イベントやブログの情報発信で技術力を表現し、SIの支援を求める企業からも好印象を持たれているクラスメソッド。ソリューションアーキテクト(SA)としてお客様のAWS導入について支援を行っている大栗宗は情報発信面でも実業務でもクライアントの悩みを解決している。大栗はどのような経緯で頼られる存在になり得たのか。 大学時代は電子機械工学科に在籍していました。情報系の学生ではありませんでしたが、子どものころからパソコン雑誌はよく読んでいて、コンピューターのことは好きでした。細かい部分の理解はできなくても、CPUのアーキテクチャのことなどを知るのは楽しかったんです。 むしろ学生時代は、地図とコンパスを使って山中のチェックポイントを通過してゴールを目指す、オリエンテーリングという競技に夢中になっていました。 関東学生オリエンテーリング連盟の役員もしていて、他大学との交流がいろいろあったんですよ。ゼロから
* ; cls: uk-animation-slide-bottom-medium; delay: 10" class="article-body" data-v-3200fcc6>ファミリーベーシックが原体験 子どもの頃に出会った、任天堂のファミリーコンピューターでプログラミングができる「ファミリーベーシック」。これがあればなんでもゲームがつくれる!──そう思い飛びついたのが、今思えばエンジニアとしての原体験かもしれません。 もちろん、小学生の自分には簡単にゲームがつくれる知識はありませんでした。なので、説明書やプログラム雑誌に出ていたコードをポチポチと入力して、遊び感覚でプログラムを動かしていました。 ゲームをつくる仕事が雑誌で特集されていたのを見たことがあり、漠然とですがいつかそういった仕事に就きたいなと思っていました。それで大学も情報系の学科に進みました。 その後、フリーターも経験
* ; cls: uk-animation-slide-bottom-medium; delay: 10" class="article-body" data-v-45c0ee78>確かな実力と技術への愛。それが入社の決め手だった もともと、コンピュータの道に入ったのは、完全に見た目。「超かっこいい」「なんか未来っぽいものが好き」という想いからです。 高校時代はピアノを弾くのが得意で、ピアノを教える資格を持っていたので、音大に進学し、ピアニストになろうと考えていました。 しかし、自分の理想的な環境と現実をふまえて考えた末に音楽の道は断念。「だったらプログラムをやりたい!」と思い、この道に進むことを決めました。 ちょうどこの頃、DTM(デスクトップ・ミュージック。今でいうDAWを使った作曲)やMIDI環境が整ってきていて、コンピュータを使って音楽を作ることがプロ以外にも広まっていました。音楽
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