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旅と写真に関するtetsu_1895のブックマーク (102)

  • 道教の神様だけでなく、仏教系や儒教系の神様も祀られていて、大史廟に祀られている神様の種類は多い | 写真とエッセイ by awazo.com

    ジャカルタのグロドック地区にある大史廟という中国寺院の中に足を踏み入れた。小さな門をくぐると堂の建物へと続く道の真ん中には太いロウソクが何も立てられていた。春節を祝うためなのだろうか。いずれにしてもも、これだけ太いロウソクはあまり他の国では目にすることがないものだった。どのロウソクも火が点けられていて、柱のようなロウソクの上で炎がゆらゆらしていた。 ここは福建南部系華人が建てた廟で、謝玄という中国東晋の将軍を主神として祀っているのだそうだ。そう聞くと道教の寺院だと思ってしまうが、道教の神様だけでなく、仏教系や儒教系の神様も祀られていて、その種類は多い。日の神社でも祀られている複数の神様が祀られていることが多いけれど、この中国寺院も負けてはいない。これだけ多くの神様が祀られていたら、どのような祈願をされても誰かが対応できるに違いない。 燃え盛るロウソクを眺めながら境内にあるベンチで腰掛

    道教の神様だけでなく、仏教系や儒教系の神様も祀られていて、大史廟に祀られている神様の種類は多い | 写真とエッセイ by awazo.com
    tetsu_1895
    tetsu_1895 2020/06/09
    ジャカルタのチャイナタウンにある中国寺院
  • 黄昏には郷愁に浸らせる力があるような気がした | Photo by awazo.com

    迪化街をウロウロしているうちに日が低くなってきていた。とろんとした黄昏の光が道に降り注いでいた。路面は黄色に輝いていて、道を走る自動車たちはシルエットになっていた。多くの人が家路に就く時刻だ。でも僕は家路に就くことはない。僕の家はここから遙か遠くで、仮の住まいに戻るにはまだ時間が早い。 黄昏に染まった道を眺めていると、一日が終わりつつあるのを感じる。そして何故だか分からないけれど、子どもの頃を思い出す。今実際にいるのは異国の地なのに。黄昏には郷愁に浸らせる力があるのかもしれない。

    黄昏には郷愁に浸らせる力があるような気がした | Photo by awazo.com
  • 赤い扉に黄色い乳鋲 | 写真とエッセイ by awazo.com

    行天宮は台北にある関帝廟で商売の神様である関羽が祀られている。出来ることならお金持ちになりたいと願う人はどこの国でも多い。そのため台北観光の目玉のひとつでもある関帝廟は連日賑わっている。やってくるのは観光客よりも地元の人の方が多いように見える。 参拝客が出入りする入口よりも立派な扉が設けられているものの、その扉はしっかりと閉じられていた。反対に回ると太い閂で閉じられているのが分かる。鮮やかな朱色に塗られた扉には乳鋲のような飾りが幾つも付いていた。まるで侵入者がこの扉から侵入してくるのを防いでいるかのようだ。 扉の上に目を向けると扁額が掛けられていて、寺院の名前が書かれていた。両脇の柱には彫刻が施されていた。御祭神である関羽はこの扉のちょうど向こう側に鎮座しているのだけれど、人間が中に入るには脇にある小さな扉から入らなければならない。神様の真正面から入るのは不謹慎なのだろう。正中を避けるよう

    赤い扉に黄色い乳鋲 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • ダッタトラヤ寺院の入り口に剣を持った神様が鎮座している | 写真とエッセイ by awazo.com

    バクタプル旧市街にあるタチュパル広場にダッタトラヤ寺院というヒンドゥー教寺院の入り口には剣を手にした大きな石像が鎮座している。日のお寺の表門にある金剛力士像のようなものなのだろう。そこで睨みを利かすことで邪悪なものが寺院の中に入ってくるのを防いでいるに違いない。 このような像を目の当たりにすると、中にはすごすごと中に入るのを諦める邪悪なものもあるのだと思うくらいに異形なのだけれど、よくよく見てみると愛嬌のある顔立ちにも見えてくるから不思議だ。口髭の曲線も円な瞳もとちらも可愛らしかった。

    ダッタトラヤ寺院の入り口に剣を持った神様が鎮座している | 写真とエッセイ by awazo.com
  • ビスケットに囲まれて笑う青年 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    青年は道端のありふれた雑貨屋で働いていた。男はここでビスケットを売っているのだった。目の前にはビスケットの山がある。様々な種類が売られているけれど、どれもこれもビスケットばかりだ。男はビスケットしか扱っていないようで、お店は雑貨屋というよりもビスケットの専門店のようだった。 この辺りでは、大の大人もビスケットを好むので、需要は結構あるのかもしれない。地元の人はチャイのおともにビスケットを齧る。紅茶にビスケットは良く合うのだ。

    ビスケットに囲まれて笑う青年 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 鮮やかな青いワンピースの女の子がシアルダー駅の構内に立っていた | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    駅構内に露店が出ていた。中には雑誌を売るキオスクのようなお店もあった。沢山の種類の雑誌が床にを地面に並べられている。ここはコルカタにあるインド東方面鉄道のターミナルであるシアルダー駅だ。長距離移動のお供に雑誌を買って列車に乗り込む人がまだまだ多いのだろう。 雑誌の後ろに立つ柱に目を向けると、横に鮮やかな青のワンピースを着た女の子が立っていた。雑誌を売っている男性の娘のようだ。おそらく手伝いをしているのだろう。時とともにお父さんが床に並べている雑誌がポツポツと売れていく。ふとした瞬間に女の子はこちらに凛々しい顔を向けてくれた。

    鮮やかな青いワンピースの女の子がシアルダー駅の構内に立っていた | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 黄色のタクシー | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    ホテルの窓から顔を出して、往来を眺めていた。道路脇に黄色のタクシーが停まっていた。窓が開いていて、客待ちをしている運転手の姿が見える。客待ちをしながら横に立っている男とおしゃべりをしているようだった。 この国では地域ごとにタクシーの色が決まっているようだ。西ベンガル州の色は黄色だった。でも、地元の人たちはそれほどタクシーを利用しているようには見えない。地元の人にとってタクシーはちょっと高い乗り物なのだろう。最も利用されているのは今でも人力で動くリクシャーだ。

    黄色のタクシー | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 三つ編みの女の子の穏やかな視線 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    細い路地を散策していて行き会った三人の女の子。三人は路地の片隅にあるテーブルの上でたむろしていた。 ひとりは宿題をしていた。ペンを片手に紙に何かを書き込んでいる。ブレスレットを幾つもしている女の子は、机の上に腰を下ろして書き込んでいる女の子ことをじっと見ている。 もうひとりの女の子は顔を机に上に載せながら、穏やかな視線を僕に投げかけていた。どうやら、カメラに興味があるのは、この三つ編みをした女の子だけのようだ。シャッターを切ると、その女の子ははにかんでくれた。

    三つ編みの女の子の穏やかな視線 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 開いて置かれた経典 | 写真とエッセイ by awazo.com

    境内で経典を読んでいる女性信者の背後に回ると、経典のページがよく見えた。中国語でびっしりと文章が書かれている。どうやら、経典には隙間なく文字が書かれているようだ。何か重要な教義が書かれているに違いない。中国語で書かれているから僕には全く分からないけれど、そうに違いない。 その一方で、この年配の信者は読み慣れているようだ。文字を追う指の動きは軽やかだった。ひょっとしたら、諳んじられるくらい読み込んでいるのかもしれない。

    開いて置かれた経典 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 行天宮で読経する女性たち | 写真とエッセイ by awazo.com

    境内の一角の屋根の下に細長い机が並べられていた。そして、大勢の女性の信徒が腰を下ろしている。お揃いの服装に身を包んだ信徒たちの年齢層は高めに見える。机の上には書見台も置かれていて、その上に経典が載せられている。女性信徒たちはそこで経典を読んでいるのだった。みな真剣な顔をしている。 よくよく眺めてみると、ここには男性の信徒の姿はない。女性ばかりだ。ひょっとしたら、男性用の場所はこことは別のところに設けられているのかもしれない。

    行天宮で読経する女性たち | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 男と電卓 | 写真とエッセイ by awazo.com

    口髭を蓄えた男がお店のカウンターの中に腰を下ろしていた。お店の中で一番どしんと構えているので、この男が店主に違いない。目の前にあるカウンターは綺麗な青だ。カウンターの上には書類と電卓が見える。整理整頓が行き届いているようだ。そして、男の後ろの壁には赤い花が活けてあった。 男は腰を落ち着けて寛いでいて、お店の雰囲気も穏やかだった。見たところ、もう商品の出荷も入荷も帳簿付けも終えてしまっているかのようだった。

    男と電卓 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 一輪の花を持つ男 | 写真とエッセイ by awazo.com

    市場の中を徘徊していると、写真の髭の男が声を掛けてきた。写真を撮ってくれと言う。カメラを構えてシャッターを切ろうとすると、男は普通に写真を撮られても面白くも何とも無いと感じたようだ。 近くにあった一輪の花を掴んで、ポーズを取ることにしたようだ。さらには頬杖を突きながら僕のことを見始めた。もちろん、顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。申し訳ないけれど、モジャモジャの口髭と一輪の花は、あまり合わないような気がした。

    一輪の花を持つ男 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 日溜りの中にジェラバを着た男 | 写真とエッセイ by awazo.com

    メクネスの旧市街の路地もモロッコの他町の旧市街と同じように狭く、両脇にはびっちりと建物というか壁が立っている。そのため、たとえ日中であっても路地全体に日差しが差し込むことはほとんどない。歩いていると、まるで立体迷路の中を歩いているような気分になってくるのだった。ここでは日差しは部分的にしか降り注がない。 そんな路地に出来た日溜まりの中を男が歩いていた。ニット帽を被って、ジュラバを纏っている。僕からしてみると相当の厚着だけれど、このような格好で歩いている地元の人は多い。この男が特別な寒がりという訳ではないのだ。対照的に僕は同じ路地をTシャツ1枚で歩いていたから、なんだか僕の体感温度は地元の人たちの体感温度と全く異なっているような気がしてならない。今は1月だから冬の真っ最中だ。僕にとっては冬なのに薄着で歩き回れるくらいに暖かいのだけれど、地元の人にとってはこのような日でも寒いと思っているのかも

    日溜りの中にジェラバを着た男 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 腕を曲げたり伸ばしたりながら中正紀念堂へ向かう三人の衛兵 | 写真とエッセイ by awazo.com

    中正記念堂の入り口でウダウダとしていたら、三人の衛兵が階段を上がってくるのが見えた。衛兵交代の時間が近づいてきているのだ。 キラキラと光るヘルメットを被った衛兵が歩調を合わせて階段を上っている。リズムを取りながら、同じように腕を曲げていた。一言も発することなく、同僚が待っている記念堂の中へと向かっている。中正記念堂は中華民国の初代総統だった蒋介石を記念して建立されたものだ。ここでは一日に8回儀仗隊交代式が行われる。

    腕を曲げたり伸ばしたりながら中正紀念堂へ向かう三人の衛兵 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 歩道の人々 | 写真とエッセイ by awazo.com

    大勢の人が歩道の上で屯していた。立ち並んでいる屋台の周囲に群がっているのだ。中でも軽を出す屋台は人気があるようで賑わっている。お店の前は混雑していた。 歩道にいる人びとの中にはスーツに身を包んだサラリーマンもいれば、タンクトップ姿の肉体労働者もいる。みな周りで立ち止まってべている。ホワイトカラーもブルーカラーもここで同じものをべているのだった。ふと時計に目をやると、ちょうどお昼時だった。ムシャムシャべている人たちを眺めていると、僕も小腹が空いてきた。

    歩道の人々 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 歩道のタイプライター | 写真とエッセイ by awazo.com

    郵便局に行くと、歩道の脇にいる男が目についた。机を置いて、椅子に腰掛けている。そして、男の目の前には昔ながらのタイプライターが置かれていた。男はそこで仕事をしているのだった。どうやら、そこは男の仕事場のようだ。 カタカタカタとキーボードを叩く音が歩道に響き渡っている、晴れた日には外で仕事するのも気持ちがいいに違いない。でも、暑い日が続くインドにだって雨の振る日もある。いったい雨の日はどうやって仕事をしているのだろう。傘でも差しながらタイプするのだろうか。

    歩道のタイプライター | 写真とエッセイ by awazo.com
  • ボントックの四人組 | 写真とエッセイ by awazo.com

    町の中心部を歩き回っていた。州都の中心部とは言っても、ここはかなりの田舎町だ。すぐに道という道を歩きつくしてしまう。そんな中心部を歩いている最中のふたりの男の子とふたりの女の子に行き会った。四人は仲良く一緒に遊んでいたのだった。好奇心旺盛の四人は僕の持ち歩いていた一眼レフに興味津々で、遊ぶのを一旦中止して僕に注視することにしたようだ。 カメラを向けると歩道にしゃがみながら思い思いの表情を見せてくれた。みな写真を撮られるのを楽しんでくれていると思っていたら、一番手前の男の子は真面目な顔でこちらを見ていた。

    ボントックの四人組 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • ビニール袋をぶら下げて疾走する女性 | 写真とエッセイ by awazo.com

    狭い路地には露店が立ち並んでいた。様々な材が売らている。その路地を歩いていると、向こうから自転車がやって来るのが見えた。ペダルを漕いでいるのは女性だ。自転車のハンドルにはビニール袋が幾つかぶら下がっているのが見える。 おそらく女性は市場で買い物を終え、家に向かって急いでいるのようだ。よほど早く家に帰りたいのだろう。狭い路地を風のように駆け抜けている。通行人なんてお構いなしに、女性はペダルを漕いでいるのだった。

    ビニール袋をぶら下げて疾走する女性 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 市場では唐辛子が大量に売られているけれど、西ベンガル州料理はさほど辛くない | 写真とエッセイ by awazo.com

    額に既婚の印であるシンデゥールを付けた女性がマルダにあった露天市で働いていた。脇に置いた大きな籠に大量の唐辛子が入っていて、足元に皮のついたままのニンニクが散らかっていた。女性は唐辛子とニンニクを売っていた。カメラを向けたとき、女性は籠に手を突っ込んで唐辛子を掴んだところだった。 唐辛子とニンニクの組み合わせにはべた人を元気にする力がある。暑いインドでは家庭でも唐辛子とニンニクをべて精をつけるのが一般的で、市場だけでなく道端でニンニクや唐辛子を売っている人が多い。そのような場所では、さぞかし料理が辛いのではないかと思うものの、マルダのある西ベンガル州の事はさほど辛くない。南アジアでは南に行けば行くほど辛くなる印象を持っている。その証拠にインドよりさらに南にあるスリランカの事は辛くてべるのに難儀した。

    市場では唐辛子が大量に売られているけれど、西ベンガル州料理はさほど辛くない | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 鍛冶屋は叩く | 写真とエッセイ by awazo.com

    裸足の男が小さな工房の中にしゃがんでいた。男は鍛冶屋で、ちょうど手にした金槌で叩いているところだった。傍らには石炭のクズのようなものが山積みになっている。どうやら、男は昔ながらに石炭を使って熱しているようだ。 見ている間ずっと、男は黙々と叩き続けていた。横にいる僕には一目もくれない。規則的な金槌の音が路地に響いている。見たところ、男が作っているのは包丁か鋸のようだ。仕上がったものが男の前の床に並べられているのが見えた。

    鍛冶屋は叩く | 写真とエッセイ by awazo.com