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tetsu_1895のブックマーク (20,216)

  • 二本の角を持つ男 | 写真とエッセイ by awazo.com

    都会の人は他人に無関心だと言われることは多いが、この大都市には当てはまらないような気がする。町を歩いていると、大勢の人が外人である僕と、僕が持っているカメラに惹き付けられるようだった。写真の陽気な男もそのひとりだ。男は真っ赤な角を二生やしていた。 人は角をかなり気に入っているようだ。実際とても似合っていた。得意顔で僕の前に立ちはだかると、意気揚々とファインダーに収まってくれた。そんな様子を後ろにいた男も楽しそうに眺めていた。

    二本の角を持つ男 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 赤いフォルクスワーゲン・トランスポーター | 写真とエッセイ by awazo.com

    歩道橋の上に立って、上から往来を眺めていた。雨の日だった。ちょうど信号が青に変わったばかりで、横断歩道の上を幾つかの傘が歩いている。その後ろの方には、古いフォルクスワーゲンのワゴンが走っているのが見えた。 公式の型番はフォルクスワーゲン・タイプ2というらしい。味気ない名前だ。これはやはりトランスポーターと呼ぶのが相応しい。白と赤の二色に塗られたトランスポーターは、やはり赤く塗られた路面に似合っていた。時が経っても、そのスタイルは可愛らしい。

    赤いフォルクスワーゲン・トランスポーター | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 猫と小さな天満宮 | 写真とエッセイ by awazo.com

    住宅密集地の中の路地をさまよっていると、小さな神社に出くわした。別に有名な神社でもないようで、持っていたガイドブックにも載っていない小さな社だった。 鳥居の前に立って、境内の様子を眺めていると、境内からが出てきた。ゆったりと歩いているは満足そうな顔をしている。お参りを済ませてきたようだった。この小さな神社は天満宮のようなので、学業成就でも祈願してきたのかもしれない。ひょっとしたらの世界も学歴社会なのかもしれない。

    猫と小さな天満宮 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • ベランダのシルエット | 写真とエッセイ by awazo.com

    かつて金鉱によって栄えたこの小さな町は山間に造られている。そのため、建物はしばしば急な斜面に建てられていたりする。そのような建物のベランダからは遠くに広がる景色を楽しむことが出来るのだ。 歩いていると、二人の女性のシルエットをベランダに見つけた。二人はフェンス際に立ってそこからの眺望を楽しんでいるようだ。おそらくは遠くに東シナ海が見えていることだろう。女性のひとりは、遠くの方に向かって指を差していた。人混みから離れて、静かに景色を堪能するもまた楽しい。

    ベランダのシルエット | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 九份で托鉢する僧侶 | 写真とエッセイ by awazo.com

    九份の細い路地には大勢の人が歩いているから、托鉢をするにはもってこいの場所なのだろう。これだけの人がいれば、中には托鉢しようと思う人もいるに違いない。混雑した路地の路傍にいた僧侶はそれを狙ってここで托鉢をしているのだと思った。僧侶は托鉢用の鉢と長い数珠を持って静かに立っていた。 そうこうしているちに、僧侶の思惑通りに若い女性がやって来た。そして、僧侶に施しを渡している。ここでも、日と同じようにべ物ではなくて、お金を渡すようだ。ここにいる人のほとんどの人は僕と同じように観光に訪れているので、べ物なんて携帯していないから自然とそうなるだけかもしれない。

    九份で托鉢する僧侶 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 店先に並べられた羊の頭 | 写真とエッセイ by awazo.com

    肉屋の男は包丁で手際よく山羊を解体した。解体が終わると、肉片はお店ですぐに売られるのだった。あらかた肉は売れてしまったけれど、店頭には山羊の頭が残っていた。羊頭狗肉なんていう言葉があるけれど、ここで売られているのは正真正銘さきほど捌いたばかりの頭だ。 この辺りでは、肉だけでなく頭も売られているのをよく見かける。頭だけ買う人なんているか不思議に思ってしまう。カレーの出汁にでも使うのだろうか。それでも、タンクトップを着た肉屋は意気揚々と客が来るのを待っている。 肉片が床に散らばっていて、沢山の蝿が飛び交っている。ここでは、冷蔵設備なしに肉を売るのは普通のことだった。

    店先に並べられた羊の頭 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 男たちがまだ熟していないバナナの房を頭に乗せて競りの会場まで運んでいた | 写真とエッセイ by awazo.com

    コルカタの町を歩いていると、偶然に路上で開かれている果物市場に出くわした。市場の一角ではバナナの競りが行われている。競りの会場は混雑していて、大勢の人が働いていた。見ていると、次から次へとバナナが運び込まれていて競りにかけられていた。 トラックでここまで運ばれてきた大きなバナナの房は、人夫が頭に載せて競りの会場まで運んでいる。写真のふたりの男も大きな房を頭上に載せて、競り会場の手前で順番を待っているのだった。房は巨大でとても重そうに見える。彼らは強靭な首を持っているに違いない。 運ばれるバナナはどれもこれも、まだ緑色だ。バナナはまだ緑のうちに収穫をして、店頭に並ぶまでに黄色に熟すようだ。

    男たちがまだ熟していないバナナの房を頭に乗せて競りの会場まで運んでいた | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 男の頭が見る見るツルツルになっていた | 写真とエッセイ by awazo.com

    ムルシダバッどの町角に小さな床屋があった。客が椅子に腰掛けていて、床屋が仕事をしている最中だった。カメラを向けても、床屋は手を止めることはない。お客の頭を手際よく剃り続けていて、見る見るうちに頭はつるつるになっていく。よく見てみると、口髭は残したままだ。頭の毛を全部剃った後に、剃るつもりなのかもしれない。 ちなみに、この辺りの床屋では髪をシャンプーしてもらうことは叶わない。床屋の中には椅子と鏡が置かれているだけで、水回りの設備はないのが普通だ。

    男の頭が見る見るツルツルになっていた | 写真とエッセイ by awazo.com
  • バイクに乗ったふたつの顔 | 写真とエッセイ by awazo.com

    列車のチケットを買った後、ひとりで道を歩いていた。するとバイクにまたがった二人の男がやって来て、僕の前に停まった。そして、バイクに跨ったまま話しかけてきたのだった。何か因縁でも付けられるのかと心配したが、そうではない。 僕が駅でチケットを買うのを見ていたようで、僕が乗ろうとしていた列車が事故で運休になるかもしれないということをわざわざ教えてくれたのだった。確かにさっき切符を購入したばかりだった。普通に買ったつもりだったけれど、そんなに目立っていたのだろうか。ふたりはそれだけを僕に伝えると、風のように走り去ってしまった。顔はちょっと怖かったけれど、なんて優しい人なのだろう。

    バイクに乗ったふたつの顔 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 掻く犬 | 写真とエッセイ by awazo.com

    九份の町並みを堪能したので、台北へと戻ることにした。バス停で台北に戻るバスが来るのを待っていたのだった。他の大勢のバスを待っている人とともに、バス停には一匹の犬がいた。もしかしたら、この犬もバスが来るのを待っているのかもしれない。 地面に寝転がった犬は、必死で体を掻いている。とても痒そうだ。掻いている時はどこか遠くを見つめたままなので、もう夢中で掻いているように見える。カメラを持って近づいてきた僕に注意を払っているような場合ではないようだった。

    掻く犬 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • クラウドファンディング - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)

    総合 テクノロジー・ガジェット フード・飲店 プロダクト ファッション 音楽 ゲーム・サービス開発 映像・映画 スポーツ まちづくり・地域活性化

    クラウドファンディング - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)
  • 海角七号 君想う、国境の南 - Apple TV (日本)

    台北でミュージシャンとして成功するという夢に破れ、台湾最南端に位置する故郷・恒春に戻った青年・阿嘉(アガ)。無為に日々を過ごすうち、郵便配達の仕事があてがわれた彼は、宛先不明で未配達の郵便物の中に、今では存在しない住所“海角7号”宛ての小包を見つける。その中には、60年前、敗戦によって台湾から引き揚げる日人教師が、愛しながらも別れなければならなかった台湾人女性を想って船上で綴った7通のラブレターが。しかし日統治時代の住所を知る者は、今や誰もいなかった。そんななか、阿嘉は日人歌手・中孝介を招いて催される町興しライブの前座バンドに無理矢理駆り出される。成り行きで監督役を任された売れない日人モデルの友子とは衝突ばかり。小学生の女の子や80歳の老人という寄せ集めのメンバーでは練習もままならず、余計にやる気を失っていく阿嘉をよそに、刻々とライブの日は近付いていた…。 情報 スタジオ ARS

    海角七号 君想う、国境の南 - Apple TV (日本)
  • 散歩する黒猫 | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ

    丸山の辺りには飲み屋街が広がっていた。路地に両脇には多くの飲み屋が軒を連ねている。でも、はだ夕方だったので、お店は空いていない。酒をあおるにはまだ早い時間帯だった。路地は静けさに包まれていた。 静かな路地をひとりで探索していると、路地の先を一匹の黒がトボトボ歩いているのが見えた。僕と同じように飲み屋が建ち並ぶ路地を散策しているかのようだ。ひょっとしたら、夜にどこのお店で寛げば良いのか、下調べをしていたのかもしれない。

    散歩する黒猫 | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 玩具店の店頭にいた男の子 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    道端にちっちゃなおもちゃ屋があった。店主と思しき男が陳列された商品の横に腰を下ろしている。売られているのは玩具だけではなかった。お菓子も売られている。そんなお店を眺めていると、幼い男の子がやって来た。お店の前に立ち止まった男の子は背一杯右手を伸ばしている。どうやら、ちょっと上の方にあるビスケットの箱を手に取りたいようだ。小腹でも減っているのだろう。クリケットのバットだったり、ボールだったり、遊び道具が目の前に並んでいるのだけれど、男の子の視界には入っていないようだ。 よく見てみると、店主の横にはキンマの葉も広げられている。子供向けのものと同時に大人向けのキンマの葉も売られているのだった。お店はとても小さかったけれども、取り扱っている商品は多岐に渡っていた。

    玩具店の店頭にいた男の子 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 宗教施設として機能していなくとも、今日も太陽のピラミッドはテオティワカンでそびえている | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    テオティワカンは紀元前2世紀から紀元6世紀まで実際に使用されていた巨大な宗教都市遺跡だ。かつてはメソアメリカの中心都市だったこともあるのだという。しかしながら7世紀頃から衰退し初めて、そのうち放棄されてしまったようだ。今では宗教施設として使われることはなく、メキシコ有数の観光地になっている。遺跡の中央にある大きな目抜き通りである死者の大通りを大勢の観光客がのんぼりと歩いていた。 ちょっとした高台に登って遺跡を見渡してみると、遠くの方に太陽のピラミッドがそびえていた。遠くにあるのに太陽のピラミッドは大きい。さすがテオティワカンのシンボルにもなっているだけのことはある巨大さだ。

    宗教施設として機能していなくとも、今日も太陽のピラミッドはテオティワカンでそびえている | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 大光寺の門 | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ

    写真にある木造の門は大光寺の門だ。ここは浄土真宗願寺派の仏閣だ。外から門を眺めていると、ひとりの女性が視界に現れた。コートを羽織っている女性は門をくぐって境内へと入っていく。 木造の門の向こう側には笠を被った像が立っているのが見える。これは浄土真宗の宗祖である親鸞の像らしい。親鸞の像は入り口に静かに立ち続けている。まるで、寺院に訪れたものは誰であろうと、例え悪人であろうと歓迎しているかのようだった。

    大光寺の門 | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 路面電車に乗り込む女 | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ

    長崎ではまだ路面電車が走っている。路面電車というものは旅情をそそるような気がする。少なくとも、普段路面電車を目にしない僕はそそられるのだ。 西浜町停留場にやって来ると、ちょうど路面電車が停車していた。扉が空いていて、女性が乗り込んでいるのが見える。そんな光景を眺めていると、これに乗り込めばどこか僕の知らない場所へ行けるような気がしてくる。乗り込もうかどうか躊躇しているうちに電車の扉は閉まり、走り出した。そうして、僕はまだ知らない世界へと行くチャンスをふいにしてしまった。

    路面電車に乗り込む女 | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ
  • パン屋にあったスコーン | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ

    散歩していたらパン屋を見つけた。小さなパン屋だった。棚には沢山のパンが陳列されている。写真のスコーンもそのパン屋で売られていたものだ。どれもこれも美味しそうに見える。 でも、どれもこれもが小振りだった。写真で伝えるのは難しいのだけれど、かなり小さい。もし僕が西洋人なら一口でべられそうなくらいの大きさだ。それどころか、体の大きな人だったら、怒り出してしまうかもしれない。でも、興味位で買ってみた。美味しそうな外見に違わず、やはり美味しかった。

    パン屋にあったスコーン | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ
  • プラットホームのベンチ | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ

    京成立石の駅のプラットホームで電車が来るのを待っていた。でも、駅は静まり返っていて、電車がやって来る気配は感じられない。気怠い昼下がりだった。プラットホームにいる誰もが誰かとしゃべることもなく、じっと電車が来るのを待っていた。 反対側のプラットホームに視線を向けると、壁際にベンチが設けられているのが目に入った。帽子を被った女性がひとりで腰掛けていた。喉が渇いていたのだろう。ペットボトルから何かを飲んでいる。その様子を眺めていたら、気怠さよりも喉の渇きの方が僕の意識の中心を占めるようになっていた。

    プラットホームのベンチ | 散歩と写真とエッセイ by オザワテツ
  • 丸い鉄板と男 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ

    レストランの店先に水色のルンギを穿いてタンクトップを着た男が腰を下ろしていた。男の前には大きな鉄板があって、その上には丸い物体が置かれている。男はロティを焼いている最中だった。 カメラを向けると、男はレンズを見てくれた。でも、仕事の手を止めることはない。男は長い棒で時折ロティをひっくり返し続けていた。鉄板の上のロティは美味しそうなきつね色になっていた。見たところ、この辺ではロティは自家製であることが多いようだ。傍らにはまだ丸い形になっていないロティの生地も見える。これが焼き上がったら、また他のロティを捏ねて焼くのだろう。

    丸い鉄板と男 | 旅と写真とエッセイ by オザワテツ