タグ

tetsu_1895のブックマーク (20,216)

  • 男と電卓 | 写真とエッセイ by awazo.com

    口髭を蓄えた男がお店のカウンターの中に腰を下ろしていた。お店の中で一番どしんと構えているので、この男が店主に違いない。目の前にあるカウンターは綺麗な青だ。カウンターの上には書類と電卓が見える。整理整頓が行き届いているようだ。そして、男の後ろの壁には赤い花が活けてあった。 男は腰を落ち着けて寛いでいて、お店の雰囲気も穏やかだった。見たところ、もう商品の出荷も入荷も帳簿付けも終えてしまっているかのようだった。

    男と電卓 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 一輪の花を持つ男 | 写真とエッセイ by awazo.com

    市場の中を徘徊していると、写真の髭の男が声を掛けてきた。写真を撮ってくれと言う。カメラを構えてシャッターを切ろうとすると、男は普通に写真を撮られても面白くも何とも無いと感じたようだ。 近くにあった一輪の花を掴んで、ポーズを取ることにしたようだ。さらには頬杖を突きながら僕のことを見始めた。もちろん、顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。申し訳ないけれど、モジャモジャの口髭と一輪の花は、あまり合わないような気がした。

    一輪の花を持つ男 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 日溜りの中にジェラバを着た男 | 写真とエッセイ by awazo.com

    メクネスの旧市街の路地もモロッコの他町の旧市街と同じように狭く、両脇にはびっちりと建物というか壁が立っている。そのため、たとえ日中であっても路地全体に日差しが差し込むことはほとんどない。歩いていると、まるで立体迷路の中を歩いているような気分になってくるのだった。ここでは日差しは部分的にしか降り注がない。 そんな路地に出来た日溜まりの中を男が歩いていた。ニット帽を被って、ジュラバを纏っている。僕からしてみると相当の厚着だけれど、このような格好で歩いている地元の人は多い。この男が特別な寒がりという訳ではないのだ。対照的に僕は同じ路地をTシャツ1枚で歩いていたから、なんだか僕の体感温度は地元の人たちの体感温度と全く異なっているような気がしてならない。今は1月だから冬の真っ最中だ。僕にとっては冬なのに薄着で歩き回れるくらいに暖かいのだけれど、地元の人にとってはこのような日でも寒いと思っているのかも

    日溜りの中にジェラバを着た男 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 腕を曲げたり伸ばしたりながら中正紀念堂へ向かう三人の衛兵 | 写真とエッセイ by awazo.com

    中正記念堂の入り口でウダウダとしていたら、三人の衛兵が階段を上がってくるのが見えた。衛兵交代の時間が近づいてきているのだ。 キラキラと光るヘルメットを被った衛兵が歩調を合わせて階段を上っている。リズムを取りながら、同じように腕を曲げていた。一言も発することなく、同僚が待っている記念堂の中へと向かっている。中正記念堂は中華民国の初代総統だった蒋介石を記念して建立されたものだ。ここでは一日に8回儀仗隊交代式が行われる。

    腕を曲げたり伸ばしたりながら中正紀念堂へ向かう三人の衛兵 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 薄暗い路地裏の人影 | 写真とエッセイ by awazo.com

    町を歩いていると、薄暗い路地があることに気がついた。この辺りは台北の中でも古くから地区のようで、古い路地が残っているのだ。一度そのような路地を見つけたら、入らずにはいられない。ちょっと裏寂れた路地は僕の大好物だ。早速路地へと足を踏み入れていく。両脇には高い壁が迫っていて薄暗い。このような雰囲気は僕が求めていたものだった。 路地の先には男の人影が見える。路地が交差するところに立ち止まって左手を見ている。誰かが左手から近づいてきているのかもしれない。

    薄暗い路地裏の人影 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 長崎平和公園の平和祈念像 | 写真とエッセイ by awazo.com

    長崎は広島に次いで、人類史上二番目に核兵器で攻撃された町だ。爆心地の近くには平和公園が設けられている。ここはかつて長崎刑務所浦上刑務支所があったのだが、原爆によって跡形もなくなったという。今では壁の一部だけが残っている。そして、敷地は平和公園になっているのだった。 写真は園内に建立されている平和祈念像だ。どっしりと腰を下ろした像は、大空に向かって指を差している。上に挙げた右手は原爆の脅威を、水平な左手は平和を表しているらしい。

    長崎平和公園の平和祈念像 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 歩道の人々 | 写真とエッセイ by awazo.com

    大勢の人が歩道の上で屯していた。立ち並んでいる屋台の周囲に群がっているのだ。中でも軽を出す屋台は人気があるようで賑わっている。お店の前は混雑していた。 歩道にいる人びとの中にはスーツに身を包んだサラリーマンもいれば、タンクトップ姿の肉体労働者もいる。みな周りで立ち止まってべている。ホワイトカラーもブルーカラーもここで同じものをべているのだった。ふと時計に目をやると、ちょうどお昼時だった。ムシャムシャべている人たちを眺めていると、僕も小腹が空いてきた。

    歩道の人々 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 銭湯の入り口にかかるのれんに人力車が描かれていた | 写真とエッセイ by awazo.com

    目黒駅の近くの大通り沿いに銭湯がある。写真はその入口だ。のれんが掛かっているところを見ると営業しているようだ。でも、まだ夕時間前だったので、ここを出入りする人の姿はなかった。ほとんどの人は夕飯をべて寝る前に来るだろう。今、のれんをくぐれば、大きな湯船を独り占め出来るのかもしれない。 それにしても、西洋人はなぜ公衆浴場に入るという習慣を捨て去ってしまったのだろう。古代ローマ人はあれだけお風呂が好きだったのに、現在のヨーロッパには日の銭湯に相当するものは存在していない。あるのは治療目的の温泉ばかりだ。 そのため、現代の西洋人は日の銭湯やイスラム文化圏にあるハマムに異文化を感じるようだ。巨大な富と権力をもつローマ帝国だからこそ公衆浴場の運営ができたとも、キリスト教が普及した結果、男女が肌を見せ合うことが許しがたいことになってしまったともいわれるが、そもそも湯に浸かることにそれほど魅力を感

    銭湯の入り口にかかるのれんに人力車が描かれていた | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 歩道のタイプライター | 写真とエッセイ by awazo.com

    郵便局に行くと、歩道の脇にいる男が目についた。机を置いて、椅子に腰掛けている。そして、男の目の前には昔ながらのタイプライターが置かれていた。男はそこで仕事をしているのだった。どうやら、そこは男の仕事場のようだ。 カタカタカタとキーボードを叩く音が歩道に響き渡っている、晴れた日には外で仕事するのも気持ちがいいに違いない。でも、暑い日が続くインドにだって雨の振る日もある。いったい雨の日はどうやって仕事をしているのだろう。傘でも差しながらタイプするのだろうか。

    歩道のタイプライター | 写真とエッセイ by awazo.com
  • ボントックの四人組 | 写真とエッセイ by awazo.com

    町の中心部を歩き回っていた。州都の中心部とは言っても、ここはかなりの田舎町だ。すぐに道という道を歩きつくしてしまう。そんな中心部を歩いている最中のふたりの男の子とふたりの女の子に行き会った。四人は仲良く一緒に遊んでいたのだった。好奇心旺盛の四人は僕の持ち歩いていた一眼レフに興味津々で、遊ぶのを一旦中止して僕に注視することにしたようだ。 カメラを向けると歩道にしゃがみながら思い思いの表情を見せてくれた。みな写真を撮られるのを楽しんでくれていると思っていたら、一番手前の男の子は真面目な顔でこちらを見ていた。

    ボントックの四人組 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 新宿駅前を歩く人びと | 写真とエッセイ by awazo.com

    新宿駅西口にある歩道橋の上に立ち止まって、駅前の歩道の人の流れを眺めていた。大勢の人が行き来していて、歩道は大層賑わっている。新宿駅の一日の乗降客数は300万人を超えて、世界最多を誇るのだという。駅の周辺はいつだって混雑しているのだ。 平日はスーツを着込んだサラリーマンが多いのだろうけれど、この日は週末だったので仕事中の人よりも買い物を楽しんでいる人の方が多いようだ。駅ビルの中にある喫茶店にいる人たちものんびりと時を過ごしているように見えた。いずれにしても、それぞれが休日を楽しんでいるに違いない。

    新宿駅前を歩く人びと | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 山手通り | 写真とエッセイ by awazo.com

    山手通りと目黒通りの交差点に立っていた。ここは立体交差になっている。ウロウロとやって来た僕は陸橋の上に立ち止まって、ぼんやりと山手通りを眺めていたのだった。通りの両脇には中層のマンションが建ち並んでいて、中目黒の方へ向かって真っ直ぐに伸びている。 混んでいる時もあるけれど、この時の山手通りは空いていた。自動車も思い通りにスイスイと通りを走っているように見える。ハンドルを握っている運転手も心地よいに違いない。

    山手通り | 写真とエッセイ by awazo.com
  • ビニール袋をぶら下げて疾走する女性 | 写真とエッセイ by awazo.com

    狭い路地には露店が立ち並んでいた。様々な材が売らている。その路地を歩いていると、向こうから自転車がやって来るのが見えた。ペダルを漕いでいるのは女性だ。自転車のハンドルにはビニール袋が幾つかぶら下がっているのが見える。 おそらく女性は市場で買い物を終え、家に向かって急いでいるのようだ。よほど早く家に帰りたいのだろう。狭い路地を風のように駆け抜けている。通行人なんてお構いなしに、女性はペダルを漕いでいるのだった。

    ビニール袋をぶら下げて疾走する女性 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 市場では唐辛子が大量に売られているけれど、西ベンガル州料理はさほど辛くない | 写真とエッセイ by awazo.com

    額に既婚の印であるシンデゥールを付けた女性がマルダにあった露天市で働いていた。脇に置いた大きな籠に大量の唐辛子が入っていて、足元に皮のついたままのニンニクが散らかっていた。女性は唐辛子とニンニクを売っていた。カメラを向けたとき、女性は籠に手を突っ込んで唐辛子を掴んだところだった。 唐辛子とニンニクの組み合わせにはべた人を元気にする力がある。暑いインドでは家庭でも唐辛子とニンニクをべて精をつけるのが一般的で、市場だけでなく道端でニンニクや唐辛子を売っている人が多い。そのような場所では、さぞかし料理が辛いのではないかと思うものの、マルダのある西ベンガル州の事はさほど辛くない。南アジアでは南に行けば行くほど辛くなる印象を持っている。その証拠にインドよりさらに南にあるスリランカの事は辛くてべるのに難儀した。

    市場では唐辛子が大量に売られているけれど、西ベンガル州料理はさほど辛くない | 写真とエッセイ by awazo.com
  • カメラ街に並ぶ漢字で書かれた看板 | 写真とエッセイ by awazo.com

    この辺りにはカメラを扱っているお店が多いようだった。カメラ街のようだ。ショーウインドウには様々なカメラ用品が展示されていて、眺めて歩くのは楽しい。旅行の最中だというのに、見ていると何か欲しくなってしまう。でも、値段は日で買うよりもちょっと高いような気がした。 わざわざ台湾でカメラ用品を買うこともないと物欲を抑えこんで冷静になると、通りのビルに漢字で書かれた看板が沢山掲げれていることに気が付いた。さすがにブランド名はアルファベットで表記されているけれど、店名は漢字で書かれている。中国語は分からないけれど、何を扱っているお店なのかは漢字だからなんとなく分かるのだ。看板にも「器材」とか撮影用具を謳っているものが多かった。

    カメラ街に並ぶ漢字で書かれた看板 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 長崎の中華街にも、他の国の中華街と同じように中華料理店が軒を連ねている | 写真とエッセイ by awazo.com

    横浜中華街と比べると小さいものの、長崎にも中華街があって華僑が活動している。中国人のどこにでも移住してしまう感覚は日人にはない気がする。戦前の日人には日を飛び出て、満州に行ったり、マレーシアに行ったりする気概があったのかもしれないけれど、少なくとも現在の日人は持っていないように見える。 長崎の中華街にも、他の国の中華街と同じように中華料理店が軒を連ねている。歩いていると、とあるレストランの前に黄金の豚が立っていた。片手にトレイを持っていて、得意げにレストランへ客を誘っている。陽気な豚だ。このレストランは美味しいに違いないと思わせるに十分な自信に満ちた顔をした豚だった。

    長崎の中華街にも、他の国の中華街と同じように中華料理店が軒を連ねている | 写真とエッセイ by awazo.com
  • 鍛冶屋は叩く | 写真とエッセイ by awazo.com

    裸足の男が小さな工房の中にしゃがんでいた。男は鍛冶屋で、ちょうど手にした金槌で叩いているところだった。傍らには石炭のクズのようなものが山積みになっている。どうやら、男は昔ながらに石炭を使って熱しているようだ。 見ている間ずっと、男は黙々と叩き続けていた。横にいる僕には一目もくれない。規則的な金槌の音が路地に響いている。見たところ、男が作っているのは包丁か鋸のようだ。仕上がったものが男の前の床に並べられているのが見えた。

    鍛冶屋は叩く | 写真とエッセイ by awazo.com
  • Man Sells Bracelets | Photo with Essay by Tetsu Ozawa

  • 飼い猫の邪な視線 | 写真とエッセイ by awazo.com

    友人の飼は人懐こい。誰かがやって来ても怯えることなく、まとわりついてくるのだった。b僕が訪れると、やはり近くにやって来てくつろぎ始めた。でも、はやはりだ。気まぐれで、僕がちょっかいを出そうとすると嫌がってどこかへと去ってしまう。 この時はすぐ近くで寝転がっているにカメラを向けることに成功した。それでも、カメラの方は決して見てくれない。ずっと視線で遠くを眺めたままだ。その視線は悪巧みをしているかのようだった。普段は人懐こいのに、時折野生の能が覚醒するのかもしれない。いずれにしても、写真を撮られることに興味が無いに違いない。

    飼い猫の邪な視線 | 写真とエッセイ by awazo.com
  • マルダの路上で開かれていた市場 | 写真とエッセイ by awazo.com

    マルダの町で見つけた狭い路地に入って行くと、そこでは露天市が開催されていた。狭い道の端に所狭しと屋台が出ている。そして、地元の人で賑わっていた。 露天商たちは様々な種類の野菜や日用雑貨を地べたに並べて販売している。そして、自らも日陰の中で地べたに腰を下ろして客が店の前で足を止めるのを待っているのだった。そんな人びとの様子を眺めていると、とあるお店の前にサリーを纏った年配の女性が立ち止まっているのが見えた。女性の前の籠には大きなオクラが山盛りになっていた。

    マルダの路上で開かれていた市場 | 写真とエッセイ by awazo.com