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ブックマーク / www.kotono8.com (8)

  • 震災後のデマ80件を分類整理して見えてきたパニック時の社会心理[絵文録ことのは]2011/04/08

    ツイッターの「東北関東大震災に関するデマまとめ」(jishin_dema)」さんが中心となって、主にツイッター上を流れるデマ情報とそれに対する分析の収集・告知が精力的に行なわれており、多くの人が情報提供や検証に加わっている。震災発生直後から1週間程度がデマのピークではあったが、現在も新たなデマは生まれつつあり、また過去に否定されたデマが生き続けているものもある。 そのツイートをもとに@omiya_fctokyoさんがTogetter - 「「東北関東大震災に関するデマまとめ」のまとめ」を作成され、わたしも気がついたら編集に参加している。 今回、この「デマまとめのまとめ」をもとに、震災発生後約1カ月間のデマ80件をピックアップ、パターン別にまとめてみた。 ※この記事は震災後1か月足らずの時点でのまとめです。同年6月に発行した冊子『東日大震災でわたしも考えた』では震災後のデマ100件の分類整

  • しょこたん(中川翔子)がTwitterになじめない理由(附:ブログとツイッターの使い分け)[絵文録ことのは]2010/04/23

    「新・ブログの女王」として有名で、「しょこたん☆ぶろぐ」では毎日数十件のブログ記事をコンスタントに更新し続けている中川翔子(しょこたん)。ところが、「つぶやき」には慣れているはずのしょこたんが、わずか15回のツイートで「両立はむりだお(・ω・;)(;・ω・)ブログでやるお」と断念した。 一部ではそれが不思議なことだと思われているようだが、実はそれほど難しい理由ではない。それは、しょこたんにとってのブログとは「生きた証を残すため」の「写メ保存場所」であり、つぶやきが流れていくツイッターは似て非なるものだったからである。 しょこたん☆ぶろぐは「生きた証」 しょこたんのすべての活動は、自分が生きた証を残すためになされていると言っても過言ではない。歌うこと、CDを出すことは目に見えてわかりやすい「生きた証」であり、コンサートのライブDVDは「みんなとあの日一緒に生きた証が記録に残る」というのがしょ

  • 「集合知」ウィキペディアの限界と可能性(Wikipediaの役割について)[絵文録ことのは]2007/02/09

    先日、自前のウィキ百科サイト「閾ペディアことのは」を立ち上げてみた。これは、Wikipedia(ウィキペディア)と同じくMediaWikiで作られた極私的百科である。「集合知」の典型ともされるウィキペディアに対して、自分のは当然「個人のまとめ」であって、その性質は自ずから違ってくるのは当然であり、そのどちらがいいとか悪いではなく、それぞれに役割と得手不得手が出てくることになる。 さて、ウィキペディアの運営方針をもとにして、それを少しもじるつもりで自分の運営方針を書き始めてみたところ、どういうわけか完全に逆転してしまった。そこで、改めてウィキペディアというものの存在と性質を考えてみようと思った。 ■ウィキペディアの「集合知」は「真実」を追及するものではない 以前、私ははてなの方でこんなことを書いた。 ■Wikipediaの限界 Web2.0の例としてあげられるWikipediaであるが、多数

  • 出会い系サイトはどうやって稼いでいるのか[絵文録ことのは]2007/01/10

    the-day
    the-day 2007/01/14
    出会い系ビジネスモデル
  • 巨大SNSと小規模SNS(mixiとOpenPNE) [絵文録ことのは]2007/01/06

    実はこれは去年の3月に公開しようと思っていた内容である。 自分でmixiのようなSNSを設置できるOpenPNEの初心者講座があるというので参加したところ、OpenPNEの理念が非常に面白いと感じた。それは、「大規模SNSではできないことを小規模SNSでやってほしい」という開発者の意図であった。 SNSは大きいのと小さいのとどちらがいいか、という話ではなく、それぞれの特徴に合わせた使い分けがあれば有効に機能するはずである。ではどのように使い分けるか。 ソーシャル・ネットワーキング・サービス - Wikipedia ■手嶋屋さんの話を自己流にまとめてみる 自分で小規模SNSを設置できるようなオープンソースのスクリプトがあればいいなぁ、という話は「ドットコム会議/オープンソースのソーシャル・ネットワーク [絵文録ことのは]2004/06/29」で書いたことがある。 その後、いろいろと調べていた

  • 2007年のことのは/対極にあるジャーナリストとブロガー[絵文録ことのは]2007/01/01

    新年明けましておめでとうございます。 昨年は天中殺に入ったとたんいろいろとありましたが、人生最悪に近いどん底から上昇中であります。 さて、今年最初の記事は、ジャーナリストとブロガーの違いについて述べ、私自身はあくまでもウェブ上においてジャーナリスト志向ではなくブロガー志向で書いていくことを、新年の抱負の代わりにまとめてみたいと思います。 ■これまでの新年コメント 2004年「ことのは」は……新年の抱負 [絵文録ことのは]2004/01/01 新年明けましておめでとうございます [絵文録ことのは]2005/01/01 「豆乳組」(www.tonyu.net)、満を持して登場 [絵文録ことのは]2006/01/01 ■ブロガーとジャーナリスト ブログというのは、あくまでも表現手段の一つとしてのツールにすぎない。表現のためのプラットフォームであって、その上で何をやるかは自由である。したがって、ブ

  • サイトの横幅を640ピクセルにする理由――統計と現状に基づく結論 [絵文録ことのは]2006/11/25

    このブログの文の横幅は、かなり狭い。それはなぜか。 結論から言えば、「ブラウザで見るときの実際の横幅」と「印刷可能な横幅」の二つの要素が大きな要因となっている。画面そのものはかなり広くても、実際に見るサイズ、そして印刷したときにはみ出ないサイズというのは案外小さい。 このことを実際の統計数値を交えて書いてみたいと思う。 ■画面の広さ 以前の旧デザインでは、横幅を指定せず、可変幅で表示していた。たとえばここなどを見てもらえばわかるが、ブラウザを小さくすればそれに応じてサイズが縮まる。したがって、どんな幅のブラウザでも(狭すぎると困るが)はみ出ることはないし、また、印刷するときにもきちんと印刷される。画面上で見るときの「横スクロール」というのは想像以上に陶しい。 だから、可変幅というのは、ある意味、無難な正解といえる。 ■一行の長さは40字前後にしたい しかし、画面そのものがかなり大きくな

    the-day
    the-day 2006/11/25
    横幅640pxだと縦長になるので、ページを分割
  • ケータイ文化圏とネット文化圏の深い溝 [絵文録ことのは]2006/10/25

    主にPCを使ってウェブサイトを閲覧している人と、主にケータイを使っていてPCは全く(またはほとんど)使わない人では、たとえ同じページを見ていても、まったく行動や思考形態が違う。「ケータイ族」という言葉もあるが、ネットでの常識はケータイの人たちに通じず、ケータイの常識をネットばかりの人は理解していない。 入院中、ケータイしか使えない状況で4か月を過ごし、強制的に「ケータイ族」にならざるを得なかったのだが、そこで「ケータイ文化圏」と「ネット文化圏」の違いがわかってきたように思う。 ■ネットユーザーは実は特殊な人種 このブログを見ているような人は、おそらく、PCからアクセスして、ブラウザでウェブサイトを閲覧し、Yahoo!Googleを使って検索して自分で調べ物をできる人たちだろうと思う。そして、それくらいのことは当たり前にできることだと思っているかもしれない。 しかし、そういった人たちは、実

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