2度の東京五輪に、2度にわたって翻弄された町がある。国立競技場のある、東京都新宿区霞ヶ丘町。かつては人々の営みがあったが、いまはもう、「町」はない。1964年の五輪でも、そして今回の五輪でも、住民たちは立ち退きを強いられた。競技場を建設するためだ。ここに生まれ、そして育った男性はいう。「ここに町があったことを、忘れないでほしい」と。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】 【写真】学生たちの悲劇は、あの競技場から始まった。戦時中の「学徒出陣壮行会」を目撃した女学生 「人が誰もいなくなって、町の名前だけになっちゃってもね。私の心の中にはね、あのときの霞ヶ丘が、そのまま残っているんです」 そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、甚野公平さん(88)。2度にわたり、五輪のための立ち退きを経験した。 「こうやって話をしてても、目に浮かんでくる霞ヶ丘という町は、昔の姿のままなんですから