都会の人は他人に無関心だと言われることは多いが、この大都市には当てはまらないような気がする。町を歩いていると、大勢の人が外人である僕と、僕が持っているカメラに惹き付けられるようだった。写真の陽気な男もそのひとりだ。男は真っ赤な角を二本生やしていた。 本人は角をかなり気に入っているようだ。実際とても似合っていた。得意顔で僕の前に立ちはだかると、意気揚々とファインダーに収まってくれた。そんな様子を後ろにいた男も楽しそうに眺めていた。
肉屋の男は包丁で手際よく山羊を解体した。解体が終わると、肉片はお店ですぐに売られるのだった。あらかた肉は売れてしまったけれど、店頭には山羊の頭が残っていた。羊頭狗肉なんていう言葉があるけれど、ここで売られているのは正真正銘さきほど捌いたばかりの頭だ。 この辺りでは、肉だけでなく頭も売られているのをよく見かける。頭だけ買う人なんているか不思議に思ってしまう。カレーの出汁にでも使うのだろうか。それでも、タンクトップを着た肉屋は意気揚々と客が来るのを待っている。 肉片が床に散らばっていて、沢山の蝿が飛び交っている。ここでは、冷蔵設備なしに肉を売るのは普通のことだった。
ムルシダバッどの町角に小さな床屋があった。客が椅子に腰掛けていて、床屋が仕事をしている最中だった。カメラを向けても、床屋は手を止めることはない。お客の頭を手際よく剃り続けていて、見る見るうちに頭はつるつるになっていく。よく見てみると、口髭は残したままだ。頭の毛を全部剃った後に、剃るつもりなのかもしれない。 ちなみに、この辺りの床屋では髪をシャンプーしてもらうことは叶わない。床屋の中には椅子と鏡が置かれているだけで、水回りの設備はないのが普通だ。
台北でミュージシャンとして成功するという夢に破れ、台湾最南端に位置する故郷・恒春に戻った青年・阿嘉(アガ)。無為に日々を過ごすうち、郵便配達の仕事があてがわれた彼は、宛先不明で未配達の郵便物の中に、今では存在しない住所“海角7号”宛ての小包を見つける。その中には、60年前、敗戦によって台湾から引き揚げる日本人教師が、愛しながらも別れなければならなかった台湾人女性を想って船上で綴った7通のラブレターが。しかし日本統治時代の住所を知る者は、今や誰もいなかった。そんななか、阿嘉は日本人歌手・中孝介を招いて催される町興しライブの前座バンドに無理矢理駆り出される。成り行きで監督役を任された売れない日本人モデルの友子とは衝突ばかり。小学生の女の子や80歳の老人という寄せ集めのメンバーでは練習もままならず、余計にやる気を失っていく阿嘉をよそに、刻々とライブの日は近付いていた…。 情報 スタジオ ARS
丸山の辺りには飲み屋街が広がっていた。路地に両脇には多くの飲み屋が軒を連ねている。でも、はだ夕方だったので、お店は空いていない。酒をあおるにはまだ早い時間帯だった。路地は静けさに包まれていた。 静かな路地をひとりで探索していると、路地の先を一匹の黒猫がトボトボ歩いているのが見えた。僕と同じように飲み屋が建ち並ぶ路地を散策しているかのようだ。ひょっとしたら、夜にどこのお店で寛げば良いのか、下調べをしていたのかもしれない。
道端にちっちゃなおもちゃ屋があった。店主と思しき男が陳列された商品の横に腰を下ろしている。売られているのは玩具だけではなかった。お菓子も売られている。そんなお店を眺めていると、幼い男の子がやって来た。お店の前に立ち止まった男の子は背一杯右手を伸ばしている。どうやら、ちょっと上の方にあるビスケットの箱を手に取りたいようだ。小腹でも減っているのだろう。クリケットのバットだったり、ボールだったり、遊び道具が目の前に並んでいるのだけれど、男の子の視界には入っていないようだ。 よく見てみると、店主の横にはキンマの葉も広げられている。子供向けのものと同時に大人向けのキンマの葉も売られているのだった。お店はとても小さかったけれども、取り扱っている商品は多岐に渡っていた。
テオティワカンは紀元前2世紀から紀元6世紀まで実際に使用されていた巨大な宗教都市遺跡だ。かつてはメソアメリカの中心都市だったこともあるのだという。しかしながら7世紀頃から衰退し初めて、そのうち放棄されてしまったようだ。今では宗教施設として使われることはなく、メキシコ有数の観光地になっている。遺跡の中央にある大きな目抜き通りである死者の大通りを大勢の観光客がのんぼりと歩いていた。 ちょっとした高台に登って遺跡を見渡してみると、遠くの方に太陽のピラミッドがそびえていた。遠くにあるのに太陽のピラミッドは大きい。さすがテオティワカンのシンボルにもなっているだけのことはある巨大さだ。
写真にある木造の門は大光寺の門だ。ここは浄土真宗本願寺派の仏閣だ。外から門を眺めていると、ひとりの女性が視界に現れた。コートを羽織っている女性は門をくぐって境内へと入っていく。 木造の門の向こう側には笠を被った像が立っているのが見える。これは浄土真宗の宗祖である親鸞の像らしい。親鸞の像は入り口に静かに立ち続けている。まるで、寺院に訪れたものは誰であろうと、例え悪人であろうと歓迎しているかのようだった。
レストランの店先に水色のルンギを穿いてタンクトップを着た男が腰を下ろしていた。男の前には大きな鉄板があって、その上には丸い物体が置かれている。男はロティを焼いている最中だった。 カメラを向けると、男はレンズを見てくれた。でも、仕事の手を止めることはない。男は長い棒で時折ロティをひっくり返し続けていた。鉄板の上のロティは美味しそうなきつね色になっていた。見たところ、この辺ではロティは自家製であることが多いようだ。傍らにはまだ丸い形になっていないロティの生地も見える。これが焼き上がったら、また他のロティを捏ねて焼くのだろう。
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