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歴史とマツダに関するtohruiのブックマーク (3)

  • マツダ コスモスポーツ 50周年に見る、ロータリーの歴史と未来 | レスポンス(Response.jp)

    世界で初めて、ロータリーエンジン搭載車として開発、発売されたマツダ『コスモスポーツ』。このコンパクトでスマートなスポーツカーが発売されたのは、ちょうど50年前の1967年のこと。このマツダとして初のスポーツカーであり、日の自動車史にも大きく記されるべき1台の歴史を紐解いてみることにしよう。 「乗るというより、飛ぶ感じ」コスモスポーツが発売されたのは1967年の5月30日。価格は148万円だった。「乗るというより、飛ぶ感じ」というキャッチコピーが添えられていたのは、高回転までスムーズに吹け上がるエンジンの特徴と、飛翔しそうな未来的スタイリングがもたらす印象を、実に的確に表現したものだったといえよう。 ボディはモノコック構造が採用され、全長x全幅x全高は4140×1595×1165mm、ホイールベースは2200mm。これは現在の『デミオ』よりも全長が80mmだけ長く、ホイールベースは逆に37

    マツダ コスモスポーツ 50周年に見る、ロータリーの歴史と未来 | レスポンス(Response.jp)
  • 「CX-5まで耐えろ」マツダが挑んだ離れ業 藤原清志専務インタビュー(後編)

    マツダの社員はみな同じことを言う ――私は取材していて、マツダの人がみな同じ事を言うのに驚いています。これが例えば「顧客第一主義」みたいな標語なら同じ事を言っても不思議はないんですけど、藤原専務がさっきおっしゃった「よそと関係なく、掲げた理想に向かって開発するだけです」みたいな意味のことを、それぞれが自分の言葉や表現で言うんですよね。失礼ながら最初は変な宗教みたいでちょっと気持ち悪かったのですが(笑)、来会社にとって、自分たちがそれぞれの持ち場で何をやるべきなのかを社員全員が分かっているのは大きな強みだと考えると、これはちょっとマツダ恐るべしと思っています。もうちょっとさかのぼって良いですか? 国内販売網を5チャネル化して失敗するより前はどうだったんでしょうか。 【藤原】(5チャネル化は)1980年代後半からですね。その頃われわれの世代は、言われたことをやるだけで精一杯。仕事が山のように

    「CX-5まで耐えろ」マツダが挑んだ離れ業 藤原清志専務インタビュー(後編)
  • マツダ代表取締役社長兼CEO 小飼雅道 | ダイヤモンド・オンライン

    広島で生まれ今も広島に社を構えるマツダ。1990年代に経営危機に陥り、米フォード・モーターの傘下で大リストラを経験し、リーマンショックで再び業績は悪化するなど紆余曲折を経ながらも「マツダ車でなければダメなんだ」という熱烈なファンを持つ自動車メーカーだ。そのマツダを率いる小飼社長は長く生産畑を歩んだ生粋の技術屋であり、モノ造りへのこだわりも強い経営者。小飼社長がグローバルの激しい競争にさらされる自動車という市場でいかに経営の舵取りを行なうか、経営戦略・経営哲学を語る。

    マツダ代表取締役社長兼CEO 小飼雅道 | ダイヤモンド・オンライン
    tohrui
    tohrui 2017/01/23
    マツダのトップの考えが記載されてます。勉強になります。
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