2006年10月22日のブックマーク (6件)

  • Appleの共同創業者スティーブ・ウォズニアックのギーク的人生観 - himazu blog

    アップル・コンピュータ社を作ったのは2人のスティーブである。現CEOのスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックである。アップル社のApple IIはIBM PCが出るまではパソコンの代名詞であった。ウォズニアックはそのApple IIのハードウェアとソフトウェアをすべて作った人物である。最近、自叙伝「iWOZ: Computer Geek to Cult Icon」を出版し、それに際してラジオ番組にいくつか出演している。その中で10月5日放送のOn Pointで話していたことは特に興味深かった。ギークとしての人生観を大いに語っている。以下で、MP3ファイルが入手できる。 また、Science Fridayに9月29日に出演し、やや技術寄りの話をしていて、以下で聞くことができる。 以下、このブログ記事ではOn Pointでのウォズニアックの発言の中で印象に残った部分を紹介する。興味を

    Appleの共同創業者スティーブ・ウォズニアックのギーク的人生観 - himazu blog
    tobaccohat
    tobaccohat 2006/10/22
    "誰でも自分自身の幸福への鍵を涵養することができる。私は自分の鍵を20歳のときに手に入れた。その哲学を考えた。その中の一つは、自分は善人であるということだ。"
  • 【インフォシーク】Infoseek : 楽天が運営するポータルサイト

    日頃より楽天のサービスをご利用いただきましてありがとうございます。 サービスをご利用いただいておりますところ大変申し訳ございませんが、現在、緊急メンテナンスを行わせていただいております。 お客様には、緊急のメンテナンスにより、ご迷惑をおかけしており、誠に申し訳ございません。 メンテナンスが終了次第、サービスを復旧いたしますので、 今しばらくお待ちいただけますよう、お願い申し上げます。

    tobaccohat
    tobaccohat 2006/10/22
    眼差しが持つ力について。
  • 正々書簡#10

    tobaccohat
    tobaccohat 2006/10/22
    構造と罠
  • わたし自身の中の『ハマータウンの野郎ども』

    わたし自身の中の『ハマータウンの野郎ども』 1999/8/31. 『ハマータウンの野郎ども』 ウィリス ちくま学芸文庫  ポール・ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』(ちくま学芸文庫)は、学校に反抗的な少年たち がいかに労働階級の仕事についてゆくか、なぜ自ら労働階級を再生産してしまうことになるか ということを考察したである。かれらは労働を無意味なものと見なし、労働への奉仕を極小化 するために男らしいと見なされる手仕事についてゆくとされている。 「現代の庶民の労働はすべてくすんだ灰色をしており、とくにどの職種で働こうと思い悩む必要 はない、野郎どもはこころの奥底でそう見ぬいている。……労働それ自体に特別の意味や満足 感を追い求めようとやっきになって努力するのとは別の方向を、反学校の文化はさまざまなかた ちで少年たちに指し示すのだ」 「満足を得る前提としての労働にたいする

  • 影踏み鬼の2つの顔 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 影というのは、呪術的には体の延長。 影踏み鬼という遊びには、「その人を捕まえる」「影の中の魔を払う」という2つの呪術的な意味がある。 文章化されて没落する企業 「エクセレントカンパニー」とか、「社長の成功法則」みたいな、提灯持ちの評論でもてはやされた 企業というのは、没落してしまうことが多いのだそうだ。 没落してしまった企業は、今度は「○○の失敗の研究」みたいな文脈で、 評論家の人の懐をもう一度潤すことになる。 経験の蓄積を一般法則へと文章化する過程で、経験の大部分は単純化され、 最初からなかったことにされる 出版された「自分達らしさ」のイメージを見せられてしまうと、 それに引きずられて、現実に即した自由な戦略を立てられなくなる たぶん、こ

    tobaccohat
    tobaccohat 2006/10/22
    不立文字
  • 吃音と思想とTシャツと王様と私(王様はありません) - 黒く濁った泥水を啜る蜥蜴

    私語り的で凄まじく恥ずかしいですが、猛烈に書きたくなったので。とりあえず[これはひどい]タグの準備を。 吃音者であるということ 私は吃音者、いわゆる「どもり」というやつです。小学生高学年の時から十数年の付き合いで、このことに強烈な劣等感を抱いており、私にとって非常に重要な事柄です。 で、ときどき「吃音」をキーワードにしてサイトを検索したりしているのですが、昨日今日初めてはてな内をあちこち見回って、印象に残ったエントリについてまずアレコレと。 夏の教室(しあわせのかたち) sho_taさんは吃音への理解が深く、話題に出されている友人の方は少なくともこのような方が身近にいたという点では幸せだったのだろうと想像できます。 と、同時に そして同時に、「どもりでよかった」と、誇りを持っていうその決意に、崇高な人間性を私は見る。 という部分が辛くもありました。 「吃音症を受け入れそれとどう付き合ってい

    吃音と思想とTシャツと王様と私(王様はありません) - 黒く濁った泥水を啜る蜥蜴