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メディアとtextに関するtomadのブックマーク (20)

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    2024年下半期のフィルム写真たち ふと気がつくと2024年も残り僅か。 そしてふと振り返るとこのブログに掲載する写真がGRIIIで撮ったものばかりになっていたのだけど、決してフィルムに飽きたということではなく、フィルムはフィルムで淡々と撮り続けているし、モノクロもカラーネガもいつも通り自宅で…

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  • 衰退局面に入ったマスメディア 2009-07-25 - 思考錯誤

    今や改めて言うに及ばないことかもしれない。 私としては『2011年 新聞・テレビ消滅』とまで言うつもりはないが、テレビはともかく新聞はこのままではあと10年もたない気がする。 2011年 新聞・テレビ消滅 (文春新書) 作者: 佐々木俊尚出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2009/07/20メディア: 新書購入: 16人 クリック: 462回この商品を含むブログ (146件) を見る ネット登場以前から新聞離れ(活字離れ)は叫ばれてはいた。 NHK放送文化研究所の生活時間調査によれば、1985年時点の新聞講読の行為者率(平日の場合)は20歳代の男性で51%だった。 つまり、2人に1人は新聞を読んでいた*1のが、95年には3人に1人(32%)まで下がっている*2。 これが2005年になると、5人に1人(21%)まで下がる。 30歳代、40歳代も同様である。 ただ、85年から95年の変化(

    衰退局面に入ったマスメディア 2009-07-25 - 思考錯誤
  • http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1914

  • 「みんな」の為のメディアは必要か? - アンカテ

    新聞やテレビのようなマスメディアと、ブログやソーシャルブックマークのようなWeb上のメディアを比較する場合に、次の4つの観点を分けて考えるべきではないかと思う。 (1) 媒体が紙か電波かインターネット(IPネットワーク)か (2) 記事を書くのがプロ(専門知識を持ち職業として書く人)かアマチュアか (3) 記事の選択や編集を機械が行なうか人間が行なうか (4) 対象とする読者層が「みんな」なのか特定の関心領域なのか 新聞は、(1)紙を媒体として、(2)プロの記者が書き、(3)人間が編集して、(4)「みんな」に読ませることを前提としたメディアである。 はてなのトップページは、(1)ネットを媒体として、(2)アマチュアが書いた記事を主体に、(3)ブックマーク数を集計することにより機械が編集して、(4)「みんな」に読ませることを前提としたメディアである。 つまり、新聞とはてなのトップページを比較

    「みんな」の為のメディアは必要か? - アンカテ
  • マクルーハン再考1 - takumau blog

    明らかにマーシャル・マクルーハンの意義を振り返る人が増えている。学識者はもちろん産業人も参照している。これはなぜか。私はメディア論はそれこそマクルーハン程度しか触っていない体たらくだが、コミュニケーション論を語るうえでマクルーハンは欠かせない。彼はテレビによって地球は一つの思想で染色される「グローバル・ビレッジ」を夢想したが、その夢はインターネットがローカル・ビレッジの集合体という形になって具現された。思想の通奏低音のせいか、多くのネット論者はマクルーハンからの引用が目立つ。 さて、私がとりわけ注目しているのは「メディアはメッセージである」というあまりに有名な宣言だ。これは極論すると「メッセージはメッセージ(コンテンツ)ではない」と意味している。 マクルーハン流のメディア論について想定される批判はこうだ。「媒体はしょせん道具だ」「一番大事なのは内容だ」とよく語られることだろう。だがこの感性

    マクルーハン再考1 - takumau blog
  • マクルーハン再考2 - takumau blog

    メディアがメディアたる理由が消失しつつある今日において、メディアに代替するものは登場する可能性はあるのだろうか。ヒンメルワイトによるメディアの代替過程によると、新しいメディアは既存のメディアの使用状況を変えてしまうと説いた。では最も既存メディアに影響を与えているのは何かというと、2000年代にインターネットがメディア化し、これからインターネットも既存メディアとして分類されていく状況では、コンテンツが既存メディアのあり方を変えていってしまうだろう。そのような読み方をすれば、コンテンツこそがメディアであるという立論もしやすいのではないか。「メディアとはメッセージである」と煽ったマクルーハンの逆方向への進路であるところが面白い。 そこでこれからの広告代理店が獲得すべき新しいメディアとは何かという問題系が浮上する。現在、コミュニケーションデザインの考え方は広告プランニングの保守流になりつつあるが

    マクルーハン再考2 - takumau blog
  • テレビ論をかきました - MIYADAI.com Blog

    ──────────────────────── 政治的ニュースが重要になる中、テレビがメディアとして持ちうる力とは? ──────────────────────── 【マスメディアの凋落は「場」の凋落と関係する】 広告収入やセットインユース(スイッチが入った受信機器の総数)の減少という形で、新聞やラジオやテレビなどが凋落しつつある。他方で、労働市場の縮小や麻生内閣の疲弊で世の中は暗いムードである。そんな中、一部の局は四月編成からニュース系へのシフトを強める模様である。 これは合理的対応だ。音楽の世界では、ITMSに見るようなアーカイブス化&インターネット化と、享受者の「島宇宙化」を背景として、CDシングルを購入して新曲にアクセス(して話題に乗り遅れないように)する必要が消えた。程度の差はあれテレビの娯楽番組もそれを追いかけよう。 だが娯楽系からニュース系へのシフトで生き残れるほど世の中

  • ブロードキャストという有害なまぼろし - アンカテ

    インターネットのハンドルとエンジンに書いたのと同じような意味で、電波による通信の「エンジン」にあたる質は何かと考えてみた。それは「一方通行のメッセージ伝達」ということではないかと思う。 それは、トランシーバによる会話が非常に不自然なものになることに表われている。トランシーバは、来、一方向にしか送れない電波によるメッセージを無理に切り替えて双方向で使っている。だから、送信と受信の切り替えの時に「オーバー」とか「どうぞ」とか、発信が終わったという合図を明示的に伝えなくてはならない。無理して自由に喋ろうとすると、往復で帯域を二倍使うことになる。 それに対して、「放送」という形式は電波を有効活用できる自然な使い方だ。一つの発信源と帯域によってたくさんの受信者にメッセージを届けることができる。 ネットの自然な使い方は双方向の1対1の通信で、電波の自然な使い方は一方向のブロードキャストだ。 ブロー

    ブロードキャストという有害なまぼろし - アンカテ
  • Hang Reviewers High / ミニコミ「Hang Reviewers High」

    このブログ「Hang Reviewers High」の記事を一部抽出してまとめたミニコミ誌をばるぼらさんが作ってくださった。 今後どのような流通に乗って販売されるのか全く知らないが、さしあたって11月9日の文学フリマで売られることになった。いずみのさんの「ピアノ・ファイア・パブリッシング」のブースにて委託販売させていただきます。ブースの位置はB-33。ちなみにいずみのさんは「漫画をめくる冒険」の別冊を出される予定で、これは表紙を西島大介君が描いている。 さてミニコミ「Hang Reviewers High」だが、詳細は以下のようなものらしい。 書名:『Hang Reviewers High』 著者:ソメル デザイン:戸塚泰雄(nu) その他全部:ばるぼら サイズ:A5 x 72p 価格:500円 売り場:文学フリマ会場二階 B-33 ばるぼらさんが編集してくださって、しかもミニコミ誌「nu

  • メタフィクショナルな言動とメディアミックス『かんなぎ』 - noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言った

    さて、以前から期待している!と言いながらも、当はてダでほとんど触れてこなかった『かんなぎ』ですが、ついに触れることとなりました。拍手!……というのも、遅ればせながら原作まんが第1巻を読みました。第1巻はすでにアニメで放映済みの内容なのですが(ちなみにアニメ第5話Aパートまでの内容)、単体でも面白いものだと感じましたし、アニメ版とあわせてもなかなか興味深いと思います。そんな中、ちょっとしたことに気が付きました。それは、作中における登場人物のメタフィクショナルな言動についてです。 登場人物によるメタフィクショナルな言動 まずは、次にあげる2つのシーンにおけるアニメおよび原作まんがでのセリフを紹介します。 ナギの嘘(二重人格であること)がばれるシーン ナギと一緒に住んでいるのを幼馴染のつぐみに知られたしまった御厨。ナギは二重人格を装って危機を回避するが、御厨もまたナギの二重人格が真実だと信じてし

    メタフィクショナルな言動とメディアミックス『かんなぎ』 - noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言った
  • 「小さなメディア」時代の過剰なリテラシー要求:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    先日、編集者であり人気ブロガーでもある仲俣暁生さんと「インターネット時代の『小さなメディア』の使い方」と題したトークセッションを行った。実は僕も仲俣さんも、たまたま同時期に「小さなメディア」という言葉を使った文章を書いていて、但しその言葉の定義の仕方が、両者の間で若干異なっていたもんで、その差異について話し合ってみようというような趣旨のものだった。 「小さな」という言葉を使うからには、当然その反対には「大きなメディア」が想定されているのだが、その想定の仕方が、仲俣さんと僕とでは少し異なっていた。仲俣さんがこの言葉を使うとき、基的には津野海太郎の「小さなメディアの必要」から用いているという。津野は、フィリピンでの「マイクロ・メディア」運動について、次のように書いている。一九七六年、ミンダナオ・スル司祭協議会(MSPC)の提唱によって、ガリ版印刷、自分たちでつくる演劇、スライド製作などにかか

  • 反転するヴィリリオ:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

  • 「<私>探しゲーム」から「わたしたち消費」へ:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    僕は学生の頃から、定期的に一人でカラオケに行く習慣があるのだけれど、少し前からちょっと気になっている傾向がある。カラオケの液晶画面つきのリモコンには、過去にその部屋の利用者がどんな曲を歌ったかが表示される機能がついているわけだが――そして僕はその履歴を大体毎回チェックする習慣があるんだけれど――そこには結構高い割合で、ニコニコ動画文化圏の曲が歌われていることが多いのだ(もちろん僕も歌うんだが)。 ニコニコ動画文化圏の曲とは、例えば「エアーマンが倒せない」「創世のアクエリオン」「男女」「みくみくにしてあげる」「ハレ晴レユカイ」といった、「歌ってみた」のタグのつけられ、多くの関連動画が作成され、ランキングの上位などにランクインするような曲のことだ。ウェブ上のコミュニティにて強く支持され、その生成過程に必ず「ネタ」的な要素が含まれている曲の数々。カラオケの履歴にそれらを見つけることだけでなく、隣

  • 「言葉と意味、ボタンと機能」について考えるためのメモ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 言葉とその意味の一対一対応。 ボタンと機能の一対一対応。 正しい言葉、正しい操作を選択しなければ、意味・機能を引き出せないというコミュニケーション。それは人間の能力を活かしている?殺している? どうも外化(システム化)の仕方が誤っているのではないかという気がします。 近代は、M・フーコーもいうように、客観化され論理化された事実を、くもりのない鏡のように写し出すことが、言語に要求された。不適切さや不純さや伝達効率の悪さや論理の欠如は、駆逐された。しかしそのかわり、意味の複数の可能性の捨象と、論理的関係への還元が起こった。 インタラクション・システムにおける使いやすさとは? 人間中心設計と認知科学のつながり? 言葉と物のつながり? 言葉とは? 情報とは? 情報デザインとはいうも

  • amr-i-t.com

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  • メディアはどういうメッセージなのか - 殺シ屋鬼司令II

    マクルーハンの光景 メディア論がみえる [理想の教室] 作者:宮澤 淳一発売日: 2008/02/19メディア: 単行(ソフトカバー) 高山宏の書評で知って、今年の5月ぐらいにこのを読んだ。 難解とされるマクルーハンの核心をひじょうにコンパクトにまとめた好著だ。書籍の構成は大学の講義を模している。先ずマクルーハンの核心部であると言える小品「外心の呵責」The Agenbite of Outwit語初訳が冒頭に立っている*1。続いてこれをマクルーハンの他の著作も援用しつつ解読する。そしてマクルーハンの半生と他の著作で注目すべきトピック(「ホット・メディア/クール・メディア」等)の紹介を受けた後、最後に20世紀芸術家たちへの影響を通覧する。論旨は明晰かつ刺激的でありながら、高校生向けとも称される「理想の教室」シリーズの一冊として類い希なる平易さを維持している。希有な一冊である。精読マク

  • デトロイト・メタル・シティという「広告」 - モジログ

    少し前から、渋谷パルコに『デトロイト・メタル・シティ』という映画の大きな広告が出ている。 『デトロイト・メタル・シティ』は同名のマンガが原作らしく、ウィキペディアに詳しい解説があった。 ウィキペディア - デトロイト・メタル・シティ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87.. このマンガのキャラが、2、3か月前からタワレコで広告に使われていて、「これはなんなんだろう?」と思っていた。その後しばらくして、同名のマンガがあり、それが映画化されるのだと知った。 映画『デトロイト・メタル・シティ』の公開は8月23日だそうなので、タワレコと組んで、キャンペーン的に盛り上げていくという手法のようだ。 さらに、この映画に出てくるデトロイト・メタル・シティという架空のバンドが、実際に「SATSUGAI」というレコードを出したらしい(上の写真にある黒っぽい広告がそれ)。

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    トルコ水紀行 -前編 イスタンブール- みなさんこんばんは、地図子です!8月は久しぶりに毎月更新にしようと思います。今までずっと名古屋について書いてきましたが、ワープして・・・ トルコについて書きたいと思います。 2024年6月に念願のトルコに行ってきました。いつからトルコに行きたかったかわから…

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  • 新時代・あらゆるコンテンツは「ニコ動」でイジられる!(前編)

    テレビなんか見ない」と言うわりには、やけに最近のテレビ番組に詳しい奴がいる。彼らが見ているのは「ニコ動」である。コンテンツへの接し方、楽しみ方が激変する現状をめぐって、ネット社会と著作権問題に詳しい白田秀彰氏にお話しを伺った。 ――白田さんは著作権問題の第一人者として知られていますが、2011年の地上波デジタル化によって、テレビコンテンツと著作権の関係性はどのように変化すると考えていますか? 白田 コピーによる情報の拡散と共有を基的な仕組みとするインターネットが、一般化して定着してしまった以上、コピー禁止を中心的な仕組みとする従来の著作権法は、実質的な効力を失うだろうと考えています。また私は、ここ60年ほど支配的なメディアであったテレビ放送は現在、その支配力を失いつつあるか、すでに失ったと考えています。ですから、私は、テレビコンテンツと著作権の問題について、真剣な議論をする実益があるの

    新時代・あらゆるコンテンツは「ニコ動」でイジられる!(前編)
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