R774@まとめ屋 @kendou774 スレッドにします。 『売られた有人島』断崖に囲まれた小さな島。50年前、島は売却された。それは島民たちにとって苦渋の決断だった。地図上には、今でも建物と神社の記号が見える。しかし、航空写真に写るのは、緑に包まれた島の姿だ。売却から50年後の島を確かめるため、萩市『尾島』に行ってみた。 pic.twitter.com/8ahB1ccGmC 2022-06-05 17:46:00
ある日のことである。編集部の安藤さんから「第二海堡(かいほう)の上陸ツアーを取材するんですが一緒に行きませんか?」という連絡があった。 えっ、嘘っ、第二海堡に上陸できるの?! 私は二つ返事で「行きます!」と答え、まるで遠足を待つ子供のように、うきうき気分で当日を迎えたのであった。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:バイクのミラー越しに夜の景色を見るとエモい > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 明治時代に築かれた、東京湾の入口を守る人工島 「第二海堡」と言われても馴染みのない方が多いと思うが、これは東京
第二次世界大戦中、物資不足のために作られた「コンクリート製の船」というものがあったらしい。 その「コンクリート製の船」が広島県にいくつか現存しているという。
教会の隠し扉を開いたら、1900年前のローマ帝国時代の地下水路が眠っていた イタリア・ローマ近郊の町で廃墟となった教会の隠し扉を調べたところ、西暦109年に造られたと言う、ローマ帝国時代の地下水路の遺跡が見つかったそうです。 「ルパン三世・カリオストロの城」で湖底に古代ローマの遺跡が眠っていたというエピソードを彷彿とさせる話ですが、西暦109年と言うと第13代皇帝であるトラヤヌス帝の時代。 ローマ帝国最大の版図となった大帝国の時代でもありますが、皇帝の命によって湖からローマへの水源確保のため造られたものだそうです。 この1900年前のローマ水路の遺跡を発見したのはイギリスの映画制作者。ローマから少し離れたマンツィアーナという街の、廃虚となった教会の隠し扉から見つかりました。 水路の長さは約125m。ローマにつながる11の水源のうちの1つで、水はブレシアーノ湖から供給されていました。 西暦1
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