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ブックマーク / kanose.hateblo.jp (3)

  • Facebookで不特定多数の人に向かって情報発信する人たち - ARTIFACT@はてブロ

    AM「アム」 - love : 宮台真司インタビュー「自分はイケてるぞアピールからは腐臭がただよう…“見るに耐えない”コミュニケーション 」 日人のリーダー層、つまりイノベーター層とアーリーアダブター層がFacebookを嫌う理由も、そこにあると思います。 Facebookはもう先端層には飽きられているんだ!という話らしいのだが、Twitterのフォロー数やFacebookの友達数自慢してもしょうがないなど部分部分で納得する話はあるのに、全体として見るとピンとこない。 その理由を考えてみたのだが、いいね!の話などを見るに、Facebookで不特定多数に向けて発信する人たちの間での話なんだろう。 結局、公開範囲を昔からの親しい友人に限るか、それだったらFacebookやっている意味がないのでFacebookをやめるか、どちらかという選択肢になってしまいます。 ここがおかしくなってくる部分で

    Facebookで不特定多数の人に向かって情報発信する人たち - ARTIFACT@はてブロ
    taueda
    taueda 2012/11/08
  • インターネットの住人でなくなる日 - ARTIFACT@はてブロ

    最近のネット依存の話で思い出した話題。 以前、すごくネット大好きというか、ネットでのコミュニケーションに熱中していた人が、Twitterを見ながら、会話の速さや、会話から推測できるいろいろな出来事が、自分の生活とかけ離れているので、気持ち悪くなっているとSNSで書いていたことがあった。その頃、その人はかつて熱中していたようなネットのコミュニティとは距離を置いており、そのようになったらしい。 これは自分も気持ちはわかる。2,3日ネットはニュース記事ぐらいだけで、個人のブログなどを見ない日が続いたあとに、ネットを見ると、すごく遠い世界に感じる。ちょっとネットを続けていると、また前と同じような感覚に戻るのだが、定期的にネットから離れることがあり、クールダウンの役割をしていると思う。 この話題を見かけたのは2008年というTwitterが流行り始めた年だったので、2,3日、個人のブログやTwitt

    インターネットの住人でなくなる日 - ARTIFACT@はてブロ
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    taueda 2012/10/30
  • ウェブの皮肉屋に、金銭や労力といったコストをかけてくれる人はいない - ARTIFACT@はてブロ

    ※とある件が起きて、以前Facebookで書いた文章を一部編集 最初個人宛として書こうかと思ったけど、面倒なので一般論として書く。 人は楽しいところに集まる。でも、その楽しいところから勝手に疎外された!と思う人(いわゆる「けまらしい」)は一定数いるから、楽しいところを批判すれば、一定の喝采はあびる。でもその喝采を浴びせてくれた人って、批判者に何か与えてくれる訳じゃない。 具体的にいえば、喝采を浴びせてくれた人たちは金を払ってくれない。だって単に自分が気持ちいいと思える意見があったという確認がしたいだけで、金を払ってまでは欲しくないから。もちろん労力だって払ってくれる訳がない。 ウェブは皮肉屋に一定の注目を集めるけど、その注目は労力や金といった高いコストには還元されないのだ。 賛成ばかりで気持ち悪いから、反対の意見を言ったんだ、皮肉屋はよくそういうが、それには信念を感じられない、賛成されてい

    ウェブの皮肉屋に、金銭や労力といったコストをかけてくれる人はいない - ARTIFACT@はてブロ
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    taueda 2011/07/09
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