◇家を失い、差別に泣く 両親、仕事求め渡日/裕福だった生活一変 自宅の玄関に小さな防空壕(ごう)があった。豆電球がつき、食糧を入れていた。空襲が本格化するまで、子どもにとってはまるで秘密基地。朴基碩(パクキソク)さん(72)は暗闇にろうそくを立てて遊ぶのが楽しくて「防空壕で寝たい」と言っては両親を困らせた。 基碩さんが住んでいた荒川区南千住には、朝鮮半島出身者が多かった。アボジ(父)も半島の貧しさから日本に渡った一人で、廃品回収業や海鮮物の販売をしながら一家8人を養っていた。 45年3月10日の記憶は、家を逃げ出す場面から始まる。オモニ(母)は末っ子の弟をおぶい、妹と基碩さんの手を引き、姉はオモニのもんぺにしがみついた。六角形の細長い焼夷弾(しょういだん)が空一面から降ってくる。翌朝、焼け野原ではぐれていたアボジたちと奇跡的に再会し抱き合った。傍らで、女性が我が子の名を呼びながら黒焦げの遺