世界で初めて、ロータリーエンジン搭載車として開発、発売されたマツダ『コスモスポーツ』。このコンパクトでスマートなスポーツカーが発売されたのは、ちょうど50年前の1967年のこと。このマツダとして初のスポーツカーであり、日本の自動車史にも大きく記されるべき1台の歴史を紐解いてみることにしよう。 「乗るというより、飛ぶ感じ」コスモスポーツが発売されたのは1967年の5月30日。価格は148万円だった。「乗るというより、飛ぶ感じ」というキャッチコピーが添えられていたのは、高回転までスムーズに吹け上がるエンジンの特徴と、飛翔しそうな未来的スタイリングがもたらす印象を、実に的確に表現したものだったといえよう。 ボディはモノコック構造が採用され、全長x全幅x全高は4140×1595×1165mm、ホイールベースは2200mm。これは現在の『デミオ』よりも全長が80mmだけ長く、ホイールベースは逆に37
多くの新製品が世に送り出されるプロセッサーの世界。テクニカルライターの大原雄介氏による本連載では、CPUやGPUなどコンピューターの中核となるプロセッサーのロードマップを軸に、その変遷を解説していく。 2024年06月10日 12時00分 PC 第775回 安定した転送速度を確保できたSCSI 消え去ったI/F史 SCSIは「まだ使っている」ユーザーがいるだろう。筆者の手元にも若干機材が残っているが、市場としてはほぼ壊滅している感が強い。 2024年06月03日 12時00分 PC 第774回 日本の半導体メーカーが開発協力に名乗りを上げた次世代Esperanto ET-SoC AIプロセッサーの昨今 Esperanto Technologyが第3世代製品をRapidusの2nmプロセスを利用して製造することを明らかにした。発表会の内容をもとにET-SoC-2/ET-SoC-3の詳細を説明
マツダの社員はみな同じことを言う ――私は取材していて、マツダの人がみな同じ事を言うのに驚いています。これが例えば「顧客第一主義」みたいな標語なら同じ事を言っても不思議はないんですけど、藤原専務がさっきおっしゃった「よそと関係なく、掲げた理想に向かって開発するだけです」みたいな意味のことを、それぞれが自分の言葉や表現で言うんですよね。失礼ながら最初は変な宗教みたいでちょっと気持ち悪かったのですが(笑)、本来会社にとって、自分たちがそれぞれの持ち場で何をやるべきなのかを社員全員が分かっているのは大きな強みだと考えると、これはちょっとマツダ恐るべしと思っています。もうちょっとさかのぼって良いですか? 国内販売網を5チャネル化して失敗するより前はどうだったんでしょうか。 【藤原】(5チャネル化は)1980年代後半からですね。その頃われわれの世代は、言われたことをやるだけで精一杯。仕事が山のように
「乗用車ハブベアリングで世界シェア1位の25%」というNTN(大阪市)は、2018年3月に創業100周年をむかえる。もともと For New Technology Network(新しい技術で世界を結ぶ)の頭文字からの社名だったが、この節目に「なんて なめらか」で社名をイメージさせるという。 「なんて なめらか のフレーズは、NTNのコア技術『トライボロジー』を、一般ユーザーの視点で表現。これまでの固いイメージの英字から、わかりやすいイメージへ。当社の企業理念と照らし合わせ、『新しい技術の創造と新商品の開発を通じ、社会もなめらかにする会社』といったコンセプトで、記憶に残る言葉にした」 同社は1918年、玉軸受の研究製作を主事業とする会社として創業。同社は3月9日、「ドライブシャフトは世界シェア2位、1位はイギリスのGKN。自動車の軸受のほか、新幹線・高速鉄道・民鉄・路面電車などの車両台車か
5月27日、アメリカの現職最高指導者のバラク・オバマ大統領が、被爆地・ヒロシマを訪問した。もちろん前例のないことで、まさに歴史上の画期的なエポックであった。 ただ、オバマ大統領のあの文明論的なスピーチと、米兵被爆死者の調査を続けてきた森重昭さんとの抱擁シーンは誰もが覚えているが、どんなプロセスで、あの歴史的訪問が実現したのか、となると、誰も知らないのではないか。日米政府ともその経緯は明らかにしていないし、今後もしないだろう。 本書は、この歴史的訪問の実現を水面下で動かした現地メディア社長が、日本政府、ホワイトハウス内部、広島市、広島県に食い込んでウォッチした、秘話満載のインサイドドキュメントである。 『オバマへの手紙 ヒロシマ訪問秘録』 (三山秀昭 著)――タイトルにもなった「オバマへの手紙」は、三山さんの企画だそうですね。これは、どんな経緯で始まったものなのですか? 「オバマへの手紙」と
70年前の1945年8月6日、人類初の原爆が広島市上空でさく裂した。投下した米爆撃機B29「エノラ・ゲイ」の搭乗員12人のうち、最後の生存者だったセオドア・バンカーク氏が昨年、93歳で死去。上空から惨状を目撃した証人はいなくなった。当時24歳で原爆投下機の航空士を務めた同氏は戦後、原爆と戦争について何を考え、どう生きたのか。生前のインタビューに遺(のこ)した言葉をもとに振り返った。原爆使用を正当化
右傾化の果てに 「右傾化」が言われる。反中嫌韓、愛国心、そして憲法改正…。右の立場から長く日本の変遷を見つめてきた新右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男さんは、今の日本に「子どものような稚拙な議論」「国家主義の強制」を見る。そして謙虚さと寛容さを忘れた日本は、歯止めを簡単に越えるのではないかと危惧 ... [続きを読む] 共同通信社は、報道写真で戦後の歩みをたどるシリーズ「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」を刊行した。同社や全国の地方紙が所蔵する貴重な写真で構成する全14巻の年代記となる。 戦後間もない混乱期から復興期、東京五輪、ロッキード事件、バブル経済とその崩壊、阪神大震災、東日本大震災―。激動の昭和と平成を5年ごとに区切り、共同通信が保有する2千万枚以上のアーカイブや全国の50を超える新聞社の秘蔵写真を厳選し、編さんした。カメラマンや記者の取材秘話も明かされる。
「俺のようなチビの鼻まがりの、 ニグロとユダヤの混血には、 これ以下ということがないんだ。 だから、いつだって俺は昇り坂さ。」 ― Sammy Davis Jr. なんという情感!!感涙! サミーは、自分の曲がった鼻を指で持ち上げて「殴られ何度も折られて、上を向かなくなったよ」とジョークのように語っています。 また、彼は、28歳の時、交通事故で片目を失いました。しかし、この54年に初めてレコードをリリースし、一躍全米レベルでのスターダムにのし上がるのです。 最晩年には、喉頭がんに侵され、彼は、声を維持することを望みましたが、 死の数週間前に、喉頭を全摘出されたのだそうです。 神さまは、彼から一つづつ、与えたものを奪って行くかのよう。。 でも、彼の魂は、最後まで軽やかに jumped so high ! 瞳の奥は少年のように輝いていました。 この眼帯の下の彼の左目は空洞でした。眼帯は伊達では
ウラジーミル・プーチンとミハイル・ゴルバチョフは指導者としてこれ以上ないほど異なっている。しかし、両者とも誇り高きロシア人で、自分たちの国は当然受けるべき報いを受けていないと感じている。 In this photo taken late Monday, Nov. 12, 2012, former President of the Soviet Union Mikhail Gorbachev speaks to journalists on Ekho Moskvy radio in Moscow, Russia. Gorbachev has authored a new book of memoirs that comes out Tuesday, Nov. 13, 2012. (AP Photo/Alexander Zemlianichenko)
このコラムについて 日経ビジネスはこの9月に創刊45周年を迎えました。それを記念して、日経ビジネスに登場した名経営者や元宰相など、今では鬼籍に入って話を聞くことのできない方を中心に、時代を体現した“寵児”20人のインタビュー記事を再掲します。活字化された彼らの“肉声”から様々な教訓を読み取っていただければ幸いです。 記事一覧 記事一覧 2014年9月30日 ピーター・F・ドラッカー大いに語る コンピューターに騙されるな ほぼ1世紀を生き抜いた博学多識の社会生態学者は、21世紀の情報化社会が到来する前に奥深い混迷期の時代が続くと予測。コンピューター技術の発達やインターネット企業の台頭でさえ、まだ移行期の過渡的な産物と見... 2014年9月29日 小倉昌男氏が語る宅急便が官業を食う秘密 全員経営で手作りのサービス 官業、国鉄小荷物と郵便小包を食う宅急便の大和運輸。「安さ、速さと、自宅まで取り
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