ブックマーク / kmiura.hateblo.jp (15)

  • 「日本を、取り戻す」 - kom’s log

    4週間ほど日に行っていた。うち2週間は無珍先生と過ごし、2週間は大阪仕事をしていた。計測開始以来という猛暑に居合わせたのにはまことに閉口したが、すくなくともそこにいたということでなんとなくオリンピックは参加することに意義がある的な気分である。庭で無珍先生とホースの水をぶっかけあうという懐かしうれしいようなこともできた。 ところで、あちらこちら移動していて目についたのが自民党の「日を、取り戻す」ポスターである。日の丸をバックにアベ首相が自信有りげに、なおかつ慈愛のこもった目つきで微笑んでいる。このポスターが、異様なほどあちらこちらに貼られている。日でずっと生活している人は慣れてしまってあまり異常だと思わないのかもしれないが、映画などでも描かれる全体主義の社会を限りなく模倣したような、そのような光景である。Big Brother is wathching you *1. 私は今の日

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    tokyocat 2013/08/18
  • 理解という許容 - kom’s log

    われわれが避けねばならぬのは、「理解するよう努める」ということの罠である。つまり、低線量被曝の確率的な健康被害が決着のつかぬ議論となる主要な理由は、誰もがそれを「理解しよう」と努めることにある。そういった態度の紋切り型の一つに従えば、「何が起きているかを説明しようとすれば、少なくとも広島長崎のLSS調査の統計的な手法とその解釈を理解し、測定誤差や精度の理論、内部被曝の臓器モデルなどあれこれについて知識を得なければならない」ということになるが、放射線の健康に対する影響の「複雑さ」をこのように強制的に喚起させることが結局何に貢献するかといえば、健康被害に注がれる疫学的眼差し、つまりは集団レベルで記述された健康被害に対して観察者(同時に被害者)という個人が保っている距離を維持することに貢献するのである。言い換えるなら、福島原発の事故以後の出来事が証明しているのは、「理解することは許すことだ」とい

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    tokyocat 2012/06/22
  • バリ - kom’s log

    シンガポールからしばしの休暇でバリに行った。いろいろ楽しい旅行だったが、印象に残った一人の男について書く。 旅行先で観光ツアーに行くというのはいままでしたことがなかった。観光地にそもそも興味がない。飲んだりったりするほうが重要なのである。とはいえ一歳半の子供がいるので、飲んで回るわけにもいかない。車を運転してもらって観光地を回るんだったらラクだしできそうだな、と思ってはじめてツアーを頼んでみた。泊まっていたホテルのシャトルを運行している気のいいお兄ちゃんがしきりに売り込むので、ツアーをお願いすると決めたら即決だった。値段を聞いたら逆にいくらだったらいいか、というので、ガイドブックを見てそれよりも低めの値段をいったら、そのままだった。 当日ガイドとしてホテルにやってきたのはシャトルのお兄ちゃんではなく、日のチンピラのようなサングラスをかけた若い男だった。中肉中背、浅黒い肌に刈り込んだ髪。

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    tokyocat 2010/09/13
    ☆☆☆
  • 閉店法とわたくし - kom’s log

    id:Romanceさんがブックマークでドイツの閉店法(Ladenschlussgesetz)に関する二年前の記事を発掘していたんで、ちょっと触れてみる。閉店法は100年以上の歴史を持つドイツの法律なのだが、この10年でずいぶんと緩和された。ちょうど私のドイツ生活とこの緩和の過程は重なっている。私の経験と閉店法のメリットデメリットなどをつらつら書こうかと思うが、ひとまずは以下が閉店法の簡単な歴史。 1900年 ドイツ帝国で閉店法施行。小売店の営業は平日の5時から21時まで許可。 1957年 旧西ドイツで閉店法施行。原則として、平日は7時から18時30分まで、土曜日は7時から14時までの営業を認めた。日曜は例外を除き営業不可。 1989年 閉店法改正。木曜日の営業が20時30分まで可能になる。 1996年 閉店法改正。平日は20時まで、土曜は16時まで可能になる。 2003年 閉店法改正。土

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    tokyocat 2008/09/30
    へんなドイツ
  • 2008-08-23

    帰路の機中、「銀蝶渡り鳥」を見る。このところすっかり梶芽衣子のファンになってしまった。私もいちどくらい梶芽衣子にドスのきいた東京弁で「いいかげんにしなよ!」とか「待ちな!」とかいわれてみたいものである。 それにしてもあー、疲れた。ヒトリゴトをつぶやきながら洗濯機を回しつつ自宅でひさしぶりに緑茶なぞ啜る。というわけで以下茶のみ話。 世の中にはブスと美人がいる。で、あちらこちらに存在する美人の姿かたちはどの人も似通っている。比較するとブスの多様性はとても広い。実は顔にかぎれば美人といわれる人が似通っている理由には科学的な根拠がある。人は、すべての人間の顔を平均した造作に近い人を美人である、と判断するのである(これネイチャーの表紙にもなったけど、めんどくさいんで検索はしない)。したがって、美人と一般に判断される人の顔はどことなく似たような感じになる。化粧とはしたがって、顔を平均値に近づけようとす

    2008-08-23
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    tokyocat 2008/08/26
    《》頭がよいことはブスという存在によく似ており、頭脳活動が平均値から離れていることによって、そのような存在になるのである、のではないか》!!
  • 2008-07-27

    というわけでバーベキューに行ってまいりました。 人種間差異の遺伝子レベルの差異をレイシズムといかに向き合わせるか、という最近の論壇状況の簡単なまとめを見かけて、こりゃやばいかもなー、と思った。伝統的に生物学はシグナルとノイズ、という考えかたをあまりしない。したがて、分類は恣意的であり、分子生物学にも遺伝子レベルでその博物学的な伝統がしっかり根を張っている(今いうバイオインフォマティックスを眺めてもその限界を超えているものは少ない)。私はそうした恣意的な部分に批判的な立場にあるマイノリティなのだが、下のような話を眺めるとますます問題だな、と思う。というのも例えばその実アルリズム的に恣意的である判断をコンピューターに任せてその結果があたかも自動的に導かれ、客観的であるかのように結論を導くというのは頻繁に見かける話で、したがって人種問題の話を改めて合わせて考えるとアレである。 It's true

    2008-07-27
    tokyocat
    tokyocat 2008/07/29
    《その実アルリズム的に恣意的である判断をコンピューターに任せてその結果があたかも自動的に導かれ、客観的であるかのように結論を導く》
  • 内面化の問題 2008-06-10 - kom’s log

    秋葉原の通り魔が残している数日前からの掲示板のログを読んだ。こちらの心の芯まで伝わってくるような寂寞とした、とつとつとした言葉の連なりに、孤独だと思っていたころの自分を思い出した。以下、抜粋する。 一人でランチ 仕事おわり 帰ろう 一人で 女の人とお話してる同僚に話しかけられたけど無視してきた お楽しみのところを邪魔しちゃ悪いもんね バスを待ってられないから電車で帰ろう 一人で スポーツカーに女乗せてる奴が居た 事故ればいいのに 助手席に女乗せてる奴に税金かければ日の財政難は解決すると思う トラックのタイヤが外れてカップルに直撃すればいいのに 電車こない 相変わらず一人 ひとりぼっち 誰もいない いるのかいないのか どうでもいいのか みんな俺を敵視してる 味方は一人もいない この先も現れない 一生無視される 不細工だもの 俺以外にこんな奴はいない だから誰にも理解されない いつまでたって

    内面化の問題 2008-06-10 - kom’s log
    tokyocat
    tokyocat 2008/06/11
    《言葉がない、自分を表象する手段がない、人間関係がない、という貧困》
  • kom’s log - ホームレス・老人・子供

    雪ちらほら。 『なぜ子供が減ったか』というhasenkaさんの記事のタイトルを見て、その文章を読む前に反射的に私の心にうかんだ回答は「子供がフリーライダーだから」。社会にタダ乗りをしている人間を正面から認めるような説明が今失われている。失われている、というか無効なのかな。ホームレスしかり、老人しかり。あるいは失業者。病人。引きこもりもそうかもしれない。社会的弱者を救え、といえば「なにタテマエを」という反応が大手をふる昨今である。子供なぞ社会のフリーライダーのさいたるものだ。ただ乗りしやがって、という雰囲気が社会にあるうちは子供が減るのもあたりまえである。それだけ寛容さがうしなわれているということなのだ。 hasenkaさんのエントリーを読んでおおむねそうだな、と感じたけれど思ったのは子供が増えないのは「産まないという宣言」なのかなあ、ということ。積極的な拒否というよりも、フリーライドの雄た

    kom’s log - ホームレス・老人・子供
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    tokyocat 2007/11/25
    《社会の保持が自己目的化した状況では、個人はまさにその要素であって、要素がどの個人に入れ替わろうが社会そのものの駆動にはあまり関係がない》
  • 匿名について - kom’s log

    ネットにおける匿名の記事発信に関してはあるていどコンセンサスのある見解が流通している。すなわち次のようなことだ。ネット上においては言論がすべてであり、その内容と経歴によって人格が形成される。したがって匿名であっても個別認識が可能であり、戸籍に登録された氏名よりもよっぽど意味のある場合だってある。 この論理に私はうなずく。なるほど、ということでじゃあ実は匿名ではなくてネット実名なわけね、と得心する。しかしながら、だからネット実名で戸籍実名を批判することは正当である、といわれると私は留保をつけたくなる。なにやってもいいわけではない。順番に説明する。 ネット実名の個人が互いにその世界の内側で罵倒や応酬を繰り返すだけならば私はどんどんやればいい、と思う。でも少々事情がかわるのがネット実名とネット匿名のクラッシュだ。ネット匿名に対してネット実名は脆弱である。なぜならば、ネット実名には守りたいそのネッ

    匿名について - kom’s log
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    tokyocat 2007/01/27
    《ネット実名はこの世から消滅することができる。でも戸籍実名の人間は消え去ることができない》 この際そっちも消去してセカンドライフに引きこもる?
  • 2007-01-25

    異常に暖かいこの冬、わが街に初雪。 中古車診断・交渉のコンサルタントをしているフィンランド人の友達と、ウェブで彼がみつけた中古車を南に100キロ下った街まで見に行く予定だったのだが交通が混乱しているとのことでとりやめた。かわりにうちで午前中の間彼がもってきた中古車情報のプリントアウトをいろいろ眺めた。ドイツでは秋から排気ガスのレギュレーションが厳しくなり、古いタイプの車は都市に乗り入れることができなくなるので年式と触媒のレベルに注意が必要である。この友人コンサルビジネスはもっぱらフィンランド人を相手にしている。同じ車がフィンランドでは数倍の値段するというから、飛行機でわざわざ買いに来るメリットがあるのだそうだ。 教科書の執筆続き。苦行。 私のセクション(っつってもボスも部下もいないセクション)のウェブサイト改訂に関して広報部のひととお話。 3月の所内セミナー、発表者の見当つけて打診。 モ

    2007-01-25
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    tokyocat 2007/01/26
  • kom’s log - 戦争をしない国

    粒子物理で宇宙線のモンテカルロ・シミュレーションをやっているひととディスカッション。実は隣のマックスプランクにいる彼の専門のことはこれまで知らなかったのだが、たまたま最近判明してもりあがった。モンテカルロの並列化についていろいろおしえてみらう。今後お世話になるなあ。フォートランの方がCより速い、とかいっていた。ほんとかよ。 所内報のエディターと打ち合わせ。昨晩ながながと書いた牛涎な文章を「エディットしたらOKね」とのことでありがたがってくれた。ほっとひといき。 来月のミーティングのことで、パリ・エコール・デ・ミンの数理形態学センターのひとたちとメールやりとり。ヴィデオコンファレンスにしようということで、ビデオ参加したいというオックスフォードの支所に連絡。うちの部門のヘッドがゲストのメンツになんか妙にびびっているので、エコール・デ・ミンってなんじゃね、とフランス人ジェローム君に聴いたら、パリ

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    tokyocat 2007/01/24
  • kom’s log - 否定について

    12月7日に辺見庸の講演会が明治大学で開かれたそうだ。素晴らしいレポートを酔生夢死浪人さんが書いているので、一読をすすめる。 虹の彼方に見えるもの〜辺見庸講演会に参加して。 「左翼左翼」といいかげんに言葉を振り回すひとののために。左翼とは当はたとえばこのひとのことをさすのである。 以下の文章を読んでいて少なからずはっとしたので、引用する。 日の学生運動各派の共通した考え方は、議会を通じて、つまり、話し合いや選挙活動を通じて多数を獲得することによって政権を取ることはできないと考えていました。 この部分、特に太字部分にそういえばと私ははっとする。そういえば、似たような気分の文章を最近眼にした。たとえば、これや、これ。まっとうだー、と私も思う。でもそこに決定的に欠落しているなにかを私は感じる。ひとことでいえば、共和制というシステムに対する絶対的不信、絶対的な欠落感。代議制の崩壊、一方でせまり

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    tokyocat 2006/12/13
    《グローバリゼーションがあまねく浸潤した状況で、”権力の獲得”でなにかが変わるなんて思っている人間はまずいないだろう。革命でなにがかわる?という絶望だ。だから余計にテロリズムなのだし…》
  • 演出の評価 - kom’s log

    自作自演というと、イラクで日人が捕虜になったときに「自作自演だろ」という妄想がネット上ではびこってすごいことになった件を思い出す。なにしろそのせいで、政府の対応にまで影響したのだから、まあ、すごかったのである。その後当に日人が拉致されて殺されたし、今やイラクにおける拉致と人質続出は日常であるから、もし今日人が人質になっても自作自演などと連呼するドアホはいないだろう。なんでこんなことを書いているかというと、例の八戸教育改革タウンミーティング、質問仕込み事件のことである。あの、自作自演が大好きな人々はどこにいってしまったのか、と思うぐらいこの面白い話がネタになってない。そんなわけで、やらせってどの程度のものか、と思ってちょっと見てみた。 政府が依頼した質問内容。 ③ 教育の原点はやはり家庭教育だと思います。残念なことに、親が親になりきれていない状況も目に付きます。教育をめぐる現在の様々

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    tokyocat 2006/11/20
  • kom’s log 学校マクドナルド化批判

    このところ、教育法の改定に賛成する人々の意見をあっちこっち見にいっていたのだが、賛成の理由はどうやら”日教組粉砕”らしい。小学生のころにみかけた”ニッキョーソオ、フンサーイ”と、軍歌をバックに怒号するウヨクの黒いトラックの思い出からはや20年以上たつわけであるが、いまだに”ニッキョーソオ、フンサーイ”なわけで、ついにはそれが政治日程に載っている、ということなのである。いやはや時代はかわったものだ。などと目を細めるほど歳をとっているわけではないので、彼らの考え方に関する私のささやかな分析をかきとめておく。簡単なことだ。彼らの頭の中では、目下の教育は以下のような仕組みなのである。 日教組(及びその黒幕である共産党) −> 教師 −>生徒。 これを教育法の改定により次のように変える。 日政府 −> 教師 −>生徒 実にわかりやすい。正しいかどうかはともかく、明快である。要するに教育の大

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    tokyocat 2006/11/18
  • 誤謬 - kom’s log

    政治家が母校での講演で口が緩んで人種差別発言をすることがある。緩んでいるんだからまさに心、というわけで、ますます問題になる。 目下のローマ法王の発言問題もそんな感じなのかな、と勝手に思っていた*1。 私が最初にニュースを知ったのは、トルコ系フランス人の友人からだった。なーんか、フランスで騒いでいる、というような話で、彼のヒトコト解説は「ローマ法王がモハメッドを非難した」というような上の時事通信の記事と同じような要旨だった。よくまあ、そんな無茶するなあ、と思ってそのままだったのだが、さっき公式英語訳を読んでみた。06年9月12日付の演説である。バチカンのウエブサイトに掲載されている。聴衆はヘッダーに書かれているように、南ドイツの大学の人たち。内容はかなり難解である。このまま喋っているのを聞いても、私にとってはなんたらの耳に念仏、である。論旨が難解というよりも回りくどいいいかたをするの

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    tokyocat 2006/09/16
    《いってみれば、日本のトップロイヤルがある日突然、「朝鮮半島渡来民族と天皇の系譜について」などといった内容で専門的な話をしだすようなものである》
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