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2011年4月1日のブックマーク (4件)

  • 磯山友幸のブログ

    プレジデントオンラインに2月2日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→ https://president.jp/articles/-/78272 2036年には紙の新聞は姿を消す計算になる 紙の新聞が「消滅」の危機に直面している。日新聞協会が2023年12月に発表した2023年10月時点の新聞発行部数は2859万部と1年前に比べて7.3%、225万6145部も減少した。2005年から19年連続で減り続け、7.3%という減少率は過去最大だ。 新聞の発行部数のピークは1997年の5376万部。四半世紀で2500万部が消えたことになる。全盛期の読売新聞と朝日新聞、毎日新聞の発行部数がすべてごっそり無くなったのと同じである。このまま毎年225万部ずつ減り続けたと仮定すると、13年後の2036年には紙の新聞は消滅して姿を消す計算になる。 昨今、朝の通勤時間帯ですら、電車内で

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  • まいんちゃんの妹分「ひなちゃん」が新登場!! しかしこれは由々しき問題:ニュー速VIPブログ(`・ω・´)

  • 暇人\(^o^)/速報 : 【東日本大震災】「津波なんてここまで来るわけがない」 そう言われながら10年かけ作った岩山の手作り避難所、70人の命救う - ライブドアブログ

    【東日大震災】「津波なんてここまで来るわけがない」 そう言われながら10年かけ作った岩山の手作り避難所、70人の命救う Tweet 1:西独逸φ ★:2011/03/31(木) 06:06:02.71 ID:???0 「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。 東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に 「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。 平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。 近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造った。 「避難場所は家からすぐの場所

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  • 第2の正念場を迎えた福島原発事故

    2011年3月31日  田中 宇 この記事は「福島原発事故をめぐる考察」の続編です。 福島第1原発から40キロはなれた福島県の飯舘村で、基準上限値の2倍の放射性物質が土壌や雑草から見つかり、国連の国際原子力機関(IAEA)が日政府に対し、飯舘村の住民に対して避難勧告を出すよう要請した。すでに日側の調査でも、飯館村と、その東隣にある川俣町(原発から45キロ)で、高濃度のセシウム137など放射性物質が見つかっている。日政府は、高濃度が持続的に観測されれば避難指示を出すが、今のところ、20キロ圏内が避難指示、30キロ圏内が屋内退避という決定を拡大するつもりがないと言っている。 福島原発からの放射性物質の拡散は、風と雨によるものだ。福島原発では3月12日から16日までに起きた水素や水蒸気の爆発、蒸気の排出などがあり、炉内や使用済み核燃料プールにあった放射性物質(放射能)が空中に大量放出された