ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (167)

  • 角田大河騎手、川口ゆりさん、フワちゃん、相変わらずSNSは不穏だ。 - いつか電池がきれるまで

    www.sponichi.co.jp smart-flash.jp www.yomiuri.co.jp 角田大河騎手、川口ゆりさん、フワちゃん、相変わらずSNSは不穏だ。 角田騎手は、残念な結末になってしまったが、僕自身も角田騎手を批判するポストをしていたので、なんだかモヤモヤしてはいる。 日経平均株価は2000円以上も下がり、騎手が競馬場の芝コースを車で爆走。コロナ激増で疲労困憊している状況でこのカオスな世界線に絶望している。暑さで僕の認知機能が低下しているのか、これは悪い夢なのか?— FUJIPON (@fujipon2) 2024年8月2日 角田大河騎手に関しては、なんであんなことをしたのか、今でも意味不明だ。 最初は「競馬関係者なのに、競馬場のコース保全の大変さとレースや調教への影響もわからないのかよ!」と憤っていたのだが、普通に考えれば、僕よりもずっと競馬の世界にどっぷり浸かって

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  • Re:煽りじゃなくて40代の男性は何のために生きているのか教えてほしい - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp 「こんな生活で、生きている意味、あるのかなあ……」と僕もずっと思いながら、40代を過ごし、もう50歳も過ぎてしまいました。 なんというか、ずっと、異世界転生できなかった「なろう小説」の主人公みたいな感じです。 若い頃の自分が、こんな未来を知ったら、きっと絶望したと思う。 振り返ってみると、僕は若い頃からずっと絶望し続けていて、その都度、テレビゲームやマイコンに出会ったり、ネットでものを書いたり、家族ができたりして、なんとかここまで続けてきただけなのかもしれません。 能動的に「生きる意味」を感じていたというよりは、生きていればときどき良いこともあったので、積極的に死を選ぶほどの衝動が起きなかった。 正直、30代くらいまでは、目の前の仕事や「やらなければならないこと」をやり過ごすのに精一杯で、「生きる意味」とか、あまり考えたこともなかったのです。生きる意味よ

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  • 山崎元さんと「お金」と「怒り」について - いつか電池がきれるまで

    diamond.jp media.rakuten-sec.net 経済評論家の山崎元さんが亡くなられた。 道がんで闘病中であることを公表されていたし、メディアに出演されている姿をみて、痩せてしまったなあ、と心配してもいたのだ。 山崎さんは、金融機関や保険会社が「売りたい(手数料が稼げる)商品」に比較的忖度せず、「個人投資家にとって、(長期投資ができるのであれば)比較的低リスクで低コストのインデックス投資」をずっと勧めていた。 各種保険の必要性にも疑問を投げかけていた。 それは山崎さん人が癌で闘病されていたときも変わらなかった。 アメリカならともかく、日においては、「お金がないから標準医療を受けられない」ということはないし、高額医療も手続きをすれば一定額以上は還付される仕組みになっている。僕自身は、学生時代に寮で息苦しい思いをしたこともあり、入院するなら個室がいいなあ、と思うので、躊躇

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  • 「昔のインターネットは面白かった」と思っている世代からみた「今のインターネット」

    anond.hatelabo.jp gothedistance.hatenadiary.jp p-shirokuma.hatenadiary.com 「昔のインターネット」の話になると、つい、いっちょ噛みしてしまいたくなる(今では「擦る(こする)とか言うんですかね)。 僕自身の記憶を辿ってみると、2000年代、まだISDN全盛の頃から、ホームページビルダーで個人サイトを作っていた頃、そして、眞鍋かをりさんが「ブログの女王」と呼ばれ、雨後の筍のようにブログサービスが立ち上がっていった時期の頃は、「楽しかった」というか、「とにかく時間を惜しんで更新していた」のだ。仕事は今よりずっと忙しくて時間に追われていたのだが、夜遅くに帰ってから睡眠時間を削って毎日更新していた。 いやむしろ、忙しくて仕事にもあまり夢中になれず、生き甲斐をブログにアウトソーシング(外注)していたのではないか、とさえ思う。 1

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  • 『はてなブログ』が生き残るためには、『TikTok』や『Netflix』に学ぶべき - いつか電池がきれるまで

    2020年、なんとなく、ブログが「重い」。 fujipon.hatenablog.com 上記のようなエントリを書いて、「もうオワコン(コンテンツとしての賞味期限が切れていること)なのかな……」と自己暗示をかけてしまっている面もあるのかもしれませんが…… 年の初めということもあって、「ブログというメディアの現状への危機感と問題点」を書いているエントリもいくつか目にしました。 p-shirokuma.hatenadiary.com www.ituki-yu2.net 「他者にまとまった文章で言及して、議論を積み重ねていく文化」がブログのなかでも衰退してきているし、「新たなブログとの出会い」の場もどんどん少なくなってきている。 もっとも、これは僕が長年ブログを続けてきた人間であるからで、どんな趣味の世界でも、初心者や新たに入ってきた人は、どんどん「新しいもの」を求める傾向はあるのです。 でも、

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  • 中途半端に「コツコツ努力してきた」人間の述懐 - いつか電池がきれるまで

    p-shirokuma.hatenadiary.com 若い頃、自分は「コツコツ努力する」のが苦手な人間だと思って生きてきた。めんどくさいを読んだり、マイコンの前で延々とBASICのブログラムを打ち込むのは、全く苦にはならなかったのだけれども。 ただ、幼少時から、やたらとコンプレックスが重くのしかかっていて、「自分のような、ルックスが悪くて、運動音痴な人間は、なんとか勉強で生きていくしかない」とは思っていたのだ。 だから、それなりには勉強したつもりだったのだが、やっぱりテレビゲーム読書のほうが楽しかった。 高校時代、全寮制の男子校に行っていたのだが、とにかく寮生活が苦痛でしかたがなく、夜の「学習時間」も、参考書のカバーをかけて、ばかり読んでいた。 それでもなんとか「そこそこ」と言えるくらいの大学に受かり、自分には向いていないなあ、と思いつつ国家資格を取り、もうちょっと立派な職業人にな

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  • 『スーパーマリオメーカー2』で、ある職人見習いが体験した「ゼロの日常」 - いつか電池がきれるまで

    先週、2019年6月28日に、ニンテンドースイッチで、『スーパーマリオメーカー2』が発売されました。 スーパーマリオメーカー 2 -Switch 出版社/メーカー: 任天堂発売日: 2019/06/28メディア: Video Gameこの商品を含むブログを見るスーパーマリオメーカー 2|オンラインコード版 出版社/メーカー: 任天堂発売日: 2019/06/21メディア: Software Downloadこの商品を含むブログを見る うちの長男(小学校高学年)は、このゲームが発売されるのを、当に楽しみにしていたんですよ。 前作『スーパーマリオメーカー』の動画を延々と見続けて「予習」していたのです。 僕自身は、正直、自分でコースをつくるのはめんどくさいし、息子がつくったコースで遊ばなきゃいけないのも大変だなあ、と思っていたのです。 個人的には「つまらなくはないんだけど、どんなすごいコースで

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  • アメリカの銃規制と「はてなブックマーク廃止論」その後 - いつか電池がきれるまで

    僕はずっと、アメリカで銃規制に反対する人たちに対して、「まだ西部劇の夢から醒めない、アナクロニズムから抜け出せない存在、だと思っていました。そうやって、銃を持てる社会になっているからこそ、銃乱射事件が起こって多くの人が殺されていることが、なぜ理解できないのか?と。 でも、現地で生活をしていた人が書いたこのを読んで、その理由が少しわかったような気がしたのです。 fujipon.hatenadiary.com 2012年には、フロリダ州で17歳の黒人の高校生が自警団としてパトロールしていたヒスパニック系の男性に射殺されました。 オバマ大統領は、この事件に関して、自らの経験を語りながら、「こうして撃たれたのは自分だったかもしれない」と国民に対して痛切な訴えを行なったのですが、それでも、銃規制への道は遠いようです。 「全米ライフル協会」というのは、西部劇の世界を引きずっているような過激で時代錯誤

  • 「自分をADHDと思いこんでいるただの低スペック人間多すぎでは?」についてのとりとめのない雑感 - いつか電池がきれるまで

    tyoshiki.hatenadiary.com nyaaat.hatenablog.com 「自分をADHDと思いこんでいるただの低スペック人間多すぎでは?」についてのとりとめのない雑感など。 最近、このを読んだのですが、著者の借金玉さんはすごく頭が良いというか、言葉で物事を説明するのが上手な人だなあ、と思ったのです。 fujipon.hatenadiary.com たぶん、ネットで語られている「発達障害者の苦悩」というのは、「生きづらいけれども、言語能力に優れていたり、文章を書くのは得意」な発達障害者によって書かれたものが多いのでしょう。 僕自身も含めて、「生きづらいと自分では思っているし、困り果てているけれど、口は達者(あるいは、ネットでは饒舌)」というタイプの人が主な語り手になっているのです。 それは、あくまでも一部の発達障害者の特性でしかないと思われます。 最初から2つめのエン

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  • 「ブロガー」という業の深い人間のひとりとして、hagexさんの事件に感じていること - いつか電池がきれるまで

    昨夜、ワールドカップの日戦を観ながら、考えていました。 hagexさんは、この試合を観るつもりだったのだろうか。 いつかブログで見たように、生ビールのジョッキをたくさん並べて、中洲の夜を堪能する予定だったのだろうか。 僕はhagexさんに直接の面識はないし、ネットでのやりとりといっても、お互いのエントリに言及したり、ブックマークしたりすることがあった、という程度です。 僕が「ネットウォッチャー」をあまり好きでなかったこともあり(僕自身も、他者からみれば「ネットウォッチャー」のひとりなのかもしれませんが)、hagexさんが起点となって生じる「ネットリンチ」の尻馬に乗らないように気をつけていました。 anond.hatelabo.jp hagexさんが自覚してやっていたかどうかはわかりませんが(僕は「ある程度意識してやっていた」と思っています)、hagexさんが採りあげ、綿密な情報網で証拠を

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  • 「はてなブックマーク」廃止論 - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp 僕もネットでの「いじめ」「いじり」にまったく無縁ではないし、お前は偽善者だと言われれば、そうですね、としか言いようがない。 僕自身は、とりあえず、自分の身に降りかかった火の粉は払おうとしてきたし、できれば、あまりうまく生きられない人に、ネットを通じて1ミリでも役に立てれば、と思っていた。そしてその一方で、自分が楽しいと思うことを発信して、誰かに「俺もそれ好き!」って言ってほしかった。 hagexさんの事件について、『はてな』の責任を問う声もあがっていて、『はてな』への認証のしかたを変えた方が良いのではないか、というのも読みました。 僕がいま考えているのは、『はてなブックマーク』という機能をもう止めても良いのではないか、ということなのです。 僕自身も利用しているサービスだし、ブックマーク機能の恩恵も長年受けてきています。 はてなブックマークは、バッシングの

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  • 『はてな匿名ダイアリー』の「パチンコ出玉規制によって現場で起きている惨劇」を読んで - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp このエントリとブックマークコメントでの反応をみていると、『はてな』には「パチンコのことについて書かれているというだけで、ものすごく嫌悪感をあらわにする人が多いのだな」と思うのです。 b.hatena.ne.jp これを読んで、一部の人たちの反応で、『はてな』を語るなんて、「主語が大きい」とか、「雑」とか思ったあなた!その通りです。 でも、そう思う人も少なくないはずなのに、「パチンコ界隈の人って、独特のリズムで全く意味のわからない文章を書くよね」というコメントにスターをつけることには躊躇しないというのも、矛盾しているのではなかろうか。そもそも、みんなそんなに「パチンコ界隈の人」の文章を読んでいるのだろうか。 故・田山幸憲さんの文章は美文だと思うし、木村魚拓さんのコラムは面白いんだけどなあ。 あんまり脱線すると話が長くなって、「またわけのわからない文章を書い

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  • かわん(id:kawango)さんと、川上量生さんのこと - いつか電池がきれるまで

    kawango.hatenablog.com ネットのなかで「半匿名」でいたいという気持ちは僕にもわかるような気がします。 ネットのおかげで発言ができるようになった人というのは、まさに僕のことではないか、とも。 個人的に、ネットには恩を感じているし、なるべく居心地の良い場所であってほしい、と願っています。 以下の話は、かわん(id:kawango)=川上量生さん、と決めつけて書いたものです。 そういうのは、川上さんの意ではないだろうということはわかっているつもりです。 最初は、もう少し、のらりくらりとしたものを書こうと思っていたのですが、過去から川上さんの言葉をたどっていると、批判するとか賛成するとかはさておき、インターネットの時代を生きてきて、変化していく現実がみえすぎるくらいみえている経営者(川上量生)と、ルーツである「自分を救ってくれたネット」に恩義を感じ続けているひとりの男(id

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  • ミッドライフ・クライシス(中年の危機)の真ん中で - いつか電池がきれるまで

    p-shirokuma.hatenadiary.com pha.hateblo.jp toya.hatenablog.com 僕がこの「ミッドライフ・クライシス」(中年の危機)という言葉をはじめて意識したのは、12年前でした。 この概念そのものは、けっこう前からあるみたいなんですけど、成人式とか認知症みたいなもので、自分には(時期的に)、まだ(もう)関係ない、と思っているときに触れても「ふーん、世の中には、そんなものがあるんだねえ」みたいな感じだったのでしょうね。 いまから12年前って、僕は30代前半くらいだったのか、独身だったし、ようやく少し仕事らしいこともできるようになったし、という時期だったと思います。 リアルタイムでは、いろんな悩みはあったんだろうけど、どんなものだったかは、もう忘れてしまっています。 そのきっかけになったのが、映画監督の周防正行さんが書いた、このだったんですよ。

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  • 朝日新聞デジタルが、「粗悪なネットウォッチャー」と化した日 - いつか電池がきれるまで

    www.asahi.com b.hatena.ne.jp 僕はそれなりにネット歴が長いので、ネットバトル的なものも経験してきています。 『はてな』の世界では、「お前、俺を批判する記事をブックマークしただろ!」と怒鳴り込んでくる人もいたし、ブックマークコメントにデマを撒き散らす人もいたし、Aさんを批判するBさんのコメントに「はてなスター」をつけましたよね、と言う人もいました。 あれは『はてな』の濃密な人間関係というか、相互監視文化みたいなものだよなあ。 そこまで追跡されているのか……という怖さとともに、そういうめんどくさい事態を引き起こすような脇の甘い行動には注意しなければ、と今は思っているのです。 僕への罵詈雑言コメントにスターをつけた人とか、やっぱり気にならないといえば噓になるのですが、確認しても憂になるばかりなので、頑張ってスルーしています。自分のエントリに対するブックマークコメント

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  • 「この国での貧困は絶対に自分のせい」と言う人々の「背景」について - いつか電池がきれるまで

    news.nifty.com この人のこと、僕はよく知らないのですが、まあそりゃ炎上するよなあ、というツイートではありました。 人にはそれぞれ事情もあるし、自分だって、病気や事故、家族の介護などで、いつどうなるかわからない。 朝、車のエンジンをかけながら、もしちょっとした運転時の気のゆるみで人を轢いてしまったら、人生が暗転するかもしれないんだよなあ、という恐怖感に襲われることもあるのです。 そんな僕も、職場でなかなか動いてくれない人や指示を守ってくれない人にたいして、苛立つことは少なくないわけです(僕自身もイラつかせていることは多々あるはず)。 いろんなことが「できる」のも「できない」のも人それぞれではあるのだけれど、すべてを「そういう人もいますからねえ」なんて受け入れるのは、現実では難しいよね。給料分くらいは働いてよ……とか心の中で思うことはある(僕もたぶん思われている)。 fujipo

  • 「何者にもなれない」あなたに読んでみてほしい、「何者かになってしまった人」の10冊 - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp これを読みながら、考えていたのです。 僕も「何者にもなれない人間」であることに悩みつつ、その一方で、自分を限界まで追い込むような努力もせずに生きてきて、もう40歳も過ぎてしまった。 以前、こんな文章を書いたことがあります。 fujipon.hatenadiary.com このときの僕は40歳手前くらいだったので、まだ20代前半くらいで「何者にもなれなかった」と嘆いている冒頭の増田さんには、「まだ時間があるじゃないか」と言いたくなるところもあります。 ただ、僕にだって時間はあったし、他の大部分の人だって、そうなのだと思う。 所詮、「みんなが認める『何者か』になれる人」なんて、そんなに大勢はいないのだし、運とか巡りあわせみたいなものもある。 最近、こんなニュースがありました。 www.asahi.com これに対して、ネットの反応をみていると、そのなかに、「

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  • 「愚かなパチンカス」だった僕の遺言としての「ギャンブル依存症」の話 - いつか電池がきれるまで

    plagmaticjam.hatenablog.com 僕自身もギャンブル依存的なところがあり、読んでいて、なんだか悲しくなってきました。 以前、こんなエントリを書いたこともあります。 fujipon.hatenadiary.com まあ、パチンコ・パチスロって、やっている人たちも、自虐的に「俺ってパチンカスだよなあ……」なんて思いつつもやめられないものではあるんですけどね。 個人的には、パチンコはけっして良いものではない、いや「悪いもの」だというのが僕の認識です。 人生で大事なものって、大きくわけて3つあって、ひとつは人間関係、ふたつめはお金、みっつめが時間です。 パチンコは、少なくともその2つのうちのお金と時間を激しく浪費するし、地道に何かを積み重ねて成果を挙げなくても、大当たりや連チャンで得られる快楽にハマってしまう。 普通に生きていると、「大当たりの瞬間」って、ほとんどないので。

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  • 落語と「ポリティカル・コレクトネス」との葛藤 - いつか電池がきれるまで

    落語をときどき聴きにいくようになりました。 20代くらいの頃は、漫才やコントはさておき、落語には、まったく興味がわかなくて、時間は長いし、背景はわからないし、この時代に落語を聴くなんていうのは「古典芸能に理解があることをアピールしようとしている腐れインテリ」みたいだな、と思っていたんですよ。 でも、40代も半ばになって、あらためてこの世界に触れてみると、落語というのは噺の内容そのものだけでなく、演者の個性というか、「どう客に聞かせるか」を楽しむものなのだな、ということがわかってきました。 率直に言うと、昔の落語の「ネタ」って、いま聴いても、そんなに面白くはないと思うんですよ。 少なくとも、それが作られた時代にリアルタイムで聞いていた人たちと同じ感覚では、楽しめない。 でも、その「そんな現代的ではないネタを、面白く聴かせる落語家の話術」は、当にすごい。 まあ、こんなことを書きながら、僕自身

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  • 「自分が死ねば世界は終わりだ」ということに気づいてしまった人たち - いつか電池がきれるまで

    saavedra.hatenablog.com この『おんな城主 直虎』の感想と「高天神崩れ」の話が面白かったのです。 saavedra.hatenablog.com これを読んで、「それでは、武田勝頼は高天神城を救援に向かうべきだったのか?」とあらためて考えていました。 当時の情勢や織田・徳川連合軍との戦力差からすると、救援に向かってもうまくいかない可能性が高く、戦争続きで厳しかった財政をさらに悪化させるだけなので、「見捨てるのは合理的な判断」なんですよね。 でも、人の心というのは「合理的だから納得できる」というものではない。 降伏を受け入れずに城兵を殲滅した織田・徳川方のほうが、「ひどいことをしている」わけですが、だからといって、「武田は味方を助けてくれない」というイメージの浸透のほうが、結果的には歴史に大きな影響を与えたことになります。 まあ、もっと長い目でみれば、そういう「勝つため

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