いまなお名経営者として注目される小林一三の自伝『逸翁自叙伝』、「チラ読み」4回目は、ついに箕面有馬電気軌道の設立が語られます。やがて阪急電鉄へと発展してゆくこの会社が作られたのは、とんでもない綱渡りの末のことだった! 失敗したら責任は取る。が、なるべく軽くすましたい。 4.箕面電車の設立 箕有電鉄創立事務を、阪鶴鉄道重役すなわち発起人諸氏の手許から、私が全部引受けるという契約書の調印が、四十年六月三十日実行されると、まず第一に考えたことは、創立事務費を大節約するには、どうすればよいかという事である。 会社の設立がうまくゆけば文句はないが、万一設立不可能、解散というがごとき場合にならないとも限らない。当時の情勢は、経済界混迷の幕明きでその前途は悲観あるのみであったから、土居通夫氏のごとき、大阪における第一人者の顔触れをもってしても、傍若無人のあの契約書に調印せざるを得ないのを見ても判る。 設
