『歴史と地理』(山川出版社)第680号(日本史の研究247)で「山丹・山丹交易について」を読んだ。 これは「賢問愚問 解説コーナー」というシリーズで、「山丹交易の担い手は、どこに住むどんな民族なのでしょうか。また交易の実態を具体的に教えて下さい」という質問に答えたものだ。 これは、江戸時代中期から末期にかけて、北海道・樺太・沿海州北部・アムール川(黒龍江)下流域に及ぶ広大な地域を舞台にして行われた多くの民族を介しての交易の実態についての解説で、大変興味深かった。 まず、民族の配置として、北海道から千島南部(択捉島まで)が北海道アイヌの居住域、樺太南部が樺太アイヌの居住域、中部がウィルタ、北部から間宮海峡を渡ってアムール川北岸地域がニヴフの、そしてアムール川下流域から清朝の出先機関がおかれたデレンまでがウリチの居住域だ、ということが示される。 ウィルタとは日本ではオロッコと呼ばれた民族であり