南海電鉄の車掌には、差別の意図は一切なかったと思うし、これを差別だと宣う連中は反差別運動の価値を毀損するとすら思う。 なんでもかんでも差別だと叫ぶことで得られるのは、一般の人の呆れだけだ。 本件は、単に車掌が冷静さを欠いたというだけの案件だ。 http://mainichi.jp/articles/20161011/k00/00m/040/058000c そんな、なんでもかんでも差別にしなくては気が済まない、自分では考えられない悪い連中のために 車掌がこのようなコメントに至った背景を考えてみたい。 外人が日常用語である車掌が英語がしゃべれないクレーム処理と混雑によって処理がおいつかずテンパっていたこれらの要因が組み合わさった結果として、例のコメントになったことは想像に難くない 日本で生活していたら、ポジティブな場面でもネガティブな場面でも、外人という単語を耳にしない事はないし それが差別用
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