「当時のマルコス大統領が小野田さんを英雄扱いして刑事責任を免責、日本からの援助を引き出す取引材料にした側面もある」と指摘する。 沢田さんによると、住民の中には、旧日本兵の略奪に遭ったり、(銃撃で)家族が亡くなったりしたと訴える声が今も少なからずある。(共同)
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