■ 昨日のエントリーでも書いたけれども、雪斎は、自民党機関誌『月刊自由民主』に「立党50年記念論文」を寄稿した。「それは、どういう論文なのか」という声が聞こえてきそうである。この『月刊自由民主』という雑誌は、結構、中身が面白い雑誌である。ただし、政党の機関誌という性格上、この雑誌は、一般の書店では中々、見かけない。本来は、「雑誌を買って読んでください…」と呼び掛けなければならないけれども、自分の原稿に関する限りは、このタイミングで公開することにする。 雪斎は、この雑誌では、普段、2000字程度のコラムを書いているけれども、折に触れて5000字くらいの原稿を依頼されることがある。だから、雪斎は、今月号では、記念論文とコラムの二編を寄稿した。「書き過ぎだろう」といわれれば、その通りかもしれない。 雪斎が『月刊自由民主』に最初のコラムを執筆したのは、2000年4月であったと記憶する。その年6月の
共同通信社世論調査によれば、小泉首相の先の参拝は 大手メディアの論調とは異なり、むしろ参拝前よりも 好意的に捉えられているようです。 参拝前選挙直後の世論調査(9月) 「今年は見送るべきだ」・・・53.0% 「今年も参拝すべきだ」・・・37.7% 参拝直後の世論調査(10月17、18日) 「参拝すべきではなかった」・・・45・8% 「参拝してよかった」・・・48・1% この結果をどう捉えるのか・・・私は靖国参拝反対派へ とりわけ、自らが意見主張をすることによって国民に影響を 与えうると自負している人々(野党政治家やメディア)・・・ の方々へ、訊きたいですね。 もし 「自分達がこれだけ靖国参拝の不当性を訴えているにも かかわらず、国民には浸透していない」 「国民は小泉流の派手な愛国パフォーマンスに惑わされている」 「中韓の抗議に嫌気が差し、国民は耳に心地よい偏狭な ナショナリズムに安易に走っ
総務省は、7月26日に平成17年度普通交付税大綱について閣議報告をし、同日、各地方団体に対する普通交付税等の交付額を決定いたしました。
・・・というタイトルにしたが、小泉首相を含む政界の人々について、日頃考えていることの雑記のようなものである。個人的な所感の寄せ集めのようなものだ。 まず民主党の代表だが、一応立候補者が2名で代表選をする事になったのは歓迎したい。負ける人が分かりやすく負けるのが大事なのである。そしてどっちが負けてもしつこく再チャレンジするのを批判するべきでないと思う。そういう粘っこさも、最終的に政権を取って内閣総理大臣になる事を目指すのならば必要な資質の一つだからだ。この両名は個人の資質だけに絞れば民主党では一応最良のクラスなので特に文句も無い。個人的には別に推したい人もいるが、小選挙区で負けてたりするし・・・・ 自民党となると、今は明白に見えてはいないが、親欧米の合理的な新保守主義者が多く、やや国粋主義的とも言える古い保守勢力が減っているような印象がある。これは自民党をますます怜悧な強力さを持つ政党にする
今回選挙に関するエントリーを各所で見ていて、 「人は総選挙で投票するにあたり、二通りの判断基準がある」 ということに気付いた。 つまり、 ・与党にイエスかノーか ・与党と野党第一党、どちらに政権を任せたいか の二通り。 与党にノーを突きつけたければ必然的に政権交代を志向することになるわけで、 よって前者と後者は似たものである、と思っていた。 が、違った。 この二つが似たようでいて実は全く違うものである、ということを 今回の選挙で初めて思い知らされた。 何が言いたいかっつーと、 今回の選挙で自民に入れた中で、ある程度の割合が後者を基準にし、 民主に入れた人のほぼ100%が前者を基準にしたのではないか。 ということ。 与党にイエスかノーかを全ての基準にすれば、野党のことなど全く考えないで済む。 民主がどんなにアレな党であっても構わない、というより知らない、というの
■ 衆議院解散直後、 『ザ・タイムズ』紙の《High noon in Japan-Japanese voters should back Koizumi 》という記事を配信した。この記事には、次の一文がある。 The debacle in the Diet puts Japan at a crossroads: the choice between smaller government or the old-style high-spending big government. 確かに、此度の総選挙は、「大きな政府」か「小さな政府」かの選択を争点とする。しかし、この争点設定が単純だと評する向きは確かにある。此度の総選挙の構図は、どのようなものかl。 これを考えるために、下のようなマトリックスを示してみる。丁度、八年程前に雪斎が雑誌「諸君」に発表した論文で示したコンセプトである。こたびの総選
■ 此度の選挙の争点は、郵政民営化の是非であるけれども、もう一つ問われるべき重要な論点がある。それは、自民党は、「都市の政党」たり得るかという点である。この場合、「都市の政党」というのは、「地縁、血縁、利害関係といったしがらみ」から離れた人々の支持を受けた政党という意味である。従来、「都市の政党」としての顔を示していたのは、自民党ではなく民主党であった。そうであるが故にこそ、投票率が上がれば苦戦するのは、民主党ではなく自民党であった。 しかし、「投票率が上がれば負ける政党」というのは、政党の有り様としては、おかしなものであろう。民主主義体制の下では、いかなる政党といえども、「投票所に行かないでください」とは訴えられない。「投票率が上がれば勝てる」仕組みを構築しなければ、政党の有り様としては本物ではないのである。 丁度五年前の夏、雪斎は、『月刊自由民主』に下掲のような原稿を載せたことがある。
* 「干からびたチーズ」という政治的言語 郵政法案:週末の攻防 緊迫のドキュメント 森氏は、待ち受けた記者団に「はっきり言ってさじ投げたな、おれも」と怒りをぶちまけ、公邸で外国産の缶ビールと干からびたチーズとサーモンしか出なかったことまでいまいましそうに説明した。左手に握りつぶしたビールとウーロン茶の空き缶、右手にはチーズがあった。 この干からびたチーズって実は高級品だったそうですが、小泉-森会談がうまく行ってたら、森さんもこのチーズと缶ビールは報道陣に見せなかったでしょう。 この「干からびたチーズ」は、政治的言語だと思います。 森さんは、たまたま手元にあったチーズを使って、「小泉さんは本気だよ」というメッセージを出したのです。手元にある材料をうまく使って、言うべきことを言えるのが政治家としての才能です。そういう意味では、森喜朗という人を見直しました。森さんが不機嫌だったのは演技ではないと
最初に誤解なきようお断りなのだが、私にとって、公明党と共産党はどっちが嫌いか甲乙つけがたいほど嫌いな政党なのだが、このエントリは政治的な意図をもって貶めるという趣旨ではない。もっとも、こんな弱小ブログにそんな影響力もないだろう。この二つの政党に関連してなんとなく気になることがあるので書いておきたい、というだけだ。 公明党だが、先日の都議会選でもそうだし、今回の衆院選挙でも結果的にキャスティング・ヴォートの位置になるだろう。つまり、その政策が国政に強い影響力を持つことになる。 背景に創価学会という宗教団体を持つ公明党なので、政教分離なり、その宗教団体の利害が国政に反映するのは好ましくないなどといった視点で批判されがちだ。が、私は、概ね公明党は無害な政党なのではないかというか、世相の流れに流されている政党なのだろうと考えつつある。流れとは、昨日の「極東ブログ: [書評]自民党の研究(栗本慎一郎
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