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2019年4月2日のブックマーク (6件)

  • コロラドさん解説『東京電力福島第一原発事故発生時 菅直人首相に提出された「原子力委員会 近藤駿介メモ」が示す最悪のシナリオ』 #メルトダウン (2019.4.1作成)

    まとめ 「メルトダウン」関連まとめリスト 私がお気に入りにさせていただいたものや、作成した「メルトダウン」関連のまとめリスト 全部ではありません。 7285 pv 208 1 user 75 Hiroshi Makita Ph.D. 誰が日のコロナ禍を悪化させたのか?扶桑社8/18発売中 @BB45_Colorado #文字とは読むものなり眺めるものにあらず このお幸せな人は、福島核災害当時、菅直人首相に提出された原子力委員会委員長近藤俊介メモを知らないのよね。 実は合衆国の推定も3000万人以上の難民化であった。 頭がとことん悪い。 twitter.com/n_c_power/stat… 2019-03-31 16:53:58 SUGI @n_c_power >箱根以東の東日全域が無人の核の荒野となる最悪の事態は避けられました また、クソ風評を流している。何処から、こんな適当な表現が

    コロラドさん解説『東京電力福島第一原発事故発生時 菅直人首相に提出された「原子力委員会 近藤駿介メモ」が示す最悪のシナリオ』 #メルトダウン (2019.4.1作成)
  • 『保田與重郎(日本浪漫派)の『絶対平和論』』

    真の国益を実現するブログ真の国益を実現するため、外交・国防・憲法・経済・歴史観など あらゆる面から安倍内閣の政策を厳しく評価し、独自の見解を述べていきます。 日浪漫派(にほんろうまんは)の中心人物であった保田與重郎の『絶対平和論』をご存知でしょうか。戦後間もない昭和25年に、対話形式で著された四百時詰め原稿用紙にして200枚を超す大作です。 名称からして左翼との誤解を受けそうですが、あくまで日の伝統を保守する立場としての論稿です。また、理想論あるいは空論と言ってしまえばそれまでなのですが、我が国はまだ連合国の占領下にあり、国土荒廃からの復興途上、さらには朝鮮戦争も勃発(昭和25年6月25日~28年7月27日休戦)、核兵器使用による第3次世界大戦が危惧された時代状況にあったということを鑑みれば、全くもって非現実な論として片付けられない、保田のこの主張も、当時では、にわかに現実味を帯びてき

    『保田與重郎(日本浪漫派)の『絶対平和論』』
  • 保田与重郎にハマる。 - ウォール伝、ディープWebアンダーグラウンド。

    とりあえず読むかー程度で読み始めた保田与重郎なんだけどドハマりしてしまってあの悪文とも言われる妖艶な文体もさることながら保田の文化的な危機意識というのが凄く鋭くてまぁ保田のもさることながら読み直そうと思ってた橋川文三の日浪漫派批判序説なんかも同時に読んでたりするんだけどまぁもっとちゃんと読んでから書けばいいんだけど今のところ漠然と思うのがっていうか結構このまだ読まないうちに漠然と思うっていう段階で思うことって結構重要だったりするじゃない?読み切ったら出ないような考えが出たりなんかしてっつーのは保田の危機意識っていうのは憂国の烈士のそれで色々と歴史関係から歴史的必然性とかバックグラウンドとかナショナリズムとかって言われたりするんだけど俺が思うにあれは確かに歴史的必然性もあったし時代精神もあったと思うけど圧倒的に保田与重郎っていう個の思想だったと思うんだよね。 ようは時代がどうであれとにか

    保田与重郎にハマる。 - ウォール伝、ディープWebアンダーグラウンド。
  • https://cogito.jp.net/essey/shiki06.htm

  • Edge – ART DOCUMENTARY

    番組冒頭、前田英樹は、「グローバリズムと称した一極集中支配」に対し「群小のナショナリズムが無数に生じる」世界状況における日のありかたを問いかける。その手がかりとして、昭和、日浪曼派を代表する保田與重郎の足跡を辿ってゆく。古典への並々ならぬ素地をまなびうけた保田は、近代への抵抗と忌避を標榜し、彼独自の批評文をつむいでいった。「思索紀行」として保田與重郎ゆかりの地を訪ね、前田が保田を描く方法は、保田が日、古典を叙述するそれと似ている。前田は「自然(かむながら)」思想を軸に、保田が近代、西洋に日の古典を突きつけたように、保田の民族、共同体観を現存の体制構造に対置させる。保田は戦後、戦争への協力者と見做された。しかし、前田英樹は、保田の文に、当時の国策と微妙な、決定的なくいちがいがあったはずだと告げる。 ここで再び、篇最初に提示された国家共同体の存立、対立の現代的課題がよみがえる。前田英

    Edge – ART DOCUMENTARY
  • 保田與重郎 - Wikipedia

    保田 與重郎(保田 与重郎、やすだ よじゅうろう、1910年(明治43年)4月15日 - 1981年(昭和56年)10月4日[1])は、日の文芸評論家。多数の著作を刊行した。湯原冬美の筆名も用いた。 奈良県十市郡桜井町(現桜井市)生まれ。旧制奈良県立畝傍中学校を経て、大阪市阿倍野区にあった旧制大阪高等学校から東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。大阪高校時代にはマルクス主義にも触れ、蔵原惟人や中条百合子の作品を評価していた。また、高校時代の同級に竹内好がおり、後に保田が中国を訪れた際には竹内が案内役となった。 東京帝大在学中から大阪高時代の同窓生と共に『コギト』を主宰。高校時代のマルクス主義からヘルダーリンやシュレーゲルを軸としたドイツロマン派に傾倒し、近代文明批判と日古典主義を展開した。1936年(昭和11年)に、処女作である「日の橋」で第1回池谷信三郎賞を受賞、批評家としての地位