失言に対して「悪意ある切り取りだ」「全文を読めば分かる」と擁護する人は多いが、全文を読んで印象が変わったのは蓮舫議員の「二位じゃダメなんですか」だけだからな
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衆院予算委員会で日本維新の会より人数が少ない会派のほうが質問時間長いことを質問する足立康史氏=5日午後、国会・衆院第1委員室(春名中撮影) 5日の衆院予算委員会で、日本維新の会の足立康史氏が国民民主党よりも1分短い質問時間に不満を漏らし、維新が掲げる「大阪都構想」の住民投票などで対立してきた立憲民主党の辻元清美副代表に矛先を向ける場面があった。 「このおかしな時間配分を誰がやったのか。辻元さんですよ。辻元さん、何か私に恨みがあるのかな」 足立氏はこの日、予算委での維新の質問時間が国民より短いのは、野党第一党の立民で予算委筆頭理事を務める辻元氏が原因と訴えた。 衆院では維新は11の議席を持つのに対し、国民は10。ところが、足立氏に割り当てられた質問時間は44分しかなく、国民の西岡秀子氏が45分だったため、足立氏は「これ、おかしくないですかね。理由が分からない」と主張した。 さらに「共産党は(
20年1月、新潟日報は「柏崎女性監禁事件 元受刑者が病死 2017年ごろ、出所後千葉で」の記事を掲載した。 【写真】佐藤宣行元受刑囚 *** 新潟日報は「柏崎」の地名を事件名に含めているが、全国ニュースでは「新潟少女監禁事件」と呼ばれることが多い。 小学校4年生の少女を誘拐、約9年2か月もの長きに渡って監禁した事件は、文字通り社会を震撼させた。 新潟日報の報道に話を戻すと、このスクープを他の全国紙が後追いすることはなかったようだ。そのため元受刑囚の死亡を初めて知る読者もおられるのではないだろうか。 まずは事件を振り返る。1990年、新潟県三条市で、元受刑囚は当時9歳だった少女を誘拐。柏崎市の自宅に連れ込み、2階の一室で監禁した。 元受刑囚の家庭内暴力に苦しんでいた母親が2000年、保健所などに相談。強制入院させるため職員らが自宅を訪れたところ、19歳になっていた被害者を発見した。 別姓で生
記者会見する東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長=4日午後2時14分、東京都中央区(代表撮影) 自民党の世耕弘成参院幹事長は5日の記者会見で、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視とも取れる発言をしたことに関し、森氏について「余人をもって代えがたい。IOC(国際オリンピック委員会)との人脈、五輪に関する知見などを考えたら、この(開催)直前のタイミングで、森氏以外に誰か五輪開催を推進できる方はいるのだろうか」と述べ、会長職を続投するよう求めた。 世耕氏は「森氏自身が会見し、謝罪、撤回、反省の弁も述べた。会見の内容をIOCのバッハ会長も了とする反応と聞いており、この件はここで収めて、五輪開催に向けての準備に邁進(まいしん)をすることが何よりも重要だ」とも語った。
差別指摘は「公正な論評」 作家の竹田氏敗訴―東京地裁 2021年02月05日18時27分 名誉毀損(きそん)訴訟で勝訴し、記者会見する山崎雅弘氏(中央)=5日午後、東京都千代田区 ツイッターで「差別主義者」などと指摘されたのは名誉毀損(きそん)に当たるとして、作家の竹田恒泰氏が紛争史研究家の山崎雅弘氏を相手取り、550万円の賠償などを求めた訴訟の判決が5日、東京地裁であった。前沢達朗裁判長は投稿について「公正な論評で違法性を欠く」と述べ、請求を棄却した。 強制起訴の被告が死亡 東名あおり、デマ投稿 判決によると、山崎氏は2019年11月、富山県朝日町教育委員会が、中高生らを対象とした講演会に竹田氏を講師として招くことについて、「問題なのは、公的機関が特定国やその出身者に対する差別やいじめの常習者である竹田氏を登壇させること」などとツイッターに投稿した。 竹田氏は投稿について「誹謗(ひぼう)
新型コロナウイルス対策の根拠法となっている改正特別措置法など3法が、3日の参院本会議で可決、成立した。自民党と立憲民主党による与野党協議の結果、懲役刑を含む刑事罰が全削除されるなど、メディアが「野党案丸のみ」と呼ぶ大きな法案修正が実現したことに、筆者はある種の感慨を抱いた。 「丸のみ」で思い出したのは、20年以上前の1998年に成立した金融再生法だ。古い話になるが、この法律の制定過程を振り返りつつ、野党の現在地を考えてみたい。(ジャーナリスト=尾中香尚里) ▽ねじれ国会で成立した金融再生法 今から23年前、1998年秋の臨時国会は「金融国会」と呼ばれた。当時はバブル崩壊に伴って多くの金融機関が不良債権を抱え、前年から名だたる金融機関が次々と破綻に追い込まれていた。金融危機にどう対処するかが、政治の大きな課題だった。 当時は自民党の小渕政権。同年夏の参院選で自民党が惨敗し、参院は菅直人代表(
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