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ブックマーク / www.honsagashi.net (220)

  • 『歴史と地理』(山川出版社)第680号(日本史の研究247)で「山丹・山丹交易について」を読んだ。

    歴史と地理』(山川出版社)第680号(日史の研究247)で「山丹・山丹交易について」を読んだ。 これは「賢問愚問 解説コーナー」というシリーズで、「山丹交易の担い手は、どこに住むどんな民族なのでしょうか。また交易の実態を具体的に教えて下さい」という質問に答えたものだ。 これは、江戸時代中期から末期にかけて、北海道・樺太・沿海州北部・アムール川(黒龍江)下流域に及ぶ広大な地域を舞台にして行われた多くの民族を介しての交易の実態についての解説で、大変興味深かった。 まず、民族の配置として、北海道から千島南部(択捉島まで)が北海道アイヌの居住域、樺太南部が樺太アイヌの居住域、中部がウィルタ、北部から間宮海峡を渡ってアムール川北岸地域がニヴフの、そしてアムール川下流域から清朝の出先機関がおかれたデレンまでがウリチの居住域だ、ということが示される。 ウィルタとは日ではオロッコと呼ばれた民族であり

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    toki 2014/12/30
    『歴史と地理』(山川出版社)第680号(日本史の研究247)で「山丹・山丹交易について」を読んだ。 "Feel in my bones"
  • 駒場寮にオルグに来た過激派の人は今

    私が東大駒場寮に在住当時、三里塚闘争のオルグに来た中核派の人がいたのだが、あの人は今何をしてるんだろうとふと思った。 考えてみると、当時の駒場寮には右から左まで、創価学会の人もいればおそらく精神的に病んでる人もいたし、学習に集中している人もいれば朝から晩まで麻雀している人もいた。学生劇団のたまり場になっている部屋もあれば学生バンドのサークル室になっている部屋もあり、実際には金持ちの人もいれば当に貧乏な人もいたし、学者の息子も母子家庭で共産党の人もいた。今思うと、あの環境と言うのは種々雑多な人に対する免疫のようなものをつけるのに凄く有効だったのではないかと思う。 もちろんそこで過激派や宗教団体に引っかかって人生のコースを曲げてしまった人も大勢いるのだけど、そういう意味では自分がしっかりしていないとそういう環境の中で自分らしく生きるのは難しかったかもしれない。しかし逆に、自分自身が世の中の決

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    toki 2014/12/07
    ブログ書きました 駒場寮にオルグに来た過激派の人は今
  • 『嫌われる勇気』を読んでいる。「自己啓発の源流」アドラー心理学のわかりやすい解説。

    アドラー心理学をわかりやすく解説した、岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社、2013)読んでる。題名と違い、内容はそう古い感じのものではない。まだ読んでいる途中なので全体的な感想は書けないのだけど、アドラー心理学の構造というものが少しずつ着実に理解出来るように工夫されて書かれている。「自己啓発の源流」という言い方はなるほどなあと思うけれども、いわゆる自己啓発というのは結構論理が荒っぽく、そのときはそういうものかと思ったり納得した気になったりしても、しばらくすると忘れてしまったり、人に説明しようとして「あれ?なんだっけ?」となったりすることが多い。このは、同じような論点に何度も回帰して生まれいずる疑問を丁寧に片付けて行く感じがある。自己啓発花盛り、かつ自己啓発に挫折した人がわんさか溢れている、だからこそさらに自己啓発が求められているとい

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    toki 2014/12/06
    ブログ書きました 『嫌われる勇気』を読んでいる。「自己啓発の源流」アドラー心理学のわかりやすい解説。
  • 『新・戦争論』における池上彰さんと佐藤優さんの絶妙のマッチング(感想その一)

    池上彰さん、佐藤優さんの『新・戦争論』(文春新書、2014)を読んでいる。久しぶりにブログを書きたくなったので書いてみることにした。 もうだいぶ前になるが、ネット上でウェブ日記⇒ブログという流れでずっと書いていた頃、政治的な動きに関してもいろいろ書いていたのだけど、ウェブ上での議論があまり生産的でなく、ブログでは「そういうこと」について書かないというルールを自分に作って、「そういうこと」はときどきツイッターなどで単発的に書くだけ、ということにしていた。 昨年の暮れからは新たにマンガの感想を書くブログをはじめ、そちらの方が忙しくなってしまい、また身辺雑記的なことやの感想を書くことにあまり意味を見いだせなくなってきただけでなく、アクセス数においてもマンガブログとは圧倒的に差があるようになってきて、どちらの面からもブログを書くのに積極的な意味が見出せなくなって、要するに「書けない」感じになって

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    toki 2014/12/04
    ブログ書きました 『新・戦争論』における池上彰さんと佐藤優さんの絶妙のマッチング(感想その一)
  • 文化に関わろうとする人間が考えるべきこと

    しばらくこちらのブログを書いてなかったのだけど、復活させようと思う。 書くことがなかったわけではないのだけど、まんがブログを書いていると何となく文章表現欲自体はある程度満足してしまい、また時間的体力的な余裕のなさも手伝って、なかなかこちらのブログは更新出来ないでいた。 ただ、やはり表現したいことはマンガのことだけではないし、そういうことは主にツイッターに断片的に描いていたりはするのだけど、最近ときどき長い文章を140字に区切って何度も更新してたりして、それならブログを書いても同じじゃないかと思ったのだった。 文章を書いていてもそうだけど、何というかなかなかオリジナルな、創作的なことが出て来ないのは、何というか私が世界に関心と期待を失ってるからではないかという気がして、それはあまり良くないなと思った。 人間は、あるいは世界は、実際にはどうであり、またどうあるのがいいのか。現状と理想、というか

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    toki 2014/11/06
    文化に関わろうとする人間が考えるべきこと "Feel in my bones"
  • 占いの効用

    久しぶりのブログがこんな話題であるのもどうかと思うのだけど、どうも神経がいらいらしていて、つまらないことがいろいろと神経質に気になるという感じになっている。多分からだの状態としてはどちらかと言うと低潮な時期で、からだがあまり思うように動かないのに気になることがいろいろある、ということなんだろう。からだを動かして解決すればすこしずつそう言うものもなくなるとは思うのだけど、そう言う感じになっている時というのはあるなあと思う。 最近もなかなかマンガばかりで、新しいが読めていない。体調の上がらなさとも相まって、あまり上手く動いていない感じ。 多分、自分の考えや自分の世界のような物に固執し過ぎているのだなと思う。そう言うものを手放して新しいものが入って来るようにしないといけないと思うのだけど、しばらくずっと自分の世界という物に徹底してこだわるということをやってきていたので、上手くそれが外せなくなっ

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    toki 2014/10/10
    占いの効用 "Feel in my bones" 凄く久しぶりにブログを更新しました。大したこと書いてないけど。
  • 理性信仰と本質へ至る道/現代の魔女

    古田博司『ヨーロッパ思想を読み解く』と海野弘『魔女の世界史』を読了。両方とも面白く、またシンクロナイズして自分自身の考え方や世界のとらえ方のようなものを見直してみるある示唆を与えてくれるたちだった。 『ヨーロッパ思想を読み解く』は、ヨーロッパ思想、日で主流のドイツやフランスの理性信仰、いわゆる大陸合理論の系譜のようなものを相対化して、イギリス経験論の優位とでも言うべきものを示すやり方は何と言うか快刀乱麻を断つ感があった。理性というのはこの世界のわれわれが把握している世界内部のものであって、それがどのようにしてこの世界の別のサイドにある「質の世界」のようなものに接する、ないし到達するのかということについての延々とした議論がドイツ哲学であり、その末裔であるフランス現代思想である、という指摘は私には腑に落ちるものがあった。 結局、近代を近代たらしめていたいちばんのもとは、「理性信仰」なのだ

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    toki 2014/09/11
    理性信仰と本質へ至る道/現代の魔女 "Feel in my bones"
  • 正統と異端の権力関係/日本人と抽象思考

    ここ数日読んでいて面白いと思っているは海野弘『魔女の世界史』(朝日新書、2014)なのだが、昨日からこのについて、またこのを読んで考えたことを書こうとして書けず、また読み進めようと思ってもここから大事なところだと言うのに何となくかったるくなって次に進めない感じになっていて、沈んでいる時と言うのは頭の働きが鈍くなっていて困るなと思う。 今日夕方出かけて見つけたが古田博司『ヨーロッパ思想を読み解く』(ちくま新書、2014)。韓国思想が専門(だと私は思っていた)古田さんがヨーロッパ思想を、とへえと思って読み始めたのだが、専門のヨーロッパ哲学者にはない視点でヨーロッパ思想の中核にあって自明の前提になっている「何か」がその叙述の対象であることが分かって、非常に興味を引かれて買ってみた。 どちらのも、『ヨーロッパ』とか『西欧近代』という「正統」ないし「中核」を違ったサイドから見直してみようと

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    toki 2014/09/09
    正統と異端の権力関係/日本人と抽象思考 ブログ書きました
  • ある訃報

    関係のない方には関係のない話なのだけど、私にはかなり大きな話なので、書いておこうと思う。 昨日届いた整体協会の機関誌『全生』を読んで、整体協会の野口裕介先生が亡くなったことを知った。8月3日。7月の故・野口昭子会長の十年祭での元気な姿の写真が掲載されていたので、どなたにとっても突然のことだったのだろうと思う。裕介先生は部講師という立場だったけれども、整体協会(いわゆる野口整体)の創始者である野口晴哉先生の後継者として、実質中心となって活動されてきていた。現在の整体協会会長は元首相の細川護煕さんだから、整体協会内部の方向性や指導に関しては、裕介先生が中心になってやって来られたことは間違いないだろう。8月3日に亡くなられ、ネットで調べるとすでに8月6日には葬儀が行われたということなのだけど、「全生」によれば裕介先生が亡くなられたことで整体協会の行事・講習会などはすべて未定になっているとのこと

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    toki 2014/09/06
    ある訃報 "Feel in my bones" 書きました
  • 感想より思想

    このブログではずっと日常雑記のようなことを書いてきていたのだけど、昨年末からまんがブログを始め、(他のブログもやっていたのだけど最近はそれらもほとんど滞っている)以前からやっていたこのブログはほとんど更新しないできていた。 以前は実際意地になって更新しているようなところもあったのだが、実際に4月頃などはまんがブログを1日4回更新する、ということをやっていて、さすがにそれ以外のサイトを更新するということはできなくなっていたし、また更新回数を減らしてからも(今のマンガブログの更新数は多くて1日2回、必ず1回は更新している)他のブログを更新する気がなくなってしまっていた。 ずっと続けていたこのブログも、ここ数ヶ月開店休業状態で、それでもブログへのアクセスは一日100〜200はあったのだけど、最近さすがに100を切るようになってきた。更新数がこれだけ減れば当たり前と言えば当たり前なのだけど、Goo

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    toki 2014/09/05
    感想より思想 "Feel in my bones"
  • アイデンティティとか自我関与とか

    人間のアイデンティティとか自我とかいうものは、結局その人間がそれまでしてきた経験・行為・思考そのものなのだな、ということを思った。 自分は日人だ、とか男だ、というような客観的な事実、というか誰が見ても分かる事実、というようなものは、もちろん分かりやすい部分でアイデンティティになってはいるだろうけど、「自分がどんな人間か」というのを考えたときに、そういう自明の事実というのはあまり大きな意味をなさない。もちろん他者と話していてそういうことに自覚的になることはあるだろうけれども、男だからこうする、とか日人だからこうする、というような行動に結びつく次元では、必ずしもそう強くはないだろう。 自分にとって「自分が自分であること」の上で重要なのは、日々自分が経験していること、行為していること、思考していることであり、場合によっては「思い知らされていること」であるのだろうと思う。だから、思い知らせるこ

    toki
    toki 2014/09/04
    アイデンティティとか自我関与とか "Feel in my bones" 再送
  • ブログ復活

    こちらのブログはしばらく全然更新できていなかったのだけど、更新を再開しようと思う。マンガのことはアメブロとFC2の「個人的な感想です」で、その他のことはこのブログで、日常的なことや考えたことなどについて書くという感じだろうか。 ブログを書いていて思うのは、一貫性を持たせなければいけないとつい感じてしまうことで、知らず知らずのうちにできた自分のブログ上の「キャラ」のようなものに、思わず縛られてしまうということが多々あるということだ。しばらく日常に関するブログを書いていなかったので、その面ではブログに書くということを前提としないで生活していたから、まああまり一貫性のないことも平気でやれた、ということは良かったと思うのだけど、そういう「キャラ」のようなものではなく、つまり中心をブログや文章の上におくのではなく、いつも自分の上に中心を返しながら書くように心がけて行きたいと思う。 つまり、前の日に書

    toki
    toki 2014/09/03
    書きました ブログ復活 @kous37さんから
  • スタジオジブリの新作『思い出のマーニー』を見ました。この映画を必要とする人に届きますように。

    スタジオジブリの新作映画米林昌宏監督の『思い出のマーニー』の感想です。 この映画については昨日感想を書いたのですが、そのあといろいろネットで掲載されている感想を読んだり、自分でも何冊かを買って制作サイドの話などを読んだりして、(映画を見たあとでもすぐパンフレットとサントラの2枚組CDを買ったのですが、そのあと特集されていた「アニメージュ」と、「思い出のマーニー ビジュアルガイドブック」、「ストーリーガイドブック」「カードブック」まで買ってしまいました 。笑)また新たにいろいろなことを思ったのでちょっと書きたいと思います。 この話はいったいどんな話なのか、という観点でいろいろ考えてみると、まあ、いろいろな見方が出来ると思います。特に杏奈とマーニーとの関係について。 杏奈にマーニーがどうしてすぐ『特別の』存在になるのか。それは、マーニーが美しい子だから、神秘的だから、それに引かれたということ

  • ネルケ無方さんの『日本人に「宗教」はいらない』(ベスト新書、2014)を読んだ。

    ネルケ無方さんの『日人に「宗教」はいらない』(ベスト新書、2014)を読んだ。 著者は、ドイツ・ベルリンの出身でドイツ人の禅僧。1968年生まれだから、ベルリンの壁の中で育ったということになる。祖父がプロテスタントの牧師という環境で育ち、母を7歳のときに失ったという。16歳で禅に出会い、生きるのが苦しくて仕方なかったのが、「一切は苦である」と言うブッダの教えに出会い、苦しくてもいいんだ、それが生なんだと救われたのだという。また、座禅を組んで姿勢を意識したことで、初めて「生きている」と言う実感を得たのだという。 正直、そんなに期待しないで読み始めたのだけど、すごく面白かったし参考になった。ドイツからやってきて日の精神生活の中枢に入り込んでいる人から見える、日人の今の心のあり方を語ってもらうと言うのは斬新な感じ。日人の書いたそう言うものを読んでいても、どうしても「そうだよね、そうだよね

    toki
    toki 2014/07/23
    【書きました】ネルケ無方さんの『日本人に「宗教」はいらない』(ベスト新書、2014)を読んだ。 【Feel in my bones】日本人の心のあり方について、目から鱗でした。
  • コミックリュウ9月号で、ふみふみこさんの『ぼくらのへんたい』第26話「二人の告白」を読みました!

    コミックリュウ9月号で、ふみふみこさんの『ぼくらのへんたい』第26話「二人の告白」を読みました! この内容は、まんがブログ『個人的な感想です』からの転載です。(アメブロ版 FC2版) 「ぼくらのへんたい」、先月は感想を書きませんでした。なんというか、書けなかったんですよね。ちょっとなんというか、どう書いていいか分からなくて。でもその書けなかった感じも、今月号の26話を読んで、少し分かったというか、整理がついたというか、まあその感じも、今月の感想を書きながら少しずつ書ければいいかなと思います。 まずはまりか=裕太。先々話で性同一性障害の病院にかかり、お母さんにも納得してもらい、そして学校でも話がついたのでしょう、まりかは「晴れて」女生徒としてセーラー服を着て登校することになりました。そしてその初日、2年生になって同じクラスになっていたともちが、ぴったりとガードしています。ともち、1年生の時は

    toki
    toki 2014/07/20
    コミックリュウ9月号で、ふみふみこさんの『ぼくらのへんたい』第26話「二人の告白」を読みました! 【Feel in my bones】
  • E・T・A・ホフマン(上田真而子訳)『くるみわりとネズミの王さま』(岩波少年文庫、2000)を読んだ。

    E・T・A・ホフマン(上田真而子訳)『くるみわりとネズミの王さま』(岩波少年文庫、2000)を読んだ。 これは先日も書いたけれども、スタジオジブリの広報誌『熱風』7月号で取り上げられていたからで、それは長編映画から引退した宮崎駿の引退後初の仕事、「三鷹の森ジブリ美術館」における企画展示「クルミわり人形とネズミの王さま展」の特集の中で、だった。 もともと宮崎さんはバレエの『くるみ割り人形』のお話をもとに描かれたアリソン・ジェイさんの絵(蜂飼耳訳)『くるみわりにんぎょう』(徳間書店、2012)を読んでこの話に興味を持ち、そしてホフマンの原作も読んでこの展示を企画し作ったのだという。 私はまだ残念ながらジブリ美術館の展示は見に行けていない(完全予約制で毎月10日に次の一月間の予約を取るようになっている。もう7月8月は完全に埋まっている。夏休みだから仕方がないんだろうけど)、というかジブリ美術館

    toki
    toki 2014/07/19
    E・T・A・ホフマン(上田真而子訳)『くるみわりとネズミの王さま』(岩波少年文庫、2000)を読んだ。 【Feel in my bones】
  • 渋谷の街の雰囲気を思い出す。

    なんだかんだと忙しく、なかなかこちらのブログを更新できない。 金・土と職場のある商店街のお祭りがあって(職場は少し路地に引っ込んだところ)結構にぎやかだった。日曜日の朝は地域の草刈りがあって、私の住んでいる部屋の裏手にある公園の草刈りをした。どちらかというと、今まで祖の草刈りに参加する人はかなり年齢層が高い印象だったけど、今回は同年代の人や自分より若い人が多い感じがして、世代交代を感じさせた。 草刈りが終わってから午前中の特急で上京し、思い立ってそのまま渋谷へ行き、タワーレコードへ行って「『シドニアの騎士』~弐瓶勉の世界展~」をまた見に行った。これで3回目になる。このことはマンガブログの方に書いているのだけど、弐瓶さんの連載開始前の初期設定のプランなどが展示されていて、初期段階から中性キャラ(科戸瀬イザナ)やクローンの少女たち(仄姉妹)などが考えられていたんだなということが分かった。またガ

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    toki 2014/07/08
    【#ブログ書きました】 渋谷の街の雰囲気を思い出す。 【Feel in my bones】
  • 【創作に真剣に向き合うこと/冷えに注意】

    【創作に真剣に向き合うこと/冷えに注意】 今日はいろいろといろいろな意味で忙しかった。 昨日読んだ月刊スピリッツの松田奈緒子『重版出来!』第22話がとても刺激的で、「好きなことに真剣に向き合う」ことの大切さ、というのを改めて感じた、というか思い知らされた思いがした。好きなこと、というのはつまり創作すること、ということなのだけど、それをうまくとらえられなくなっているところがあって、それが出来ていないことについて心の底での不満があるのは感じるのだけど、それをどう解放したらいいのか分からない、方法を見失っている、という感じがあるのだなあと思った。 とはいえ、今日は午前中に松に整体の操法を受けに行くことになっていて、集中して創作に取り組むという時間もない。さてどうしようと思いながらモーニングページを書いていたのだけど、書き始めようとした途端に近くの家の人の話し声が聞こえてとっかかりを見失った感じ

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    toki 2014/07/04
    書きました 【創作に真剣に向き合うこと/冷えに注意】 【Feel in my bones】
  • 【今週は事務仕事週間か】

    【今週は事務仕事週間か】 ここのところ体調がいま一つで、お腹の調子も一時よくなったのだけどまたどうもいけない感じになっていた。ちょうど今日整体の操法の予約をしてあったのでよかったと思っていた。9時前に母を乗せて家を出て、少し早めに道場について8月分の予約を取ってから、さて名前を書こうと予約一覧表を見たら自分の名前がない。あれ、と思って原簿を見たら2日ではなく4日の予約になっていた。結局空きもなくて今日は操法を受けられず、すごすごとまた高速で帰ってきた。 銀行の用事があって、帰ってきた直後にまた銀行に出て帰り、母から電話があってお昼の電車で妹のところへ行くというので、会計の人と少し話をしてから母を車に乗せて駅まで送った。 帰ってきて事。腹具合がおかしかったのが、なんだかいろいろうまく予定通りに動かなくて腹を立てたからなのか、けっこうたくさんべられた。腹を立てるというのは、元気を出すための

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    toki 2014/07/02
    書きました 【今週は事務仕事週間か】 【Feel in my bones】
  • 【タイトルを「Feel in my bones」に戻しました。】

    【タイトルを「Feel in my bones」に戻しました。】 今日から7月。思うところあって、今日からこのブログをなるべく毎日更新することにした。 6月はこのブログ、3回しか更新できなかった。出来なかったのか、しなかったのかは微妙だけど、4月にマンガブログを1日4回更新するというのを続けていて他のブログが全然書けなくなって、またマンガブログが一番アクセスもあり反応もあるので面白く、他のブログになかなか気持ちが行かなくなったのと、体力的に何となく書く気持ちから遠ざかってしまった、というところがあった。 おかげさまでマンガブログはけっこうアクセスが伸びて、アメブロで1日2000アクセスというのを目標にしていたのだけど、ここ数日は3000を超え、昨日は少し減ったけれども2917アクセスあった。ちょうどアニメ『シドニアの騎士』が評判になったらしく、(評判になるにふさわしい作品だったと思う)シド

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    toki 2014/07/01
    【タイトルを「Feel in my bones」に戻しました。】 【書きました】