ブックマーク / d.hatena.ne.jp/zoot32 (10)

  • 2010-12-04 - 空中キャンプ

    米作家リディア・デイヴィスの長編。彼女はいぜんに『ほとんど記憶のない女』という短編集をだしていますが、今回は長編。とてもすばらしい小説でした。失恋した女性の心理が、錯綜や混乱も含めてきわめてリアルに描かれていて、読み進めるのが苦しくなってしまうほどだった。誰かを失い、相手の不在に耐えながら、その人はもういないという事実に自分を慣れさせていく「喪の作業」についての物語として読みました。人を失うとはまさにこのような経験なのだと納得する。訳者は岸佐知子さん。 大切な誰かを失ったとき、われわれは果てのない思考の反復に陥る。愛する者の喪失によって、心は千々に乱れるほかない。相手のことを考え、相手の残した言葉を考え、なぜ彼/彼女は去ってしまったのだろうと理由を推測し、自分の落ち度を検証し、お互いの非を比較し、怒りや屈辱を感じ、不安と孤立感にさいなまれ、相手の美点をあらためておもい起こし、幸福だった瞬

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    tokyocat 2010/12/05
    《米作家リディア・デイヴィスの長編》《失恋した女性の心理が、錯綜や混乱も含めてきわめてリアルに描かれていて、読み進めるのが苦しくなってしまうほどだった》
  • 『 オラクル・ナイト』/ポール・オースター - 空中キャンプ

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    tokyocat 2010/10/15
    『オラクル・ナイト』/ポール・オースター
  • ひとりごと - 空中キャンプ

    ひとり暮らしをしていると、ついひとりごとがでてしまう。気がつくと、よくわからないことを、誰に向かってというわけでもなく話している。これ、人に見られたらずいぶん珍妙な光景だろうな、とおもいつつも、ひとりごとはつい、口をついてでてしまう。わたしはなにやら心の病でもあるなのだろうか。なんだか脈絡のないことを、まるで誰かと会話でもするみたいに話してしまうのだ。自分でも、これはいったいなんだろうと心配になることがあるけれど、やはり、気がつくとそうしてしまっている。 とはいえ、ひとり暮らしをしている人がみな、ひとりごとをいっていると決まっているわけでもなく、きっとわたしは特殊な例外なのかも知れないとおもっていた。映画『空気人形』は、だから、わたしにとっては、「ひとり暮らし映画」としての側面もあって、あの作品においては、ひとり暮らしならではのがらんとした自由と孤独がとてもうまく描かれていたとおもう。孤独

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    tokyocat 2009/10/22
    「ふたりでおるときの方がしゃべれへんやろうなあ」 つぶやく人(ホモ・サピエンス・ツイッター)
  • 私たちまだ死んでない - 空中キャンプ

    サリンジャーは、「ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー」という、それだけですぐにユダヤ系だとわかってしまう名前を隠すために、ずっと、JDサリンジャーと名乗っていたのだという。かくいう私も、ちょっとだけそれに似た理由で、たかこ BLと名乗っている。BLがなにを略しているのかを、私は口にすることができない。だから私は、行儀のいいタクシー運転手みたいに、余計なことをいわず、どこへいってもできるだけおとなしくしている。 私たちの日での生活はいくぶんきゅうくつだ。いつも、誰かに見つかってしまわないかとそればかりを心配している。三者面談のときには、お父さんにきちんとひげをそってスーツを着てもらうようにおねがいしなければいけなかった。「ちゃんとしたスーツを着てね」と私はいった。「なるべく原理主義者っぽくないやつ」。お父さんは肩をすくめて、「わかってるよ。俺は三者面談にはターバンを巻いていかない主義な

    tokyocat
    tokyocat 2009/09/12
    そうだったのか・・・《八年前、巨大なビルに向かって、飛行機を二連続でぶつけた男は、いま、世田谷区のちいさな家であさがおに水をやり、おいしそうに麦茶を飲んでいる》
  • 映画『おっぱいバレー』の結末を提案します! - 空中キャンプ

    まもなく公開される、綾瀬はるか主演の映画『おっぱいバレー』。試合に勝ったらおっぱいを見せてあげるという約束で、バレーボール部顧問の綾瀬はるかが中学生をがんばらせるという内容である。とはいえ、わたしたちもいい大人。現実をまっとうに認識する能力がいささかなりとも備わっていれば、もちろん、綾瀬はるかがこの映画で、ほんとうに観客におっぱいを見せるようなことは起こらないと理解できます。あたりまえである。見せるわけがない。 では、われわれをきちんと納得させるエンディングがあるとすればどのようなものなのかについて考えてみたい。わたしはこの映画の原作となる小説を読んでいないので、どのような結末が準備されているのかはわからないのですが、この映画の結末には、ふたつのエンディングが考えられます。すなわち── 試合に勝った生徒たちにおっぱいを見せる 試合に負けたのでおっぱいは見せない のいずれかであり、今回は1の

    映画『おっぱいバレー』の結末を提案します! - 空中キャンプ
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    tokyocat 2009/03/06
    (*゚ー゚)
  • 小説と映画のちがい - 空中キャンプ

    小説映画の大きなちがいは、それが個人でできる作業かどうかであるとおもう。基的に、商業映画をひとりで作ることはできない。規模の大小はあれ、複数の人間が関わることでしか映画は完成しない。反対に、小説はひとりで書き上げるものであり、他者が介在することはすくない。あくまで小説は個人作業なのだ。小説映画という表現手段には、そのような差異がある。 複数の人間が関わることで、そこで予期しなかったできごとが確実に発生する。それが映画という表現の特徴である。カメラの前で役者たちがどんな演技をするかは、撮ってみないとわからない。とある風景を撮ったとき、そこにたまたま写り込んでしまうなにかを、事前に言い当てることができない。想像もしていなかったようなシーンがたまたま撮れてしまう可能性はおおいにある。複数の人間が共同でひとつの作品に参加するとき、そうした偶然によって映画が豊かになっていくし、そこが映画のおも

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    tokyocat 2009/02/28
  • 2008-09-29 - 空中キャンプ

    ずっと読みたいとおもっていた小説でしたが、最近になって、河出書房新社の世界文学全集であらためて刊行され、その装丁がおしゃれだった*1こともあり、ようやく読むことができました。米小説家ウィリアム・フォークナー、その代表作のひとつ。やはりタイトルが印象的で、意味はわからないものの、なんだかテンションが上がる題名でかっこいい。同じ言葉を二回くりかえし、二回目にびっくりマークをつければ、たいていの小説映画のタイトルはかっこよくなるのではないか*2。 の帯にある解説を引用すれば、「ガルシア=マルケスを始めとするラテンアメリカ文学ブームの世代を準備し、トマス・ピンチョン、中上健次など、20世紀後半の世界の文学に大きな影響を与えた作家が生涯をかけて築きあげた、架空の土地ヨクナパトーファをめぐるサーガの最高峰」であり、この解説文を読めば、たくさんの人が「それ、おもしろいに決まってるじゃん!」と興味をそ

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    tokyocat 2008/10/02
    読んでない、読んでない!
  • 『白鯨』のおもいで - 空中キャンプ

    わたしが、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』という小説をはじめて読んだのは、十九歳のときだった。この小説にでてくるエイハブ船長という登場人物は、『白鯨』を読んだことのない人でも名前を聞いたことがあるくらいに有名であって、それはたとえば、ホールデンとか、トラヴィスとか、そういったたぐいの「架空の有名人」のひとりであった。そして十九歳のわたしは、架空の有名人たちとたくさん知り合いになりたいとおもっていたのだった。 エイハブ船長がどういう人なのか、それを確認したい一心で、わたしは『白鯨』を読み進めた。『白鯨』はまず、古今東西のあらゆる書物から、鯨にかんする記述を徹底的に引用する、文献抄というくだりからはじまる。これが数十頁。「かの海の野獣、神の創造りたまひし、最も魁偉なるもの、大海の潮に遊び」といった引用がつづいていく。あのー、ここ飛ばしていいですか…。今では新訳もあるが、わたしが十九歳のときに入手

    tokyocat
    tokyocat 2008/09/21
    《いつか呑み屋でエイハブ船長の話題がでたとき》
  • やりたかったことの五分の一くらい - 空中キャンプ

    先日ベランダに立って洗濯物を干しながら熟考したのだが、やはりこうしてこの世に生を受けた以上、われわれはできるだけ充実した生活をするべきである。なぜなら誰しもいつかは寿命が尽き、やがて不帰の客となるわけだから、やりたいことをたくさんやって、なるべく後悔のないように工夫することが肝要である。 具体的には、お金持ちになる、たのしく遊ぶ、仕事で成功する、異性にもてる、などの方向性が考えられるが、むろんそれだけとは限らず、しあわせのかたちは数多くあるといえるだろう。たとえば、南海でカジキマグロを釣る、東映のやくざ映画に出演する、漬物屋を経営する、男根崇拝の思想を歌にして発表する、娘が女たらしにひっかかる、その後くだんの女たらしが逮捕されてちょっとだけ溜飲を下げる、といったかたちで、人は自由闊達に生きることができるし、さまざまな充実感を得ることができる。 充実した人生。そんなことをつらつらと考えていた

    tokyocat
    tokyocat 2008/09/21
    《『ガープの世界』でアーヴィングが書きたかったことは、「人は、やりたかったことの五分の一くらいしかできずに人生を終える」ということではないかとおもった。きわめてリアルにそうおもった》
  • 「ためらいの倫理学」/内田樹|2008-06-17 - 空中キャンプ

    tokyocat
    tokyocat 2008/06/17
    邪険な言葉を巧みに使える人が邪険な人なのかもしれない、誠実な言葉を巧みに使える人が誠実な人なのかもしれない、てなことをこの感想を読んで考えた。
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